裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

月曜日

治安条例熊の木保安条例緒の木

 ブッケブッタラカ。朝7時半起床。朝食はソーセージとレタスのコンソメ煮。朝から本格的な雨もよいである。以前のように、気圧の変化で立っていられなくなるとか目をあけていられなくなるほど肩が凝るとかいった体調不良がなくなったのはありがたい。毎朝黄連解毒湯を服用しているからかもしれない。ひょっとして、一年ほど前のあれは四十肩だったのかも、とも思う。テレビで知ったが、中田秀夫監督『仄暗い水の底から』はハリウッドでリメイクが決まったそうだ。さて、どういうケレンが付け加えられるか。中田作品と見比べることで、日米の映画感覚の違いというようなものもわかるかもしれない。

 地味な映画だってあっていいと思うし、子供にトラウマを与える映画などは文化として必要なものなのではないかとすら思うのだが、しかし、それもこれも、映画産業というものが上り調子で、大当りで会社もうるおい、どんな変てこな作品でも“こういうものがあってもいいじゃないか”とオウヨウに認識される状況があってこそ、である。制作本数が少なく、大衆がそもそも映画というものに触れる機会がない時代であればこそ、まず、才能ある監督には王道を行ってほしい。いま、必要なのは続編、続々編が作られる内容の映画なのである。

 午前中はWeb現代の参考資料散策。1時になって書庫にもぐり、テレコム用のネタ本を探す。昼食はパックの麦ごはんと、ナスと豚肉の炒めもの、菜の花の味噌汁。2時きっかりにテレコムS氏来宅。テレビの人というのは一般に非常に時間に正確である。何分何秒単位の仕事をしているからだろう。こないだ渡した本がどうも問題を作りにくい、というので、今度はこちらからのサジェスチョンを含めて数冊、渡す。こちらの提案の8割方は、ゴールデンタイムの番組なので、スポンサーが大企業なので、という理由でボツとなる。いかに私が王道を行っていない思考形態であるか、という証明のようなものだ。

 一応、手ごたえをS氏も感じたようで、こりゃいい、を連発、一旦会社に持ち帰って会議にかけてみますと帰社。四月以降の番組の話も出た。番組改変時期でいろいろ企画が大変な模様。時間は一時間ほどだったが、何かガックリと疲れる。出版社との打ち合わせと違い、相手の手の内もわからないし、むこうの要求にこちらが合わせられる自信もなし。おまけに、収入にもそれほど(直接には)つながらないというので神経が疲れるのであろう。

 雨、モノ凄く、雷まで伴い、台風を思わせる風の強さ。一時は完全に雨足が真横になっていた。その光景を窓外に見ながら、モノマガジン飛び込み原稿執筆。書き上げてメール。雷がひどくなってきたのでパソコンの電源を落とす。都心のことではあるし大丈夫とは思うが。で、風はやんできたので新宿に出、サウナとマッサージ。混み合っていて、落ち着けず。サウナにはフランス人の連れがいて、教科書のような端正なフランス語でトレビヤンとかセシボンとか会話している。通路を彼らがふさいでいたので、“パードン”と言ったらちゃんと“パードン”と返してくれたあと、御丁寧に“ソーリー”と英語で言い直した。マッサージの兄ちゃん、こないだ自宅の本棚を見ていたらカラサワさんの本がありました、とお世辞を使う。

 アガった時間が早かったので伊勢丹で買物、さらに松竹のビデオショップを少し冷やかす。8時、三笠会館でK子と待ち合わせて食事。塩豚と冬野菜のポトフ。塩漬け豚肉という、ドリトル先生ものやフォーンブロワーシリーズでおなじみの食べ物が口に出来るのはうれしい。逆に言うと、われわれのような雑学派は、食べ物そのものの味を味わうというより、そういう自分の文化背景を確認する作業としてメシを食っているのかもしれず、純粋グルメ派から言えば邪道なのかもしれない。伊丹十三を教祖とする一派であろう。まあ、文化背景はともかくとして、なかなかうまかった。

 K子、昨日の私がいかにベロであったかということを指摘する。その証拠に日記に帰り道QPハニー大人に会ったことを書いてない、というが、あれはちゃんと覚えている。傍見頼道氏と一緒であった。K子が“まあ、すいません、ナイショにしておきますから”と言ったので書かなかっただけだ(笑)。あと、春風亭昇輔さんも紅房子に呼んだこと、これは覚えていたが書き忘れ。別れるときちゃんと挨拶したことは覚えている。しかし、K子曰く、“あなた、昇輔さんのほっぺたを「しかし柔らかいなあ」といいながら、つまんでぷるぷるとかしていたのよ”というのは、ゼンゼン覚えておらず。うーむ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa