裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

6日

月曜日

「あの人はえらい哲学者なんやでえ」「へえ、ハイデッガ」

「えらい文学者なんやで」だったら「へえ、サイデンステッカ」。朝7時15分、起床。凄い曇り。“凄い雨”とか“凄いいい天気”というのはあるが、“凄い曇り”という表現はあまりないのではないかと思われる。しかし、空全体を覆う雲の厚さといい、朝だというのにどのビルも灯をつけたままの薄暗さといい、全体的なすさまじいドンヨリ感といい、“凄い曇り”という表現が非常にぴったりする。朝食、ガスパッチョと白桃。

 午前中はネットでの資料検索で過ぎる。2時近くまでかかって、Web現代をアゲる。今回はネタがフランス書院文庫。面白いと思ったのは、官能小説によく登場するティッシュペーパーの表記が、作家によってティシュー、テシュー、ティッシュペーパー、トイレットペーパーなどいろいろと異なる(綺羅光はティシュー派、高竜也はティッシュペーパー派)ことで、これは自宅で使用しているティッシュのメーカーによる影響ではないかという指摘。クリネックス、スコッティ、ネピアなど、メーカーによって表記法が違うのだそうである。ちょっと調べてみたらなるほど、クリネックスはティッシュ、ネピアはティシュ、スコッティはティシュー派のようである(クリネックスにはティシュー表記もあった)。高信太郎のマンガで、山岡鉄舟が発明したから鉄舟ペーパー、というのがあったっけ。

 2時にアゲて、新宿に出て銀行に寄り、メシを食おうといろいろぶらつくが、何か食欲がわかない。食欲がないなら食べないでいるのがダイエットには一番いいのであるが、何か食べないと、という強迫観念にとらわれ、結局ミソカツなどというカロリーの高いものを食べてしまう。後悔。ギムネマをのんでいただけ救いか。

 帰宅して、洋泉社新書『クラシック批評こてんぱん』(鈴木敦史)を読む。中に小さな正誤表が挟まれているが、誤記のスケールは小さいどころではなく、表紙にもカバーにも堂々と(当たり前だが)記載されている著者名が全部まちがい。鈴木敦史、ではなく、鈴木淳史が正しい。著者は以前にもこの洋泉社新書で本を出しており、まず普通では考えられないミスである。あまり大きすぎて誰も気がつかなかったという『盗まれた手紙』的なものか。普通なら全部回収して(カバーだけでも)印刷しなおすところだろうが、正誤表一枚はさんだだけでそのまま出してしまうというところがさすが洋泉社、胆が太いというかなんというか。その文言に曰く、
「編集者が校正中に読んでいた池宮彰一郎『本能寺』(毎日新聞社)に頻繁に登場する幸若舞“敦盛”の、修羅の苦しみと浄化が本書の内容を髣髴とさせたために、“淳史”を“敦史”に変貌させてしまったものであり、本書の内容に関してはなんら影響するものではありません」
 だそうな。これが言い訳として成立しているかどうかは別として、自分の著書に名前を誤記された著者に対するお詫びが一言もないのが凄い。編集者の気質か、こういうことを気にかけない、太っ腹な著者であるということか。珍書コレクターにはそのうち(この訂正表つきで)人気の高い本になることだろう。

 まあ、そういうことは措いても、この本、内容はメチャクチャに面白い。クラシック音楽に関する有名無名の批評を批評する、という試みで、読んでも音楽のことには何ひとつくわしくならないが、クラシックというワクを超えて、批評の独立性、批評家個人における内部と外部の認識、西欧の文化を日本文化の文脈に置き換え、また引き寄せて批評することの是非にまで及ぶ、出色の“批評論”になり得ている。著者は一九七○年生まれという新人類世代、地の文章もあるところでは悪ふざけ気味にぶっ飛び(これが基本形)、ある個所ではいやに生真面目な文体となり、またある部分では妙に白けた冷やかさで書き流す、よくも悪しくもこの世代の文章の典型である饒舌体。その文体の選択自体がクラシック全体に対する嫌味になっているのだろうが、私などにはテンポのよすぎる分、上滑りしているように思えて、もったいなくて(いいこと言っているのに、と)仕方なかった。はしゃぎ方を抑えて慇懃無礼で押し通した方が嫌味は痛烈になると思うがそういう芸風ではないか。

 引用文献は音楽専門誌から幻想文学雑誌、マニアック極まる同人誌、岩波文庫から聖教新聞、2ちゃんねると多岐に亘り、それぞれへのツッコミを読んでるだけで楽しいが、著者自身の分析・主張に対する批評眼も、もう少し機能させて欲しかった部分もある。日本の音楽評論、及び音楽聴取が、演奏会よりもレコードというモノに偏重 するという伝統はあらえびす(野村胡堂)が作ったと断じ、それは
「モノを介したほうが批評対象と適度な距離が保てるということなのだ」(93P)
 といった心理学的な視点で分析しているが、ほとんどの読者は、“それは日本においては演奏会に出かけるクラシックファンよりも、レコードやCDで演奏を聞く一般ファンの方がはるかに多く、ニーズがあるからではないだろうか”と思うだろう。

 夕方になってから気圧がぐるんぐるんと音を立てるように流動し、体が完全にコワれた感じになる。頭も何も正常に動かず。8時、K子の希望で『船山』で食事。刺身盛り合わせとタカベ塩焼き、あとかきあげでごはん。タカベという魚、姿形もパッとしない地味な魚で、味もあちこちで食べてコンナモンカと馬鹿にしていたのだが、今日のタカベは焼き方がうまいのか、外側が干物のようにパリッとしていて、箸を入れた途端、ほわっ、という感じで白い湯気があがった。ホクホクした身を口に運ぶと、魚のうまさが凝縮されたという感じで、うまいのなんの。やはりいいものを食べてみないと真価はわからないということか。体調はさらにひどく、早く酔っぱらうに限ると、生二ハイ、日本酒三本ガブガブ。帰宅して、気絶するように寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa