裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

10日

日曜日

結合三匹

 犬の3P(下品ですいません)。タガンダン、タガンダンという列車の響きにウトウトとしているが、時間調整のため、やたら停車する。そのたびに目が覚める。創元推理文庫F・ブラウン『不思議の国の殺人』を読む。一等寝台は上下の二段(私は上段)だが、これが二等になると三段になる。この一等車も、いざとなれば三段にすることが出来る作りになっている。二段でもさなきだに押し込められている感じがする のに、三段ではまさにアウシュビッツ状態であろう。

 7時に起きて身繕い。やはり室内に洗面台があるのは快適。やっとまっとうな安全カミソリでヒゲを剃れる。客室乗務員はかわいらしいお姉ちゃんで、彼女が一人で全部まかなっているので、朝飯(乗車したときメニューに希望を記入して渡しておく)が到着直前になる。ハム、ソーセージの薄切り、パン、袋入りのライ麦ケーキのようなもの(まずい)、オレンジジュース。それに、ゆうべウィーン駅で買ったプラム、リンゴなど。時間ちょっと遅れて、8時50分、ベネチア・サンタルチア駅(恥ずかしい名前だね)着。K子が“さあ、これからは回り全員がドロボウなのよ!”と大ハリキリである。

 ベネチア名物水上バスでホテルへと向かう。安達Oさんが十数年前に来て、貧乏アジア人とみなされて犬でも扱うように追っ払われた旅行会社がまだあったとか。水上バス、なかなか快適だが回り全員観光客。ヴィスコンティの映画のような耽美ムードなどネコのノミほども無し。太ったサングラスの派手々々おばさん(ツアーガイドのようだ)の声がデカいのなんの。外見といい身振りといいしゃべり方といい、いかにもイタリア人という感じで、アメリカ人の乗客が笑っていた。

 有名なサンマルコ広場(クラコフの中央広場が、“広場としてはサンマルコより面積が広い”とライバル視していたが、やはりこっちの方がスケールが大きく見える)を横切り、そのすぐ近くの商店街を裏通りの方に抜けると、今夜の宿であるホテル・コンコルディア。由緒あるところらしいが、せまい路地のところにある入口からコソコソと(何もコソコソしなくてもいいが)上がっていく。チェックはまだなので(海外旅行でイヤなのはこれである)、荷物のみ預けて、観光に出かける。当地では別 段特別な予定もない、ごく一般的なおノボリさんである。どうもこういうフツーの観光は慣れておらず、精神的苦痛を感じる。どちらかと言えば、私やK子は海外に言っても人の見るようなところは見ないで、スーパーマーケットとか薬局とか本屋とかばかり回るタイプなのだ(駅の売店とかに案外、オモシロイものが多かったりする)。

 サンマルコ広場で、ヘミングウェイだか誰だかが座った椅子のあるという有名な喫茶店に入るが、大したことなし。ひっきりなしに日本人観光客が入ってくる。それだけで、何かケガラワシイと感じるのがおかしい。向こうもそう思ってるかもしれぬ 。広場で何やらセレモニーをやっているが、ほとんど盛り上がらない。ハトが凄い。エサを売っているところなどは浅草の観音様である。子供たちが買ってもらってエサをやっているが、一人、かわいらしい五つくらいの少女が、ただやっているのに飽きたらしく、エサを大目にまいて、わさわさとハトが集まったところを、ムンズと手づかまえにする、という遊びを始めた。最初はうまくいかず逃げられるが、だんだんコツをつかんでうまくなる。しまいには、百発百中、ガッ、とハトをつかまえられるようになった。で、つかまえるとうれしそうにキアーと奇声をあげ、それをバシッと放り投げる。親は注意してやめさせようとするが、回りの観光客が面白がってバシバシ写 真を撮っている。将来は立派なハトハンターになれよう。

 日曜なので子供、特に少女が多い。談之助がいないのが残念である。路地裏で親がオシッコさせているところまで目撃した。水辺を歩き、海の近くのシーフード&パスタのレストランに入る。表でメニューを見ていたらすぐ、日本語のやつを持ってきやがる。ボーイがまた変な日本語をあやつって、“エビ、スコシ、スパゲッティ、スコシ、スコシ、クロダイ”などという、盛り合わせメニューを勧める。クロダイなどという日本語を知っているには恐れ入る。どうも日本人へ出す定番メニューらしく、後から入ってきた一団もそれを食っている。しゃらくさいが、ちょっと疲れているのでそれを頼むことにする。さすがにまずくはないが、まあ、これなら日本でも食えないことはない味。安達Oさんが物足らなそうなので、他にパスタ二皿、おかわりする。ワインのハーフボトル赤と白。それにイタリアンビールイッパイで一人十万リラ(七千円くらい)。おのぼりさん値段だな、こりゃ絶対。

 まったく、リラというのは額面がデカくて、金銭感覚が狂う。ワインに酔って金を落っことしかけたりしたので、現金は全部K子に管理してもらい、そのつど貰うことにする。帰り道、おみやげ屋を冷やかすが、道の両側にずらりと並んでいて、浅草仲見世といった感じである。シンプソンズグッズのリュック(バカでかいホーマーの顔のやつ)がある。これだってどこでも買えるものだろうが、日本円で二○○○円、という安さについ、買ってしまう。ベネチアングラス製のピカチュウやサウスパークがあるが、高いのでこれは買わず。ピカチュウの人気はこっちでも凄いもので、あっちにもこっちにもグッズがある。パチもんを探したがみな、マルCものばかり。

 マスカレードのお面、俗なので買わないでいたが、中世のペスト医者の仮面(患者 に顔を近付けすぎないよう、鳥のクチバシのようなものが突き出ている)はひとつ欲しいな、と思って探していたら、ある店の前で白衣のおっさんが出てきて、“アイムマエストロ!”といばり、自分が絵を描いたお面を買え、と勧める。まあまあのものだったので一つ購入。お値段もちょっとよし。並んで写真一緒に撮る。おお、やろうと思えば観光客できるじゃないの。そこからホテルに帰ろうとするが、道に迷ってしばらくウロチョロする。Bさんが橋の上から下を通るボートに道を訊いたのが、なんとなくベネチアぽくていい場面だった。あっちゃこっちゃ彷徨したあげく、水上バス亭からまた水上バスに乗って帰る。

 ホテルの部屋、思ってたより快適。路地に面しており、窓から下をのぞくと買い物客の雑踏が見え、教会の鐘が鳴るという、何かイタリア〜ンなセッティング。もっとも、この鐘は三○分に一回鳴らされて、いいかげんうるさい。安達ズはすぐにまた観光に出かけるというが、私らは部屋で休息を取る方を選ぶ。旅も中盤、さしたる予定もないベネチアでは体力を温存したい。シャワー浴び、テレビつけるとルパン三世、それも『風魔一族の陰謀』をやっている。イタリア語吹替えで、フジンコだのゲーモンだのとやっているが、果たしてこの純日本調の話がどれだけイタリアの子供にわかるのか? 吹替えの声優が、山田康夫でもクリカンでもなく、ちゃんと古川登志夫の声質だったのに感心。もっとも、他の作品も同じ役者がやってるんだろうが、元の声の芝居を写しているのである。やはり、私には名所観光よりこういうものの方がオモシロイ。他に、ダニエラ・ビアンキの出ているB級マカロニ戦争もの映画などを見ながら三時間ほど休む。少し仕事しようとワープロ持ち出すが、電池の消耗の激しいこ とに呆れ、放棄。

 6時45分、ロビーに集合。広場を横切って、ゴンドラに乗って運河めぐりというこれまた通俗なことをする。他にやることがないからしゃあない。海から運河に入るのだが、海がちょっと荒れていて、少しスリルがあった。40分ほどで終わり。金がある連中はもっと飾りたてたゴンドラに、アコ弾きなぞを乗せて、サンタ・ルチアをかなでさせておる。観光はバカにしている私だが、ベネチア湾の、向こう岸の白亜の城館の上の夕暮れ空に、白い月がかかる図などというのは、やはり実際に見てみなくては味わえぬ情景だ。夕メシは旅行ガイドにオススメとある『VINO VINO』なるバカリ(ワインバー)に行くが、長蛇の列。なんとか店の中に入れて交渉するが気をもたせといて結局ダメで、追い出される。K子、人種差別だわよ! とフンガイする。この店を探していたときに、次点で目をつけておいたリストランテに入り、路上の席につく。Bさんがかなり細かにメニューを点検し、ボーイと英語(少しイタリア語まじり)で交渉。ここらへん、私ならメンドくさい、とおまかせにしちまうところだが、このネバりは学ばねばならん。結局、ムール貝とアサリの塩茹で、キノコのリゾット、オマール海老のグリル、それとスズキの岩塩焼き。ひと皿を取って分けるというと、ボーイが、ウチの店の料理はベリリトルだから増やせ増やせという。スズキなどは500gしかない、というが、500gのスズキと言えば大したもの。やがてまたボーイやってきて、今日は800gのスズキがあったのでそれにする、と恩に着せる。・・・・・・で、この店、結局ここにして大正解、という味。リゾット(やはり四人で分けてちょうどいい量)もうまかったし、オマールも昼のとは雲泥の差の味。なかんずくスズキの岩塩焼き(岩塩でくるんでオーブンで焼く)は、四二年生きてきて今まで食ったスズキのうち、一、二を争う濃厚な滋味。淡白な中に魚のうまみが封じ込められている。ドルチェ(デザート)まで食べて、お値段四人で八十九万リラ。一人一万二○○○円といったところ。さすが、味に見合ったお値段。カードで支払ってみんなから割前を取る。隣の席に、ネッド・ビーティそっくりのデブが、同じく超デブの女と坐っていた。帰り、サンマルコ広場を通ると三ケ所くらいにミニ楽団のボックスが出来ていて、みんなワインを飲みながら音楽に耳を傾けている。少したたずんでわれわれも聞いていたが、空には月明り、回りは石造りの館や教会というムード満点のロケーションで、なるほどイタリアに若い女の子があこがれるわけ。ちょっと、通俗な観光もいいかな、という気にさせられた。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa