裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

9日

水曜日

ダジャーレ・ボルジア

 ルクレチア、時間にオクレチアいけません、なんちゃって。朝7時15分起床。明け方から、廊下でネコの鳴き声が小さく聞こえる。眠れないのか、と思っていたが、起きてトイレに入ろうとドアをあけたら、ダーッと飛び出してきた。ゆうべ、酔っぱらって帰ってきた私かK子か、どっちかに誤って閉じ込められていたらしい。中でパニックしたらしく、トイレの中のもの(トレペ、掃除器具、除臭剤など)が全部ひッくり返されていた。出るとすぐ居間に飛んでいって、水を音を立てて飲む。緊張してノドが乾いていたようだ。何時間くらい閉じ込められていたのか。

 村崎さんとのネット対談ゲラなどがメールで届く。確認して日記つけ、風呂など。一週間も帰省していると、家に帰ってきたんだな、という実感は、浴室で、髪を洗いながら、目をつぶってシャワーのノズルを手に取れるし、リンスとシャンプーを手をのばす距離で区別できる、というようなことで味わえる。家の中で日常的に使うものどもが、自分の身丈にあったところに位置されているのである。これを、いちいち目と頭で確認しながら行うのは、数日も続けると案外疲れるのだ。三国連太郎は、映画で自分の家という設定のセットが組まれたら、実際にそこで一晩を過ごし、小道具の位置などをあわせなおすということを聞いた。茶箪笥の上にあるもの、壁にかけてある絵、隅に片付けられている荷物、などが、みな自分の身長や裄丈にあった位置にないと不自然に見えるという理由だそうである。映画を観ている者にそこまでがわかるかどうかはともかく、これは非常に鋭い考え方だ。小男の助監督がカレンダーや絵を飾ったら、大男の三国氏はそれをかがんで見なければならない。これでは彼の部屋ではないのである。旅をして帰っての決まり文句、“やっぱりうちが一番だわねえ”というのは、実は無意識のうちの、こういう“人のしつらえた場所”で過ごす緊張からの解放が口にさせるものではないか、と思う。逆の意味で、“自分を見つめなおすため”旅に出るという心理も、理解できないことはない。旅先の、自分がそこの主でない場所にいて初めて、人間は自己を客観視できるであろう。

 ネットの資料を集めて午前中過ごし、それからWeb現代原稿を4時までかかってイッキ書きする。案外くたびれた。途中、昼飯はパックごはんに生卵かけて、菜の花のミソシルと。三遊亭金馬(もちろん先代)のCDを聞きながら食べる。昨日乗ったタクシーの運転手が落語ファンで、ラジオで聞いた金馬の『夢金』の話でちょっと盛り上がったのである。講談社からは『怪網倶楽部』表紙デザインの見本がFAX。かなりエグいものである。ヘリコプターがかなり低空を飛んでいる。見ると、区役所のビルの非常階段から、そのヘリを撮影している人がいる。大晦日にも、羽田飛行場の回りに、カメラを設置して飛行機を写そうとしている人たちがいっぱいタムロしていた。鉄道マニアのような、飛行機マニアというのもいるのだろう。K子が“ああいう人たちは自分のことを「飛っちゃん」とか「ヒコ」とか呼ぶのかしら”と言った。

 年末に企画書をFAXした『創』から電話。これで行きましょう、ということになる。一応、やはり連載と平行して、ということで、4月から新連載。連載のダンドリも立てねばならない。光文社知恵の森文庫のOさんからも打ち合わせ日程の希望が来た。俄然打ち合わせラッシュである。新年会などの予定も入りはじめているし、と学会運営委員会の日取りも決めねばならぬ。大変ではあるが、ではこういう日常の雑事を取り払って、私の人生に何が残るか? となると、大したものは残りそうにない。雑事即人生。

 7日に俳優・加賀邦男氏死去。88歳。息子の志賀勝は最近見ないが、どうしてるんだろう。親父さんの方はルックス、演技力とも十分に主役でいける人だったと思うが、浅草出身の器用さで何でも演じられるところがわざわいし、便利に使い回されてワキの名優で終わってしまった感がある。惜しいなあ。同じ日に『クリちゃん』の根本進氏も死去。年齢的にギリギリでこの人の全盛期に引っ掛かっているのだが、サイレントに徹した四コママンガは、さすがの私にもあまりにモダン・シンプルすぎて、面白いと思ったことは正直言って一回もなかった。あの連載が終わってから、何で食 べていたのだろうか?

 8時、幡ヶ谷チャイナハウス。石橋さんにおかきを差し上げる。開田さん夫妻との夕食だが二人は三十分遅れ。フカヒレの炒めもの、キクラゲとカニ、上海ガニ、それと特製ヘビスープ。ショウガがたっぷり入っていて、風邪っ気も吹っ飛びそう。スープは極めてあっさりした清澄な風味だったが、中の肉(内臓つき)を齧ったら、さすがにヘビくさいアクの強い味で舌に残る。あとはリーメン。このリーメンの写真を撮影(堪能倶楽部表紙用)しに来たのである。開田さん、カメラのフラッシュのところに半透明のビデオテープケースをセロテープで張り付け撮影する。プロっぽくてカッコいい。あやさん、K子と小説のこといろいろ話す。三鷹うい事件のことなど。

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