裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

30日

水曜日

キチガイアソシエーツ人名事典

 デンパ人間を網羅!(ホントに欲しいな、こういう事典)。朝、7時半起床。朝食はコンソメスープとリンゴ。田中真紀子、鈴木宗男、野上義二の三人がクビのニュースでテレビも新聞も持ち切り。いやあ、田中真紀子もこれでサッチャーを越えたね、まさにコウテツの女、などというオヤジギャグを考える。ネットを回ると今回の事件に何かマジに論評しているところが多い。それが普段はマンガのことなどをへらへらオタク的に語っているようなサイトで。テロのときもそうだった。何か、“オレは日頃はオタクだと思われているんだけど、政治も戦争もマジに語れるんだぞ”とムキになっているようで、なかなか可愛い。とはいえ、そういう人の政治論に限って、凡庸なのが常。オタクにしか持てない視点とかいうのをもっと探してくれないと。

 電話回線をADSLにする件で、明日朝10時に現場検分に来るとの話。平塚くんに知らせたら、彼もその時間に来るという。早朝から申し訳ない。今朝はしかし、雑用多々であった。と学会例会に、冬のコミケで参加を希望していた人に日取りその他をFAXし、いくつかの編集部に打ち合わせ日取りの件をメールし、植木不等式氏に飲み会の日取りの件などをメールし、テレコムから返ってきた書籍を受け取り、その書籍を届けてくれたスタッフに先日の出演料の請求書を書いて託し、三和出版から依頼されていたたつみひろし氏の人間便器マンガの推薦オビを書き(これは楽しい仕事だった)、さらにスタジオDNA単行本の収録原稿の初出を調べた。これだけで2時までかかってしまう。

 初出調べに、ワープロ時代のフロッピーを見てみようと、シャープの書院を持ち出してきて機動させるが、これがもう古くて、フロッピーを全然読み取ってくれない。モーターが弱まっているのか、読み取る力がなく、弱々しいシャカシャカという音ばかり響く。しばらくいろいろとやってみたがダメ。ワープロ時代の原稿や日記などがこれでは全滅なので、読み取り用にもう一台、書院を買わないといけないか?

 昼は昨日寿司屋からもらった稲荷寿司に、ジャガイモとわかめの味噌汁。食後すぐ原稿。Web現代から行く。書いている最中に何か背中がゾクゾクしてくる。風邪のひきはじめかもしれない。ドリンク剤を飲んで体にカツを入れる。鶴岡から電話。内容のない話しばし。仕事のしすぎで書痙になったとか。治療法などを調べるため、書痙患者たちのサイトというのを探して行ってみたそうである。“ダメなんですよ。掲示板が閑散としているんですよ!”にひっくり返って笑う。こういうボケを語らせたら名人である。書くものにもっとそれが反映されれば天下取れるのになあ。

 青林堂『ガロ』のK編集長から、退社のご挨拶メール。彼とはその前のイースト・プレス時代からのつきあいである。非常に私とは感覚の合う、つきあい安い編集者ではあるのだが、なぜかどこでも長続きしない。ガロに移ってからは対談で一回、おつきあいしただけで、単行本の担当にもなってくれていたのだが、とうとうその件では一回も打ち合わせもしないままに退社となった。まだ行き先も決まっていないそうだが、頑張って欲しいものである。

 Web現代、原稿書く。脱線して400文字換算3枚くらいボツにする。脱線した部分の方が大概、書いていて面白い。しかしながら、商品として通用するものにそれを整えていく、という作業もまた、これで面白い。ものを書くという行為は本来快楽なのである。快楽でお金をいただいているわけで、そりゃあ他人さまから見れば腹立たしい職業であろう。いろいろ悪口も言われるわけである。これは仕方ない。

 6時、完成させてメール。それからさらにいくつか雑用。7時、タクシーで新宿5丁目の伊勢丹クイーンズ・シェフ前まで。南口の陸橋のところから見たら、真正面のビル街の上の夜空に、メダルみたいな巨大な月が張り付いている。気が狂うには恰好の晩である。少し買物、それからK子と待ち合わせ、御苑の方まで歩いて新宿『みの屋』へ。浅草の方には入ったことがあるが、新宿の方は初めてである。思ったより小づくり。馬刺しと桜鍋を頼む、というより、ここは他にあまり大したメニューがないのである。

 馬刺しはまあまあというくらいの味だったが、ロースで頼んだ桜鍋はさすが。あまり甘いのは苦手なので、味噌はできるだけからめず、ダシをたっぷり足して、しゃぶしゃぶみたいにして食べる。ここの桜鍋は伝統を守った味なのだろうが、も少し現代人の舌に合わせた工夫があってもよかりそうなものだと思う。およそ近年、もっとも日本人の嗜好からはずれていった料理のひとつがすき焼きではないか。かつての、慢性的栄養失調が基本だった日本的食生活の中に、肉の脂と、砂糖の甘味と、醤油のアミノ酸という、人間の嗜好に結びつく三大要素を兼ね備えた御馳走の王者として、すき焼きは君臨していた。逆に言うと、すき焼きは肉のうまみを具にからめて、必要最低限の肉で最大限肉を楽しむための、貧乏人の知恵のような工夫の食べ物であった。ここの桜鍋の具にもついてくる麩なんてものは、それに汁に流れ出た肉のエキスを吸わせて、とことんまで味わいつくそうというイジキタナな目的で加えられているのである。

 ところが高度経済成長期を過ぎて、全体栄養摂取量がアップすると、逆にこれだけコッテリとした味付けは敬遠されるようになる。しゃぶしゃぶのような、肉の脂をわざわざ洗い流して食べるような食い方が主流になる。老舗のすき焼き店でも、すでにしゃぶしゃぶが主力メニューになっている店は多い。すでにすき焼きは日本の食の頂点からはすべり落ちているのである。もちろん、その反動で、脂身だけのすき焼きなどというゲテを好む人種もいるにはいるけれど。私も、この桜鍋に入っていた脂身はおいしくいただいた。肉を一枚、追加。鍋が来るまでのツナギに頼んだ冷や奴の豆腐も投入して食べる。二人で日本酒三合。出て、まだ時間が早いので二丁目のいれーぬに行き、タケちゃん、ノッポさんと雑談。

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