裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

27日

日曜日

フェリーニ・フェデリコ、ヒャリコヒャラレロ

 イタリア童子。朝7時45分起床。朝食でK子に野菜のオーブン焼きを出す。肉より評判よし。テレビ、雪印の事件をみな憤っている。“もう雪印の商品は買わない”などと言っている。学校給食から雪印食品を排除するところもあるらしい。しかし、今回の事件は雪印の商品の品質とは何の関係もないことではないか。ズルをしたところの商品は汚れているから買いたくない、というほど日本国民は潔癖性か。悪事を働いたものに罰を与えるため、というなら、悪いのは雪印社員中、当の偽装を働いた関西ミートセンターの責任者であり、そんなことをしていた者がいるとは夢にも知らなかったであろう雪印乳業・雪印食品、合わせて2万人近い従業員が連帯責任を負わされるというのは、ちと酷にすぎるんじゃないのか。要は善良なる国民たちの、自分は悪に対しオコッている、という姿勢を見せるだけの自己満足だろう。別にハムや牛乳が雪印のものしかないわけじゃないし、こちらに実害なく正義感ぶりを示せるというのは快楽なものである。世の中は快楽原則で動く。いたしかたなし。

 母から電話、裏庭に建っていた家(以前は店の従業員一家が住んでいた)に入居者が入ったとのこと。9月に店をやめて以降のこと、一周忌(5月)にちょっときちんと話し合わねば。SFマガジンの原稿資料をあっちゃこっちゃからかき集める。この連載、ネタが果して2年間(単行本一冊分)続くか、というのが当初の心配事であったが、イザとなると次々思いつくもの。自分の中に思いがけないヒキダシがあることを発見するのも嬉しい体験である。

 雨、しとどという感じ。ゆうべの残りのラムチョップを刻んで、菜の花、マッシュルームと一緒に炒めてチャーハンを製する。卵はユデタマゴにして刻んで最後にまぜる。こうすると、卵の味がはっきりと際立つ。と、思ったのだが、羊の肉というのはこういう風に何かにまぜこむとやたら臭み(おいしいのだけど)が出るのですね。も少しクセのある野菜を取り合わせるべきだった。K子は今日、裏モノのメンバーたちに経理ソフトの使い方をレクチャーされに行く。それが終わってからクリクリで待ち合わせ。

 さらに原稿。結局粗まとめしたのみ。4時半、外出して銀座線で上野広小路。立川談生勉強会に行く。入口で受付のおかみさんに差し入れ。サイトのお知らせには今回MLを出せなかったので客席が寒いかも、とあったので心配していたが、なんのなんの、満席とはいかぬまでも三々五々客が入って、8分以上の入り。甘いものにはアリがたかる、か。IPPANさんが来ていたのですこしバカ話。ウツギさんも来た。6時、開演。いつもは6時半開演なのを、今日は日曜なので少し早めたらしいのだが、東京かわら板に6時半開演と出てしまったそうで、三十分、ツナギの話をする。ここらあたりの融通が話芸のいいところ。前転するみたいなお辞儀もいいし、地なんだか演じているんだかという立ち位置をアイマイにする進行も結構。快楽亭や談之助という世代はやはり、演じ手と観客の間に一線を引くが、このヒトはそこらが完全に一部融合してしまっていて、共犯感覚がビリビリ感じられる。内容は例によって例のごとし。
「クジラってのはやっぱり、バカなんじゃないですかね。あんな風にね、揃って打ち上げられちゃって。ネコよりバカですね、いないでしょ? 水たまりに揃って溺れて死んでるネコとかね」

 で、時間つぶしどころか無茶にリキの入った『赤螺屋』を演って四十分経過し、かわら板見て来た客も入ったところで、そのままネタに入る。ガタイがいいから長時間座っているのが苦痛らしく、座布団を途中で折って足にはさんでいた。『反対俥』からダイレクトに『鉄拐』につながるという無茶苦茶な演出。意味があるのかとかどうとかいうことをこのヒトの高座に言ってはイケナイ。これもやはり、途中でこの演出の意味は、と考えこんだり、フッと私語みたいなものを差しはさんだり。途中で腹をおさえながら、いかにもウンコ、という感じでトイレに立った客をしばらくネタにして完全に素に戻ったり。いやあ、アナーキー。

 一席(二席?)終わって8時半。K子に電話したら、いまクリクリに入ったところだというので、途中ではあったが挨拶して出て、タクシーで参宮橋へ。日曜で道がガラ空き、20分で着く。裏モノ・BWPメンツに平塚くん加え、6人ほど。ワインあけ、このメンツによるいつもの話題。まったく進歩がないが、ウォッチしている対象に進歩が一切ないんだから仕方なし。何やら名人芸の高座を聞いたあとの会合みたいに“やはりあそこがいいんだよねえ”みたいな話となる。フォンデュ、クスクス、パスタなど。ワイン数本、みんなで空ける。

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