裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

30日

木曜日

ジョイ・ウォン核融合

 チャイニーズ・シンドローム・ストーリー。朝8時起床。体がグニャグニャしている感じ。気圧は安定したようだが、湿度が凄いこと凄いこと。朝食、イチジク、ヨーグルト、青豆のスープ(冷製)。やっと、と学会のパティオに芝崎くん参入。ひと安心。いろいろとサジェスチョンしたいと思うが、今日はその元気もなし。猫もやはりこの数日の天候に参っているらしく、居間のじゅうたんの上に少しもどしていた。飼い主は吐き気こそないが、全身ダルく、汗にも何か甘ったるいような異臭が感じられる。メガネの鼻あての部分を見たら、その裏側の部分に、油のようなものがかなりの量、べっとりと付着していた。これは天候には関係ないだろうが、一体何か?

 12時、どどいつ文庫伊藤氏来。注文しておいた本を持参してくれる。業界のヘンな人たちの話となり、伊藤さんなら奇人変人あたりとは普通につきあっているでしょう、と言うと、イエそんなことありません、と謙遜しながら、いろんな人のエピソードを紹介してくれる。最近知り合ったお得意さんは道祖神の研究家で、通称を“ちんちん先生”と言い、いつでもカバンの中に、男根像のコレクションをぎっしり詰め込んでおり、ちょっとでも話がそっちの方に触れると、いきなりそこが喫茶店だろうとラーメン屋だろうと、カバンから次々にそれらちんちんを取り出して並べ、えんえんと解説を始めるという。この先生には一度紹介してくれるそうだ。

 2時、外へ出る。明治神宮前のビル工事現場に、大きく“墜落災害の絶滅”というスローガンを書いた垂れ幕がかかっている。“防止”とか“根絶”とかいう文句はよく見るが、ゼツメツは凄まじい。注意を喚起するためにどんどん過激なコトバを用いているうちに、“絶滅”にまで至ったのだろう。こういう言葉使いの大仰化は嫌いではない。

 六本木まで行き、銀行で契約更新料として家賃ひと月分をおろす。何ゆえに更新のたびに料金を支払わねばいかんのか、不合理だとは思うが、しかしここ数回、更新しても家賃はずっと据え置きのまま。やはり、隣にアムウェイのビルが建つなど、住居環境がどんどん悪くなっているおかげであろう。確かに、階下(うちのマンションはメゾネット方式である)の書庫などにほとんど陽が当らなくなったが、書籍にとっては陽当たりはかえって天敵だったりする。同じ古書コレクターの藤倉珊氏に、以前電話で“書庫にほとんど陽が当らなくなりましてねえ”と言ったら、言下に“それはよかったですねえ!”とめでたがられたくらいである。

 昼飯は江戸一の回転寿司にしようかと思ったが、手近で行こうと吉野屋の牛丼ですます。今日の私の牛丼の食い方は我ながらほれぼれする手際であった。入って並とオシンコを注文し、それが運ばれるや、肉をハシで寄せて、少々空間を作り、そこにオシンコの小皿をバッとあける。肉とオシンコのダブル丼になるわけである。肉は寄せられた分、層が厚くなって味が濃くなる。この濃密な肉部分と、酸味のあるオシンコ部分を交互々々に、丼を片手に持ったまま、ガシ、ガシと食いかいていく。入店から4分30秒で全てを食い終わり、お茶を飲み干して口中を浄め、料金380円(並丼290円とオシンコ90円)をカウンターにチャッと置き、つまようじを一本ヒョイととると口の端にくわえて店を出た。何か、自分が一分一秒を無駄にしない企業戦士にでもなったような気がして、そのカッコよさに自己満足しながら地下鉄に乗り込んだのであった。呵々。

 帰ってニュースみたら、回転寿司の開発者の白石義明氏、死去。87才。うーむ、さすがの西手新九郎も夏バテで、ちょいハズしたようである。小沢昭一の『私は河原乞食考』の中に、大阪人の直截的発想の典型例のひとつとして、特出しストリップと共にこの回転寿司のことが記載されている。昭和40年代当初、回転寿司は江戸っ子の目に情緒こそないがいかにも現代的な発明として映ったのである。それから三○数年、いまや回転寿司は日本を制覇し、世界をねらっている。これが大阪出自のシステムであることの証左として、初期の回転寿司には必ずバッテラが混じって回っていた(嘉門達夫の歌でも歌われていた)が、最近はそれも無くなってしまった。私は日本を代表する科学技術のあり方として、H2ロケットよりも回転寿司の方に感心する。

 ロフトの斎藤さんから電話で、本多夫人とのトークの件。一応、前準備はこっちでしておくから、と伝える。その件で開田さんからも電話。ちょっと詰めた打ち合わせをする。『大江戸ロケット』の東京公演チケットが取れますが、という話もあったのだが、確認してみるにスケジュールが合わない。残念。それからしばらく電話頻々、旧知のA氏から昨日だした葉書の返事がもう来た。企画を売り込むルートの有りや無しやを問い合わせたのだが、向こうも乗り気で、いろいろ積極的にご紹介します、といってくれる。今年の終盤にかけて、ちょっと新分野にチャレンジしてみるか。

 体を縛られて水桶につけられていた感じの状態だったが、夕方からやっと体調も回復し、サンマーク原稿。編集のTさんからもはげましのメールなどが来る。それにしても一日二○枚が限度だなあ。8時、K子との夕食のために出ようとした寸前に向こうから電話。井上デザイン事務所の女の子のAちゃんの今日は誕生日なので、みんなで三笠会館で食事しよう、という。三○分ほど遅れで新宿へ。井上デザインの四人と合流。メニューは私が交渉して、刺身風サラダ、小イカのパスティスソース、ニンニクとトウガラシのパスタ、スポルト小麦のリゾット、黒豚ヒレ肉のシュニッツェル、それにカサゴの空揚げ。もちろん、一人でこれ全部食べるわけではなく、六人で取りわけて食べる。今日は素材もよかったのかこの選択どれも成功で、特にオードブルの刺身風サラダは白身魚がプリプリと弾力あり、赤コショウ粒の風味とマッチして上品なおいしさ、一方小イカの方はいささか漁師町風な下世話な味で濃厚だが、Aちゃんもみんなもソースに感激、パンで最後まできれいにぬぐい取って食べていた。これくらいおいしがってくれると料理を選択したかいもある。体調復したか、昨日に比べ酔い方もさわやかだった。ただ、デザートのチーズケーキまでやったのは食べすぎ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa