裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

20日

月曜日

ゴリ霧中

 竜雷太、捜査に行き詰まる。朝7時半起床、入浴ゆったりと。朝食アボカドとバナナ。食べながら『創』オタク清談チェック。終えてすぐFRIDAY四コマネタにと りかかる。ここまで大変に好調。

 それから日記つけて、すぐアサ芸『こんニュー』……と思ったが案外に雑用に時間とられ、日記アップの段階で12時半、出勤。地下鉄駅のホームで隣り合わせたカップル、女性の方はどこかで見た顔だなあ……と思っていたら、むこうもこっちを認識したらしく、いきなり“カラサワさぁん!”と抱きついてきた。旧知の女性アーティ スト。

 一緒にいた男性が“いまのカレシです”と。カレシ、ごく普通の好青年ぽいが、とにかくいい人という印象。なにか凄く再会を喜んでくれて、
「いっつもテレビで見るたびに、ああ、カラサワさん稼いでるんだろうなあ! ってみんなと話していて」
 みんなでそんな俗なこと話しているのか、とちょっと苦笑する。しかしこの子の方 こそ、テレビでわれわれが見て
「ああ、やっぱり自分らとは違う世界の子だったんだよなあ」
 とか思っていないといけない子なのに。

 そういえば、今まで彼女の周囲を覆っていた神秘少女的オーラが薄れて、普通の子になりかけていた。そっちの方がいいのかもしれない。ちょっと疲れ気味っぽかったのが気になるが、と人のことを心配できる身分ではないな。新宿でカレシを残して私と彼女は降りる。ごく普通にカレシとキスしたのになるほど、と思う。なるほどでい いのか、男として?

 東口の方へ行く彼女と別れ、小田急で弁当(昼用)買って仕事場へタクシー。なをきとの単行本の件でアスペクトにメール、その他メールいくつか。さいとうさんと大阪行きのスケジュールのことでやりとり。今週は週刊連載以外はとにかく二見の方に 費やさねば、と思うがその週刊連載を急いでやらねば。

 体力極端に落ちている、ことは階段の昇降のときの足の重さでわかる。買い物に出 たついでにタントンに行き、揉み込んでもらう。先生曰く、
「これは凝ってるというのでなく、力がなくて弛緩している状態ですから、ほぐすよりは刺激して賦活させるほうがいいでしょう」
 という。つまり、どうにか“凝った”状態にまで戻すのである。

 最中に切り忘れていた携帯に電話、インタビューの申し込み。一時間後に電話を、と言って切る。先生も呆れていた。終わって無事“肩の凝った”状態になって帰宅。急いで遅れていたアサ芸にかかる。かなりエグいネタであるが、後半でソフトにする構成にする。毎週原稿用紙7枚の分量、これが足りない。語ることあって語る媒体を 持っているのは幸せではある。

 途中で電話、『月刊ピアノ』という音楽雑誌。音楽雑誌からのインタビューはお門違いでは、と思ったが、ディズニー特集なのでディズニートリビアを、というような内容。それならばOK。日取り決める。などゴチャゴチャやりながら原稿書き。5時から週プレ対談、原稿完成させて行数あわせをして送ったのが4時57分というすべ りこみ。急いで時間割へ。

 時間割、おぐりとライターNくん。テーマは“キレる人々”。ニュース自体は大変 に笑えるのだがまとめに苦労。おぐりが
「こんなのどうですか」
 と出したアイデア、即決採用。

 外は暑い。今日はこれから帰って仕事、のつもりだったが全部イヤになり、
「ビール飲んでこかあ」
 とおぐりを無理矢理さそって、マークシティ隣の『細雪』。二人でジョッキぐーっとあけたが、いやひさびさに生ビールを“ぷはー、ウメーッ!”と飲んだ。

 まだ外は6時半で夕暮れ、そこらで仕事放り出す罪悪感がビールの醍醐味。そのあとゆで餃子(夏場は作らないというのを特別に)、タン刺しに中華風冷や奴(初めてここでこれにありついた気が)、などなど。腸詰めは前の味の記憶が残っているので ちょっと……というところ。

 話はいろいろ。どんどんどんどん紹興酒の徳利を並べる。とまらなくなって“もう一杯、もう一杯”となるのは後引き上戸、『もう半分』の八百屋じゃないが悪いクセ だよ。隣の席にいた50代くらいのサラリーマンが、
「いつもテレビで見てます! ためになりますねえ」
 と声かけてくれた。家に帰って
「カラサワセンセイが若い女の子相手に酔っぱらっていたよ」
 とか話すんだろうと思うとオカシイ。

 気がついたら9時半。おぐりを駅まで送り、バスで杉山公園まで。車中思うが、いまの自分は関口さんやおぐりを売るにあたり、ある程度、あちこちの業界に干渉してプロデュースまがいのことも(まだまだ力不足だが)できる立場にある。今朝あったあの子の売り出しや宣伝に対し、あの当時の私はあれだけの素材の子を前にしてまったく力不足もいいところの存在だった。出会う時期というものが人にはある。あの頃 の無力だった自分のことを思い出すと、非常にもどかしい。

 帰宅してメールチェック、寝る。仕事的には竜頭蛇尾だったが、楽しかったのでま あ、ヨシとしておこう。

※最近よく名を知っている人が死ぬ。日記に書き落としていた訃報から、思いつくま まに。
アンドレ・ノートン3月17日死去。93歳。
『大宇宙の墓場』を読んだのは高校一年の頃だ。宇宙戦艦ヤマトの小説版(若桜木虔とか石津嵐とか)の、ストーリィのひどさはともかく、文章の質はなんとかならんかとひとり慨嘆していた頃だったので、同じジュブナイル作家でもやはり海外は違うなあ、などとこの文章(翻訳は小隅黎)を読んで溜息をついていた。それからこの人の作品は出るたびに一応読んだはず、なのだがほとんど記憶がない。100点をねらうよりは手堅く70点を獲得するタイプの作家であって、長く記憶される作品を書くよりはその現在の時点でのファンの満足を優先させる作品を量産する、という作家だったように思う。その意味ではプロ中のプロ、だったのだろう。女性でそういうタイプ の作家は珍しいような気がする。

アン・バンクロフト6月6日死去、73歳。
『奇跡の人』『卒業』『リップスティック』などで名女優の名をほしいままにしていたが、どうも“こわいおばさん”のイメージであまり親しめない女優さんだった。ハリウッドの演技にあきたらずブロードウェイに自ら乗り込み、そこで演技派として頭角をあらわし、当たり役『奇跡の人』のサリバン先生の映画化でハリウッドに錦を飾り、見事アカデミー主演女優賞を獲得、という努力結実派なのも、なにか私のようなグウタラには親しみがわかなかった。ただしこの人、何故かどういうわけかあのドタバタ喜劇のメル・ブルックス監督の奥さん。旦那の撮った『サイレント・ムービー』では頭をぶつけて寄り目になっちゃう、なんてギャグをやってこちらをアッケにとらせた。ただし、それで彼女に親しみを抱いたかというと、やはり偉い名女優が、ときにはこんなオチャラケもやってエラいでしょ、というような部分がかえってハナについたのだからどうにも。『エレファント・マン』の、主人公メリックから秘かな愛情を送られる慈善家の貴族夫人の役も、今の自己満足ボランティアどもの原型みたいな感じで好きでなかったし、『トーチソング・トリロジー』の、息子がゲイであることを理解しようとせず、“ゲイの息子を持った母の会”みたいなところにすぐ所属して自分を被害者の位置においてやっと満足を得る、という役も大変にエグくて、これはなるほど、バンクロフトほどの演技力と、ついでに言えばキャラクターでないと出来ない役だなあ、と感心したくらいだ。しかし、これだけ私の神経にさわる、逆に言えば印象に必ず残る個性を持った女優さんというのもなかなか他にはおらず、今にして 思えばやはり名女優にして大女優だったのだな、と思う。

塚本邦雄氏6月9日死去、84歳。
 前衛歌人として、また一時幻想文学にハマった経験を有するものとしてはその周辺である幻想短歌の大物として、その名は私たちの世代には大きい。訃報を伝える新聞にはたいてい、代表作として
「日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも」
 の歌があげられていたが、こういう物騒な歌(天皇をペンギンに、日本国民を飼育係に例えている)を各新聞が載せて平然としているのは、“無学な右翼ゴロ共にはこの歌の意味はわかるまい”という一流大学出の学芸部記者たちの、秘かなイタズラ心ではないか。とにかく、一件真面目くさった感じの言葉使いの中にただようユーモアがすばらしく、
「乳房その他に溺れてわれら在る夜をすなはち立ちてねむれり馬は」
 など、前衛短歌の傑作でありつつ、“乳房その他”という表現に、何度見ても笑いがこみ上げるのをこらえ切れない。私がなによりもこの人の作品で傑作として推するのを躊躇しないのは短歌劇『ハムレット』。かの三島由紀夫をして“塚本氏は天才である”と言わしめたこの禍々しい作品は
「原典『ハムレット』の雄大な運命劇を、
徹底的な邪悪劇に変革再構成しようとした。元来与えられた性格の裏に、
ハムレットは赤色インディアンより凶悪で戦闘的な、
オフェリアはマノンを凌ぐ悪女の、
ホレーシォは猶太人的冷血漢の、
レアティーズは狂信的な殺し屋の、
ガートルードは無慙な姦婦の、
ポローニアスは三百代言的陰謀家の、
クローディアスは暗愚貪欲の獣の、
それぞれ毒々しい性がぴったり肉づけされ、
それら奇怪な登場人物たちが互みの毒の相乗作用の中でのたうちまわり、
呪詛の渦の彼方に自滅崩壊する、
これがぼくの新ハムレットの構想だった」
 と作者自身がいう、おぞましくも美しい言語芸術の粋だった。
「晴天に
 蒼き血ながれ
 真水は砒素をふくみたり
 えるしのあ
 生(あ)るるもの 蠶 蜉蝣
 弑(しい)さるるもの 雉子 麒麟
 えるしのあ えりあ えろいか」(『エルシノア序歌』より)
 言語というものの魔魅を教えてくれた恩人であった。

エディ・アルバート5月26日死去、99歳。
『ローマの休日』を代表作にあげる新聞が多く、確かにこれで彼はアカデミー助演男優賞にノミネートされているし、双葉十三郎などは
「この映画にグレゴリー・ペックはほとんど貢献していない。しているのはエディ・アルバートの方」
 などとまで言っているが、しかし、われわれがスクリーンでこういうエディ・アルバートを見ることはこれ以外めったになく、あとはひたすら、頑固一徹の軍人役ばかり(『攻撃!』『史上最大の作戦』『壮絶! 第14部隊』、さらには刑事コロンボ『ホリスター将軍のコレクション』)で、そうでなければ刑事とか、刑務所の看守とかといった法の番人であった(『マックQ』『ロンゲスト・ヤード』さらには『華麗な探偵ピート&マック』。いま書いていて気がついたが『史上最大の作戦(ザ・ロンゲスト・デイ)』と『ロンゲスト・ヤード』の二大“ロンゲスト”作品に出ているのだな)。死にあたって、息子のエドワード・アルバートがコメントを寄せていたが、彼も俳優でナイーブな青年役を得意とし、『バタフライはフリー』などで鮮烈な印象を残したが、老けると共に仕事がなくなっていった。親父のように、若いうちから老 けた印象の顔をしていた方が、俳優というのは絶対長持ちするのである。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa