裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

31日

水曜日

目に青葉、山ほととぎす、スガシカオ

ゆうべ口走ったダジャレ。季節外れなのはまあ、酔いのなせる業で。

※NHK−FM打ち合せ どどいつ文庫来 『東京人』原稿 朝日新聞書評委員会 ピカード艦長迎撃

紫色をした、カシス味のアイスクリーム・バーを食べる夢。
ねっとりした食感で、酸味が大変強く、おいしいので
三本、食べてしまうが、冷えていないのになぜ溶けないのだろう
と思ってケースを見たら、高級化粧用石鹸だった、というオチ。
夢の中でも五感がちゃんと働くのは不思議。

入浴して、9時、ちゃんと朝食。
ブドー、ラ・フランス。今回のラ・フランスはちゃんと柔らかい。
日記を書きながらデューク・エイセス『50』を聞く。
懐かしい曲がいっぱいだが、子供時代から聞きなれたものとは
どこか違うのは、トップテナーが谷口安正から飯野知彦に代わって
からの録音ばかりだからだろう。飯野氏の罪じゃない(谷口氏は
90年に急逝)が。

クラシックに歌詞をつけた『パパとママのワルツ』(レオ・ドリーブ
『コッペリア』より)、『アラビアの踊り』(チャイコフスキー
『くるみ割り人形』より)はやはり珍。

三笑亭夢之助が、島根の独演会で、会場がつけた三人の手話通訳者
に“気が散る”と言って退場させた事件。
「手前どもの方では“三ぼう”てえまして」
というマクラが落語にはあるんだが、使えなくなっちゃった。
“気が散る”って、私はこの人の落語を聞いてると気が散って
仕方ないんだが、まあそういう問題じゃないか。

円好の場合と違ってmixiのコメントがずっと伸び、
しかもほぼ8割が夢之助非難(残り2割は安来市の対応の非難)。
夢之助擁護はたった数件で、数にも入らぬ。
なんか極めて大きな違和感がある。
はっきり言えば、聴覚障害者の方が落語を聞きたいと言ってきた
場合、“悪いけれど、ご無理です”ときちんと告げることが
もっともそういう人たちのためを思った態度となると考える。
手話落語というのはあれは極めて特異なものであり、本来の
落語の形とはかけ離れたものだ。
手話通訳を使えば聴覚障害者でも健常者と同じく楽しめる、と
思ったとしたら、それは落語という芸能に対しても、また
障害者に対しても極めて失礼な、いい加減な考えでしかない。
パントマイムを視覚障害者に楽しんでもらうために
言葉で説明したら、パントマイムというもののの本質(言葉を使わず、
動きのみで感情や状況を表現する)が台無しになる。
台無しな芸を与えて、この程度でも障害者なんだから仕方ないだろ、
という、かなり驕った考え方なのである。

芸能人ばかりではない。ほぼ全ての表現者にこういうことは
当てはまる。たとえばディスレクシアと呼ばれる脳障害がある。
失読症と訳されるが、知的能力、学習能力には何ら異常がないのに
文字、文章の識別が全く出来ない、という障害である。
そういう障害を持つ読者がいるかもしれないので、あなたの原稿に全部、
絵で説明をつけたい、と出版社に言われたら、小説家はどうするか。
絵では自分の微妙な文章表現を全て伝えることは不可能だ、と断るか、
あるいはもう少し障害者寄りの立場の作家でも、
「全ての本に絵を付するのではなく、そういう読者のための
特別バージョンを別に作って欲しい」
と要求するだろう。それは、絵をつけることで、絵を必要としない
大部分の読者に“気を散らせ”、作品に没頭することを
妨げるからである。
今回、健常者の観客が、手話通訳が舞台にいることが気になり、
落語に没頭する権利を奪われたことについて指摘していた人は
ほとんどいなかった。これは逆差別である。
聴覚障害者に手話で落語を楽しむ権利がない、とは言わない。
ならば、そういう人を対象にした手話落語会を開催すればいい、
というだけの話である。

ニュースでは、大助・花子が以前、手話つきで漫才を演じたとき
「ありがとう」
と通訳者にお礼を言った、ということで、そっちを賞賛する
コメントも多々あったが、漫才と落語を一緒にして語るというのも
そもそも無茶苦茶に乱暴な話である。
落語というのは、聞き手の方に、その話の中に入っていくという
やや能動的な行為をどうしても要求する部分がある芸能である。
手話ではどうしても表現できない部分があるのである。

……ただし。
以上、長々書いたことは全て、“この事件の主体者が夢之助”
という一時で、単なるタテマエの意見になってしまう。
そんな、気が散るのなんのとエラソウナことを言えるレベルの芸の
持ち主じゃあるまい。これが立川談志が起こした事件であったら、
mixiのコメントもだいぶ違っていたのではあるまいか。

そもそも、夢之助がマスコミで名前が売れ、独演会の申し込みが
地方から来るまでの芸人になったそのモトは何だったか。
『いい旅夢気分』だの『ぶらり途中下車の旅』だのといった
旅番組で地方回りをして顔を売ったからではないか。
自分にとって、地方回りがいかに大事な収入源かということを
考えなかったのか。いや、そもそもいかなる名人上手とはいえ、
今の落語家という商売が、地方の仕事がなければ成り立っていかない
商売であるということを一番認識していないといけない人ではなかったか。
まして安来市という、言っては悪いが芸なんぞわかりもしない
お役人が主催する会である。
こういうところでこういうことを言ったら現今こういうことになる、
と認識できなかったのか。
その頭の悪さ、空気の読めないところが一番の問題だ。

夢之助のキャラでこういうことをやれば世の9割9分の“善人”が
反発する。まして地方においておや。
テレビで売れた人間がそれがわからない、というのは致命傷。
大助・花子が本心で“ありがとう”と言ったかどうか私には疑問だが、
それをツラリとして言えるのがプロであろう。
心の中で舌を出すことを禁止する法律はない。
「トウシロウは落語に手話をつけやがる。ヤダネー」
と、仲間内の酒の席で笑い話にすればそれでよろしい。
いく先々の水に合わせる芸人だけが生き残るのである。

昼はかき揚げ弁当。涙が出るうまさであった。
幻冬舎に出す企画(私のではない、知り合いの本の企画)。
書くのに1時半までかかってしまった。
バスや地下鉄では2時の打ち合せに間に合わないので、
仕方なくタクシーを久しぶりに用いる。

東武ホテル、2時カッキリ。シャララ・カンパニー打ち合せ。
NHK・FMのラジオ番組について。
つないでくれたYAGIくん、プロデューサーのKさん、
放送作家のBさん。

ゲストではなく、特番的扱いで、私がパーソナリティで
50分、語る番組。打ち合せしながらBさん、誰かに似ていると
ずっと思っていたが、京都の山田監督と東京中低域の水谷さんを足して
2で割ったという感じの顔だ、と思い当たる。
内容について、3案、私の方から提案。3番目がいちばん
面白そうで、シャララの方でも最初に考えたのだが、
局の方でそれはNG、と言われたそうだ。
私の第1案で行きたいが、局からOKがとれるかどうか、
問い合わせますとのこと。

事務所に行くと、テレ朝からFAX。
某クイズ番組収録について。私は大橋巨泉、宮崎美子、湯浅卓、
ルー大柴などと同じロートルチームになるそうだ。
「揃いの制服を作るからサイズを教えてほしい」
と言ってくるので、オノの面白がるまいことか。

3時半、どどいつ文庫さん来。
今回から、持ってくる洋書の数を半分に減らしてもらう。
とてもとても、一ヶ月では読み切れない。

『東京人』原稿書く。
短いものだが、こういう短い原稿に趣向を凝らすのが
最近は好み。書き上げて、メール。
すぐ、事務所を出て、築地朝日新聞社。
新宿までタクシー、それから大江戸線。
築地市場駅で降りると、あらそえないもので魚の匂いが
プンとする。生臭い臭いに弱かった親父だったら耐えられないかも。
私も遺伝で、小・中学生時分はスーパーの鮮魚売り場の前を
通るのも苦痛だったが、高校に入ったあたりで何ともなくなった。

書評委員会。委員Y氏がNHKの報道番組に出演した件など。
本日は希望の半分しか落札できず。
もっとも、一番欲しかった本は手に入れた。
弁当使うときビール少し飲んだがやはり気分よくなし。

植木不等式氏と久しぶりに待合わせて幡ヶ谷チャイナハウスへ。
しら〜さんもいた。角煮、黄ニラ炒め、アスパラとカニの炒め
など。今日の特筆はむかごと鹿肉の炒めもの(写真参照)。
〆はリーメンでなくチャーハンにし、スッポンの煮物の汁を
その上にかけて食べる。極々上等の味である。
植木氏とダジャレ合戦になる。
他の二人は蟻酒、テーブルに容器をどんと置いて、酌んでは飲んで
いたが、私は今日は10時過ぎに堺のピカード艦長(Yさん)と
会ってイッパイ、と約束しているので、もっぱら紹興酒のみ。
これが非常によかった。

10時半になってやっとYさんから身体あいたと電話。
東北沢の一貫で、と決めて店を出たら、いい具合に出来上がっている
植木、しら〜の二人も一緒にくる。
Yさんに二人を紹介して、あとは例の人物月旦、最近の特撮月旦。
特撮に関してはYさんと私は辛口意見同士で非常に話が合う。
ここでも焼酎は飲まずに日本酒とビール。どうしたか。
五十歳にして自制を覚えたか?

1時半、お開き。Yさん、“こないだおごってもらったから”
とおごってくださる。有難し。しら〜は限界で途中リタイア、
Yさんを下北沢のカプセルホテルに送り、植木さんとタクシー
相乗り。すでに植木さん何が何だかわからなくなっており、
降りるとき、好男子の運転手さんにくれぐれもよろしく、と
頼んで下車。2時過ぎ、さほど酔わずに就寝。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa