裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

14日

火曜日

マーマーヤナ

 教授、このインド叙事詩の翻訳の出来はいかがですか。朝、7時45分起き。朝食はクレソンスープ、イチジクとヨーグルト、それに梨。読売新聞の天声人語欄(と、言ったら怒られるか。何て言ったっけ)に、小泉首相の靖国参拝に関して、昨日の私の日記と同じようなことが書いてあった。もう少しヒネったことを書くべきだったかと反省。

 盆で帰省していた芝崎くんから電話。明日、冬コミの〆切なので申込みをしてきます、とのこと。なんでこんなに冬コミの〆切というのはタイトか。と学会、今回は十分な黒字が出たので、冬コミ用にペーパーの作成をしましょう、とパティオに提案。

 エフコメディの裏モノ会議室への書き込みがここのところまた活性化状態である。ベトコンラーメンについての話題がツリーで伸びているので、それからの連想で銀座のベトナムラーメンのことを書き込んだら、コメントがついた。読んだら無性に行きたくなってきて、昼に銀座に出て、食べてくる。

 このベトナムラーメン、最初に行ったのはまだ大学のころ、弟のなをきと一緒だった。二十年前のことである。そのころはこれが銀座の店かという古い汚い店鋪で、中に入ると巨大な天狗のお面が飾られ、ヌードポスターだのSMイラストだのがベタベタと店内じゅうに貼られ、ちょっと異様な雰囲気だった。何もわからないまま、名物というラーメンとチャーハン、それにギョーザを頼んだわれわれの目の前に、丼と皿がひとつにつながったマカ不思議な容器(それもバカでかい)がどーん、と置かれ、その真っ黒い不気味なスープの中に、極細のメンが、左様さ、普通のラーメンの四玉ぶんくらい入っており、あんかけの野菜炒めがその上にドチャッと乗せられていた。そして、食っていくと、スープの中に、何やらこれまた真っ黒いものがゴロゴロ入っている。これがなんと、ニンニクの醤油漬けであった。これがまあ、十数個、丸のまんま放り込まれているのである。食っても食っても麺は無くならず、どころかスープを吸って無限に増殖するかと思われ、おまけに知らぬこととは言いながら、このうえさらにボリュームたっぷりのギョーザとチャーハンが来る、と思ったとき、私の脳はブラック・アウトに陥った。

 この店にはそれから数回、立ち寄ったが、毎度、そのボリュームに圧倒されて、味わうというより“挑戦する”という雰囲気で、打ちのめされて帰るのが常だった。その後、ここが銀座の再開発によって姿を消したときには、何だかホッとしたことを覚えている。それきり忘れて十数年の星霜は夢のように過ぎ、このツリーで記憶を新たにして、ちょっとネット検索をかけてみたら、なんとあのベトナムラーメンは、その場に建設された文具の伊東屋のビルの地下で営業を再開しており、店の名前こそ『八眞茂登(やまもと)』とヤンキーの落書きみたいな名になっているが、いまだに往時と変わらぬベトナムラーメンを出しているというではないか(こういうときはネットというのは便利なものだ、とつくづく思う)。しかも、そのネットでも、それからエフコメのコメントでも、“最近はずいぶんあっさりしたものになった”と述べられている。それならば、今の私にも食えないことはあるまい。早速出かけてみた。

 真夏日の陽射しがカッと照りつける銀座2丁目。『ITOYA』のおしゃれな看板の文字は、とてもベトナムラーメンと結びつかないが、裏に回ってみると、果してありました、『八眞茂登』の看板。地下へ降りる階段の入口まではきれいで、やはり再開発なのだなあ、としみじみしていたら、店内は油にウス汚れて、テレビで『ちゅらさん』の再放送が流れっぱなし。テーブルも椅子もぞんざいで、おしゃれなOLなどの姿はカケラもなく、ワイシャツ姿のサラリーマンと、昼からビール飲んでる職業不明のおっさんたちが数名。冷房はあまり効いておらず、扇風機が物憂げに首を振っている。天狗の大お面やSMポスターこそないものの、かつてのベトナムラーメンの雰囲気そのままではないか。“食券買ってください”とおばさんに声かけられて、初めての客はたいてい、食券の自販機探すが、そんなものはなく、そのおばさんから食券を買うシステムというのも昔のまま。ああ、十数年前に戻ったみたい、と感動した。

 もちろん、注文はベトナムラーメン(正しくは“ベトナム麺”らしい)。待つことしばし、再会したソレは、本当にいささか往時より小さくなっていた。丼も、皿とは別々で、量も半分くらい(つまり、普通の麺二玉分になった)。とはいえ、真っ黒いスープ、さらにその上にあんかけ風の野菜炒めが乗っているのは変わらず。醤油漬けニンニクも健在。数が減ったのは丼が小さくなったためだろう。いくぶん、現代風になってのお目通りである。真っ黒く煮染めたようなシナチクとか、焦げ臭いだけで味もなんにもないチャーシューとか、食べるうちにじんわりと懐かしさがこみあげてくる。唯一驚いたのは、ニンニクがただの醤油漬けだと思ったら、酢醤油漬けだったこと。昔もこうだったか? それとも流行りの健康食品ブームでこれに変えたのか?

 ともあれ、あの当時より胃腸は弱くなったとはいえ、ウエストは倍くらいになっている。なんとか全部を(スープは残したが)食べ終えられたのは重畳。お値段はイッパイ1000円。お盆シーズンにもかかわらず、昼時のサラリーマンで店はなかなかの繁盛。表向きの感じから、しゃれたチャイナレストランだと思って入ってきたらしいアベックが、店の薄汚さと狭さに驚いて逃げ出していったときは、ザマアミロ、貴様ら如き軟弱モノの来るところではないわ、と心のうちで叫んでしまったね。

 食い物の記憶というのは、不思議と、まずかったもの、変てこだったものほど強く脳細胞に焼きつけられ、後になってから猛烈にそれとの再会を渇望したくなる。これは、そういった“他の場所、他の時代にはない”食い物が、自分の過去のある時期を思い出させてくれる示準化石になるからだろう。そして、昔ながらのその味に出会ったとき、あなたの舌はあなたの体を離れ、ノスタルジックゾーンへと入っていくのである。

 いい気分になって、山野楽器に立ち寄り、たまっていたサービスポイントを使ってCD類を買い込む。探していた牧伸二の『ホンモ・ホンモ』が入っている『牧伸二のウクレレ人生』が手に入ったのはウレシイ。銀座で今日は二つ、いいことがあった。会計のお姉ちゃんがまた、美人で親切でいい気分にさせてくれたが、さっきベトナムラーメンを食べたばかりということを忘れて、顔を近付けてしゃべってしまったのは気の毒なことをした。ニンニクの匂いでかなりヘキエキしたのではないか?

 帰宅、さっそく『ホンモ・ホンモ』を聞く。山本竜二が自分のテーマ・ソングにしているというレゲエ調の大ノリソング。
「♪男みたいな女が増えて、女みたいな女がいない、これじゃ世の中アンガアンガアガ、ホンモホモホモ、ホモモンモン……」
 まあ、ロートルの世の中嘆き節ではあるが、青島幸男のような説教(『これで日本も安心だ』とか)にならずに、ナンセンスソングに昇華しているところがいい。同じく収録されている『マキシンのバナナボート』のカルトっぷりも凄まじい。93年の時点で“政治に宗教、エイズにガン、やんなっちゃったおどろいた”と宗教を“やんなっちゃった”の中に入れているところなど、予言っぽい。サリン事件の2年前で、このころ、中沢新一ら知識人たちは、オウムを大絶賛していたのである。

 9時、家を出て、半に新宿でK子と、クリクリのケン&絵里さんと待ち合わせ。東口の『紅房子』へ行く。ケンさんたち、盆休みに山の方へ出かけるつもりがバンが故障してしまい、やることがなくなったので盆休み返上で店を開けることにしたのだそうな。で、15日か16日に一緒に食事する予定が流れたので、今日飲もう、になったもの。ワイン、青島ビール、紹興酒など飲みながら、12時までいろいろと話はずむ。絵里さん、やっとここのサイトを見ることができるようになり、佐々木歯科にも日記のこと教えたそうである。うわ、好き勝手なこと書いているんだけどなあ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa