裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

8日

火曜日

イワン馬鹿ん

 そこはロシアなの。朝7時15分起床。朝食はソーセージとカリフラワのコンソメスープ煮。K子に郵便局でのいろいろな支払いをしてもらう。金ってやつは大きくなくなり、また細かくなくなる。寒いさむいさむい。風呂をうんと熱くして入る。まだ気持は正月ボケぽい。

 海拓舎Hさんから電話。それから『本パラ』のSさんから電話。“まことに申し訳ないんですが……”というから、こないだ録ったやつが放送できなくなったかと思ったら、2月中旬放送の回にまた出演いただけませんでしょうか、という依頼。こないだかなり仕事の邪魔をした、というような印象で、恐縮していたらしい。去年の暮れまでは早く私もテレビにどんどん出て、文化人ヅラをしてアブク銭を稼ぎたいと思っていたのだが、正月番組に出ていた映画監督のヒトとか音楽家のヒトとか写真家のヒとなどを見ていて、確かにテレビに出ると金は入るかもしれないが、何かその代償に人間が恐ろしくダメになるのではないか、という気がしてきた。昔、お肉を食べたければ同じだけ野菜を食え、と言われたことがあるが、テレビに出たいなら、同じくらい本業の方でガンバラないと、すぐ本業がテレビのバラエティのヒト、になってしまう危険性がある。クロード・チアリがあの世界的に有名なギタリスト本人だ、と知ったときは愕然としたものだからなあ。

 世界文化社のDさんから播磨屋のおかきをいただく。例の『真実』が入っているが手紙の方(こないだ須雅屋さんから見せてもらった)はナシ。残念。なにしろ“天皇様のご覚醒”を祈り、“天皇様が真実にお目覚めくださりさえすればアメリカもテロリストも、いえ人類のみならずこの星の生きとし生けるものすべてが本来の安心と幸 せを取り戻せるのでございます”と言い切り、
「とにかく何としてでも何とかせねばならないのでございます」
 と、日本語としてどうなのか、というような文言で日本の将来を憂うる名文の手紙なのである。『真実』を須雅屋さんにあげてコピーをもらおう。ここでも全文は読め るけれど。
http://www.ngy.3web.ne.jp/~junsrsk/hurai/hk011225.html

 上記“何としてでも何とかせねばならないのでございます”もそうだが、日本語というものの中には時として、このような破格の文章が顔を出す。そして大抵の場合、そこに凄まじいパワーがうずまく。ここらへんが文章というものの霊力なのかもしれない。古来、異形・異装なものの中に神力が宿るという思想がある。文法や定型をあえて無視したところに情念が吹き出すのである。馬琴の読本などを読んでいても、ときおり、あの博学の著者にして、文法を無視したようなデタラメな言い回しが出てくるところがあるのだが、しかしそれゆえに、その部分に読者の目が吸い付けられるのである。ここらへんが、文章というものの一筋縄ではいかぬところであろう。いや、文章に限らず、思想・宗教など、みなそういう部分を持つ。正しいことしか言えない者には、しょせん人を熱狂させる力はない。もちろん、無知と笑われることと紙一重の危険性の上にある力だが。

 12時半、家を出て神保町へ。資料が必要になったので久しぶりに古書街へ。大雲堂書店で恰好なのを見つけた。こういうところ、やはり神保町はいいな、と思う。カスミ書房さんへ行き、コミケばなし、蔵書ばなしいろいろ。持っていても奥の方にあり出てこない本はまた買ってしまうので、同じ本が整理すると何冊も出てくる、という話に、“米やん(米沢嘉博氏)もそうですよ!”と同意される。たぶん、ほとんどの蔵書家というのがそうだろう。ここで一万数千円ほど、それから古書センターの3階に引っ越した中野書店でも同じくらい。ボンデイでアサリカレーを食べる。厨房の中の人にも、店員さんにも、一人も知った顔がいなくなった。考えてみればこの店には25年くらい通っているのだから、人代わりもアタリマエ。しかし味は変わらず。……いや、昨今のヘルシーブームに乗って、少しあっさり目になったかな? 四半世紀前はもっとクリーム風味が濃厚だったように思うが。

 帰宅、仕事コシコシ。飛び込み原稿依頼一本。短いものだったので即、引き受け。幻冬舎Sさんから打ち合わせ日時の設定メール。阿部能丸さんからも仕事がらみで電話。だんだん日常に復してきましたな。あまりに寒いので、寝室にあったオイルヒーターを持ってきて、仕事机の脇に置く。石原さんから電話。15日のこと。また若い連中と仲良くなったらしく、彼らのバンドをロフトプラスワンの前座で演奏させるというから、それは無理です、とキッチリ言う。まあ、初めての著書が朝日、文春、女性自身という三大手に取材されるという幸運が降りかかってきているのだからハイになるのも無理はないが、どうも放っておくとどこまでも暴走しそうでアブない。

 身体がどうも熱っぽい。風邪を引きかけているらしい。9時45分、新宿すがわらでK子と待ち合わせ。ここの店に開店当初からいた見習いのジュンちゃんがやめ、新しい人(タケちゃん)が入った。ジュンちゃんは背の高い色白の好青年だったが、いかにも好青年らしく、向上心などというナマグサいものはコレッパカシも持ち合わせていない人物だった。6年もいて巻物すら握らせてもらえなかったくらいだったが、親方に言わせると、自分から何かをしようとか、早めに来て余ったシャリで握りの練習をしようとかいう自主性を一回も見せなかったそうである。“見習いなんてのはあちこち渡ってナンボなんだから、ア、この店は自分の勉強にならないな、と思ったら二日目でアガらせてもらったって、この世界じゃ誰も不思議に思わないんだよ。それが一ケ所の店に6年いるってだけで、信じられないことなのよ”と言う。で、こんどのタケちゃんはちゃんと板前の免許とっているそうだが、その前、まだ喜久寿司のころ(10年くらい前か)に一遍入って、すぐやめた経験の持主だそうだ。そのことをイジられて、本人はあの頃とは違いますヨと苦笑していた。さて、今度はどれくらいいるのか?

 寿司は白身、小肌、甘エビ、トロ、穴子。刺身で石鯛とマグロ。やはり北海道の刺身とは雲泥の差。ひとつにはあちらはあまりに寒いので、マグロなど適度な熟成が効かせにくい、ということもあるかもしれない。とれたての新鮮さを賞味するカツオなどと違って、マグロは肉を寝かせて熟成させないと、食べられたものではないのだそうであると、これは多田鉄之助の本で読んだ。

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