裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

19日

日曜日

花咲かファジー

 咲いたような、咲かないような。朝7時に目が覚めるのはまあ、習慣。朝食は8時半に睦月さんと食べようと約束しているので、しばらく資料本など読む(こういうところにまで資料本を持ってきているのが情けないというか)。シャワー浴びて、テレビの自然番組を見る。自然番組が楽しみになると精神が老化した証拠だというような論をちょっと前に聞いたばかりだったので、苦笑する。

 朝食、睦月さんと和食レストランで。千葉だけにアジの干物が出る。さすがニューオータニだけあって、なかなかおいしい。まあ、まずかったら怒るよ、というような宿泊代ではある。睦月さん、とにかく今は仕事ばかりの毎日だが、それが楽しくて仕方がないという。私も仕事が嫌いな方ではないが、ここまでの境地にはなかなかなれない。K子、来年のSF大会には企画を出す、という。B級貸本マンガ作品に参加者みんなでツッコミを入れて、それで完成したツッコミ本を、冬のコミケに出すという企画。これはなかなかいいのではないか、と思う。私はSF大会参加はトンデモ本大賞があるから義務的になっているのだが、参加したからには自主企画を出さないとつまらない。コミケもそうだが、ただの参加者になるか、自主企画や自作同人誌を出すか出さないかで、楽しさは数倍違う。食後、ラウンジでコーヒーを飲み、また雑談。睦月さんはここで帰る。

 皆神さん、志水さんの企画などをのぞき、広場をもうひと回り。真ん中に立てられているモノリスに注連縄が張られ、その下にお賽銭の十円玉が散乱している。超越的なものに対する日本人の平均的反応と言えようか。ダイコンのときの実行委員長さんと挨拶。そのときのエンディングビデオを見る。潮さんのトークもワンシーン。あれからもう7年か。あのころは確かに、SF大会に参加するというだけで嬉しかった。

 12時、京葉線で帰京。東京駅地下街のそじ坊でからみもちそば。そじ坊という店名を前からヘンな名前だと思っていたのだが、漢字で書くと“蕎路坊”であることがわかる。“蕎”一字でソと読むか? 揚げ餅の油でちょっと胸が焼けた。

 家に帰り、ひと休み。ちょっと横に、と思ったら一時間くらい眠ってしまう。やはり疲れがまだ残っていたか。昨日の日記をつけはじめるが、これが書いても書いても終わらない。やはりイベントというのはドラマチックなのだな、と改めて思う。電話数本、いずれも仕事がらみ。母からも電話。まだ葬儀の後始末がいろいろ忙しいらしい。11月あたりの上京のこと、伯父のことなど。

 官能倶楽部パティオで安達さん、開田さんなどに大会の挨拶と御礼。安達Oさんは鶴岡などとテルミンの実演をやってきたらしい。Oさんの日記にある、山田正紀氏のSF冬の時代のエピソードがすさまじい。私は、一ぺんSFというものを初期の極めて刹那的で安っぽいものに回帰させるべきなのではないか、と思っている。いろんなところでもう一○○ぺんくらい引用した言葉だが、“文化ジャンルが煮詰まったときには、一度最も幼稚なところに戻って再出発しないと新しいものは築かれない”(郡司正勝)のである。下手な進歩主義はジャンルを焦げつかせてしまうだけで、役に立たない。大月隆寛がらみで取り上げた『本の雑誌』の読者欄にも、“これはSFではない”という評論家O氏の発言に怒った読者(30歳会社員、女性)から、“どうもSFのファンの人とゆうのは、SFが一番エライと思っているフシがある”という指摘があり、こうウンチクが多すぎる分野には初心者が入ってこない、と憤っていた。識者が眉をひそめるような分野こそ、最も隆盛する分野である、ということの認識を新たにすべきではないかねえ。

 8時半に家を出て、新宿に行き、K子と待ち合わせて三笠会館で夕食。こっちのことをお得意扱いしてくれて、サービスよろし。メインに頼んだイサキの塩焼き、二人で分けるつもりが、量がかなり多く、ほぼ二人前はある。腹がかなりくちくなった。ワイン一本あけて、いささか酔う。これでお値段は寿司や天ぷらよりずっと安いのが 不思議。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa