裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

29日

金曜日

ネギトロドンの化石

 鱒斗丼とか、虎子丼とか。朝6時起き。5時くらいに目が覚めたのだが、今日は早めに出て、単行本用写真の撮影があるので、無理に寝床で目をつぶっていた。7時半朝食。スモークト・ヘリングと梨。昨日の原稿直しの続き忙しく、日記UPは明日回しにする。体調不良などと書き続けてきた折から、倒れたかと思う人もいるかもしれない。風呂急いで入り、10時15分、家を出て御徒町へ。

 鶴岡、エンターブレインNくん、カメラマンの川保さんと落ち合い、アラジンに行く。川保さんは鶴岡と雑誌で仕事をしているカメラマンで、武道の達人。×××の××事件のときもそこに同席していたという、歴史の証言者みたいなヒトだが、ちょっと変わっている。川保天骨という名前が大体尋常でない。天骨は号としていいとしてカワホというのは何とも妙な名前だ。聞いたら、本名は川俣なのだが、業界人が読めずに、よく領収書などに川保と誤記されるので、それならと、川保を名乗ることにしたという。黒いダボシャツにダブダブのズボン、それに雪駄ばき。雪駄ばきのカメラマンというのも珍である。クツは持っていないそうだ。

 仕事はとにかく早い。狭いアラジンの店内での撮影は他のお客さんの邪魔にならないか、と心配だったのだが(まあ、それだから早めに時間設定したのだが)、ホンの二十分程度で終了。そのあいだにフィルム数本、撮り終えている。次の撮影場所が3時からなので、メシを食いに行く。せっかく上野に来たのだから、と私の提案で、とんかつの井泉。驚くほどサクッとしたコロモと、ハシでちぎれる柔らかさのトンカツはまだ健在で、うまかった。鶴岡は、ソースを嫌って、トンカツを塩で食べる。胡椒があれば、私もそれで食えるかもしれない。

 それから上野公園で撮影。川保さんと鶴岡の会話がまるきりボケとツッコミの漫才で、Nくんと思わず吹き出す。まだ時間あまるので、喫茶店で時間つぶす。この喫茶店のあたりが上野の黒門町。いきなり桂文楽(先代)の世界である。近くの箭弓稲荷にお参りした。文楽の他、今輔などの名前がある。3時半、古書店上野文庫に行く。古書マニア業界では知らぬものとてない有名店で、昔、数回行ったことはあるが、最近ちょっと訳あって足を遠ざけていた。一時この店に密着していた松沢呉一氏がらみで、さまざまなウワサがご主人の耳に入っている、と聞いていたためであるが、つい先日、どういう風の吹き回しか目録が突然送られてきて、これは来てくださいよ、というメッセージだろう、と受けとって、今日の撮影となったものである。ご主人といろいろ話、撮影。古書ゴロのOの近況が聞けただけでもめっけものであった。ただ撮影して帰るわけにもいかず、もちろん、ここはサブカル研究者にとっては宝の山で、私も手を空しく帰るわけもない。犯罪実録もの十冊程度(このテがここの店は何故か比較的安いことを発見)、数万円ほど買い込む。撮影は、こっちが本を見ているうちに終了。店を出たところにある交番前の小公園に、災害時一時避難所という看板がある。それはいいのだが、“一時避難”に“いっときひなん”とルビが打ってある。なんだこの読みは、とみんなで騒ぎ合う。

 別れて、地下鉄銀座線で帰宅。やはり眠くて仕方なかったので、少し横になる。山下武『鳴呼、懐かしの金語楼』(小学館)を読む。山下氏は古書評論家としてわれわれには著名だが、金語楼の長男でもある。父を天才と素直に記す著者のストレートさには好感を覚えるが、この本はその天才性、時流に乗る才能を賛美するばかりであまり深みがない。まあ、金語楼という存在を知らない読者が大半なのだから、こういう書き方も仕方ないのかもしれないが、ほとんど内容が重複する実業之日本社『父・柳家金語楼』(1983年刊)を読んでいる者にとっては、敢えて読む意味のない本。後者の方は、金語楼の女性遍歴の陰で泣いた著者と母のことや、病的なまでの人嫌いの素顔を隠し通した金語楼の複雑な内面、また晩年、仕事が無くなって失意の状態にあった姿まで書き込んであり、はるかに読み応えがある。面白いと思ったのは、徳川夢声原案でヘンリー・小谷が監督した無声映画『酒』のスチール図版で、どちらの本にも掲載されているのだが、そのスチールが微妙に違う。これは金語楼の映画初出演作であり、落語の『後生うなぎ』を、三代目柳家小さんの隠居と、金語楼のうなぎ屋というキャストで演じているのだが、『父・柳家〜』の方では二人がただ、向き合っているだけの場面の写真だったのが、『鳴呼〜』では、ちゃんと信心家の隠居に買い取らせようと、うなぎ屋がネコを包丁でさばこうとしている場面のスチールになっているのである。図版としてはこっちの方がずっと面白い。たぶん、1983年の段階でこの図は悪趣味と判断され、無難な写真の方に差し替えられたのではないか。この写真一枚で、『鳴呼〜』は価値がある(ちなみに、落語ではうなぎ屋がさばこうとするのはネコではなく、自分の赤ん坊である。これは、映画が作られた昭和二年には、そのストーリィでは許可されなかったためだろう)。

 7時半、買い物に出かける。出掛けにK子とスレ違う。明日の朝のものなどを神山町のスーパーで買い、待合せの焼鳥屋に行ってみると満員で断られる。ここ、親父さんがケガしてずっと休んでおり、それが心配だったので、再開していたのでホッとした思いで、お見舞がてら、と思って寄ったのだが、そこで満員と言われると、人間というのは勝手なもので、せっかく心配して来てやったのに、という思いになり、顔をしかめて引き返してしまう。どうもいかん。神山町の豆腐料理屋に場所を変更して、K子と夕食。ノドグロという魚(以前、金沢で食べたことがある)があるので、煮付けと塩焼にしてもらう。淡白で滋味があり、結構な味。こないだスーパーでも売っていたが、掌ほどの大きさだった。金沢で食べたのもそれくらい。今日のはカマの部分だけでも大人の両手の掌を合わせたくらいあり、大きさに驚いた。

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