裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

30日

土曜日

ヤギラの逆襲

ぜひ、復帰作は河崎実監督映画に。

※あぁルナ稽古見学

こんな夢を見た。
映画の撮影をしている。
作品は漱石の『吾輩は猫である』。
映画オリジナルのシーンで、理学者の寒月くんが電気の実験をして
苦沙弥や迷亭などを驚かしてみせる。
そのとき、迷亭が怒りだして、
「何をするんだ、ふざけるな」
と寒月くんを罵り、私は“その怒り方は迷亭らしくない”と
その役者を降ろし、自分で迷亭役を演じてみせる。
しかし、驚くのと、迷亭一流の洒落ッ気を同時に表現するのは
なかなか難しい。
何とかそのシーンを演じ、撮り終えてホッとしていると、
楊貴妃が(ホンモノの楊貴妃が)陣中見舞と称してやってきて、
美女たちに、役者やスタッフたちを取り巻かせて酒を注がせる。
そして中華風の歌を歌ってみせる。
われわれは美味い酒に陶然としてその歌を聴いているが、
注がれた酒の瓶というのが、一升瓶の喉くびちかくのところに
穴をあけて、そこに特殊な土を練って作った栓をしており、
その栓のおかげで中の酒が呼吸が出来て、いつまでも新鮮なのだと
いう。よく見るとその栓がわずかにふくらんだりしぼんだりして
おり、なるほど呼吸をしているよ、と感心するというもの。

9時20分、朝食。
バナナダイエット一式。
ただし自家流なので、ダイエット効果はかなりのんびりしたものに
なると思われる。

睦月さんの日記に、ゆうべの雷のことに触れて
「雷じゃなく蕾の方が好きなんだけどね」
と書いていて、いかにも官能作家らしくて笑う。
ちょっと興味を持って、なんでこの関係ない二つの文字が
似ているのかを調べてみたら、雷の字の下の田はもとは田が三つ
重なっていて、積み重なってごろごろしている意味、をあらわしていた
そうである。雷は雨雲中に陰陽の気が積み重なってごろごろしている
から、雨+田×3で雷、というのだそうだが、よくわからない。
陰陽の気というのはごろごろ積み重なるものかね?
雷のゴロゴロという音と、ごろごろ積み重なっている、のごろごろの
音の類似によるものとした方が理解できるような気がする。
いや、ごろごろはそもそも積み重なっている形容か?

まあ、ともかく蕾は、そのいくつも重なっているところを現すために、
草冠の下に雷を置いて、蕾、なのだそうだ。
官能作家の皆さんが使う蕾という表現の対象は“いくつも積み重なって”
はいないと思うので、“莟”(中に花を含んで、ふっくらとふくらんで
いるという義)の字の方が合っているのではないか、と思う。

雨が降りそうで降らない。
むしろ降ってくれた方が体調にはいいのだが。
昼は弁当、ハンバーグとホウレンソウ炒め。

河出夢ムック『超特集・赤塚不二夫』読む。
“追悼”とあるが、本来は単なる特集で(だから丸谷才一の
“眠れ、赤塚”という名文句の入っているエッセイも収録されて
いるのだろう)、入稿当日未明に訃報が入ったという。
さて、この本での目的はただひとつ、娘さん(りえ子さん)の
インタビュー。家庭人だった赤塚、それを失格した赤塚、
アル中の幻覚に襲われる赤塚。娘の目から見た、神様の日常。
彼女は現代アーティストでもあるので、実の父親が幻覚で、
なにやら美しいものを見ているのを
「羨ましい」
と言っているのが面白い。

原稿、資料探しに暮れる。
7時、家を出てあぁルナ稽古場へ。
清沓会議室とあったので、荻窪からバスに乗り、
さて、と椅子に座ったところでハッシーからメール。
「今日は天沼会議室です」
と。危機一髪。あわてて料金を返してもらい、降車して
歩いて天沼へ。

『新・地獄の楽園』のラストシーンの最終稽古。
見ながら、麻衣夢に『血で描く』をとりあえず2冊、渡す。
一冊は彼女に、もう一冊には母親にサインを、というので
「ホラー小説のサインに書く文句ではありませんが
お元気と健康を!」
と。

稽古終り、Sくん、ハッシー、なべかつさん、シヴヲさん、
早さんと近くの蕎麦居酒屋へ。
告知のこと、今後のことなど最終打ち合わせ。
京極さんのいらっしゃる日がなかなか決まらないのがつらいところ。
この店、主人がオモシロイ人で、蕎麦もなかなかうまかった。

タクシーで帰宅、まだ雨ざんざ、とはいえ雷がないだけ
ゆうべより百倍まし。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa