裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

4日

金曜日

初心バスルームべからず

 実家の寝室に置いてあるメモ帳に上記のシャレが書き付けてあった。数年前のものと思われる。就寝中に思いついたものをあわてて忘れぬようメモしたのだろう。私は何年も前からいったい何をやっているのか? 朝7時起床。今日から母は仕事で7時半に店に出かける。昨夜作っておいてくれたハムサラダとトーストの朝食。昨日寝過ぎて、少し背中が痛い。9時、星さん来る。

 昔の写真を母が整理しかけたものを見る。今から二十年ばかり前、薬局関係者で定山渓温泉に出かけたときのものが出てきた。父、母と当時の店員さん、メーカーの人などの懐かしい顔がある。漢方調剤に異才を持ちながらバクチ狂いで身を持ち崩し、いなくなった薬剤師のSの顔もあった。この男はもともとウチに転がり込んできたのがバクチがらみである。私と同い年で、大学時代からマージャン教室の先生のバイトをしていたというくらい博才のある男だったが、それがアダとなり、賭けマージャンに手を出してヤクザに義理の悪い借金をこしらえ、目薬で有名な某メーカー勤めをしていたのだが、会社にその取り立てがやってくるようになって、退社せざるを得なくなった。飲み屋で知り合った女のところに居候していたのを、実の親が捜し出してそれを清算してやり、その親父さんと大学の同窓だったところから、何とかあいつを真人間に戻してやってくださいと親父が頼み込まれて、うちの薬局に勤めるようになったのであった。

 彼の親和能力は大したものですぐウチの仕事場にも慣れ、普段は神妙に仕事をしていたし、また文字通りのチンクシャ顔で愛嬌もあり、そのくせ漢方に堪能でお得意さんもたくさんついたが、酒に酔うと(また無類の酒好きでもあった)、よく私にからんできて、オマエは世間を知らない、店を継ぐ気がない、と説教し、二言目には“オレは地獄を知っているんだからね”と口にした。当時うちで父の代理で主任をやっていたT先生という薬剤師さんが独立し、親父はさまざまな会の役員を兼任していて滅多に家にいない時期で、必然的に彼が調剤を取り仕切るようになったが、そのころから何か素行がおかしくなり、給料の前借りなどを繰り返すようになった。そしてある日、卸問屋から、普段の数倍の量、向精神薬が出ているが大丈夫か、と親父に問い合わせがあった。彼がバクチの負けの代わりに、向精神薬をヤクザに流そうとしていたのだった。親父はすぐに彼を退社させたが、それを電話で彼の父親に告げたとき、彼の父親は大泣きをしていたという。私はそれを見て、人間、いくら地獄を見たものでも、その地獄にまた戻っていかない保証はない、いや、地獄にしか行きどころのない者もいるのだなあ、と知ったものだった。

 一方、私はと言うと、そのころ東京をしくじって一時北海道に帰って、実家の近くの某医院の処方箋のパソコン打ち込みなどの仕事をやっており、この写真の温泉旅行にもちゃんと参加している。ところが、どの写真を見ても私の姿がない、と不思議に思いさらによく見てみたら、脇の方に写っている、薄ボケた顔をした、頼りなげな兄ちゃんが私であった。何枚も写真が撮られているはずなのに、なぜか中央に写っている写真が一枚もない。だれもコンナヤツを中心にして写真を撮ろうとは思わなかったかのようであり、私もまた、あえて写ろうとはしていないようである。笑ってしまうのはどの写真もピンボケ気味で、まるでモーローとした曖気が私の周囲を覆っているようである。この当時の私を見て“死んだ目をしている”と評し、後に東京にもどってからの私を同一人物と信じてくれなかった親類の伯母もいるくらいだから、ここらあたりの時期が、私にとっての地獄だったのだろうか。

 昼は時計台ラーメンというもらいものの生ラーメンを作って食べる。K子がレシピの説明書を読みながら統括指示を行い、星さんがメンを茹で、私が野菜を炒め、三人がかり。スープは乾燥クキワカメを熱湯でもどし、そのとき取れたダシでつくる。なかなか複雑な作り方で、一人暮らしの学生なんかにはムリだな。もちろん、味はなかなか。金沢のみそかラーメンもそうだったが、最近のこういう生ラーメンの味の向上には驚かされる。

 本日より仕事はじめ。なをきと2日にやった対談をカリカリまとめ、3時までに原稿用紙10枚程度の粗原を作り、メールする。書き終わってK子と外出、薬局へ。漢方薬、ビタミン剤、胃の薬など三カ月分くらい買い込む。去年、原因不明の頭痛に悩まされたK子が豪貴に診断してもらう。やはり血管には注意が必要らしい。
 そこから銀行へ行き、二人とも自分の預金を確認、記帳したりする。さらに駅前のビックカメラ(そうごデパートが倒産したあと、ビックカメラになった)へ行き、家のもう古くなった炊飯器の代わりを買う。ウチは電化製品をとにかくボロボロになるまで使うので、いざ買い替える段になると、新製品がまるでエスエフみたいなデザインと機能に進化していて仰天するのである。

 炊飯器を抱えて帰宅。日記などつけながら母の帰りを待つが、7時半過ぎてもなかなか帰ってこない。相談客が遅くまで来続けているらしい。繁盛は結構である。8時半、帰ってきてメシ。ホタテのクリームシチュー(風)、カキのつくだに(風)、イクラのちらし寿司(風)。いずれもカラサワ家風のお勝手レシピ。胃の調子もよろしくなったので発砲酒とワイン。司馬遼太郎『空海の風景』などをNHKで見て、ダラダラ過ごす。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa