裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

火曜日

紫禁城ガエル

♪どっこい生きてる、天安門の中〜

※体調不良 雑用多々また多々

朝7時目が覚める。
冷房を入れると寒いし、切ると暑い。
ベッドで松本清張『昭和史発掘』を読み、またすぐ寝る。
9時、寝汗淋漓の状態で電話で起こされる。
シャワー浴びて、30分に母の室へ。

朝食、ナシ三切れ、ブドー10粒、、ミニトマト、キウイ一ヶ。
山口小夜子、坪島孝、篆刻家の小林斗アン(アンは今、酉、皿を
順に重ねた字)など、新聞は死亡記事だらけ。
見逃していたが、女優の南風洋子も亡くなっていた。77歳。

本人はあまり触れられたくない役かもしれないが
私には東宝での山本廸夫の“血を吸う”シリーズの中の
『幽霊屋敷の恐怖・血を吸う人形』に出てきた、怖い奥さん
の役で深く印象に残っている。その怖さというのは、
こちらを襲ってくるような動の怖さではなく、ひたすら
不幸に耐え、怨念を内に秘めている“静”の怖さだ。

かつての恋人に強姦されて身ごもり、娘を生み、
その娘を掌中の珠のように育てていたにもかかわらず、
結婚の前日にその娘が交通事故死。悲嘆のあまり、医師に、
催眠術をかけて娘をよみがえらせて貰うが、生き返った娘は
吸血鬼となって婚約者を殺してしまう……という不幸を
一身に背負いつつも、静かに客に対応する母親を見事に演じ、
観ているこちらをゾッとさせたのであった。

あ、そういえば18日に“日本のいちばん長いき”のタイトル
の受けに使った中野シツさんが、その翌日に19日に亡くなって
いたのも驚いた。凄い西手新九郎。

コミケで会ったW・K氏からメール。
ベルさんとは結婚前からのつきあいだとか。
で、講談社で来年出す企画本のうちの一冊を担当してほしい
という話であった。オノに、打ち合せ日を連絡させるべく指示。

夏バテというよりは内に籠った夏風邪かもしれない、と
思えてくる体調。ダルく、食欲なく、ものが考えられない。
1時半に出て、こういうときは腹に汗をバッとかくような
ものを入れて喝を入れねば、と、道楽へ行き、ノリミソラーメン
にニンニクとトウバンジャンを入れて食う。
大将といろいろ話をしていたが、それで、つい、出るときに
勘定を忘れかけた。やはり夏バテ、夏ボケか。

事務所で原稿。雑事多々。
白夜書房Eさんから、本の企画、通ったとの電話。
長引いていたのでどうかと思ったが、とにかくホッとする。
早川書房のフェア用文庫本にサイン。
幻冬舎に重版用の差し替え原稿のチェック用資料を送る算段。
『創』のKさんが移った編集部から原稿依頼。
Kさんからではないのだが、推薦があったか?
しかも、依頼内容が、現在学研新書のために資料など
読み込んでいる最中のもので、語る内容もバッチリ。
何にしても凄いタイミング。
あと、オノに冬コミ申込書を書かせる。
D書房の単行本、やっと章立て案を書いて送る。
遅れすぎという感はあるが、これはイラストレーターにも
コミケ後に打ち合せを、と言ってあるので、
どうしても今日やらないといけない。
オノが
「いろんなことを“コミケが終ったら”と言って
後回しにするもんじゃないですね」
と言うが、まさに。準備準備とやっていると、コミケなど
永遠に来ないのではないかと思えるので、つい、面倒くさいことは
コミケ後、と言って、それで永久に後回しにしたような気に
なってしまうんである。

バテ、進捗。
仕事部屋も暑くて動けないので、帰って仕事する、と
オノに伝え、ちょっと外で買い物して帰宅。
ところが帰宅したとたん、もう体がどうにも動かない。
少しベッドで横になり、『Bの墓碑銘』誤植チェック。
あるわあるわでイヤんなる。

結局仕事できず、メールいくつかやりとりしたのみ。
我ながら情けない。
9時ころ、冷蔵庫の中のものつまみながら、
DVDで『修羅雪姫 怨み恋歌』見る。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000194TGG/karasawashyun-22
↑ここのレビュアーさんのレビューでもう、言い尽くされている
感じがするが、岸田森、安倍徹、山本麟一、南原宏治という
悪役カルテットが濃すぎ。雪(梶芽衣子)が尊敬の念を抱く
無政府主義者徳永乱水(伊丹十三)も、弟(原田芳雄)の出征中に
その許嫁(吉行和子)を自分のものにしてしまうといった性に
だらしのない男で、その信奉者のスラム街住人たちも、単なる
弱者としては描かれず、とらえた南原宏治の顔を刃物で切り裂くと
いったリンチを平然と行う(南原宏治はそんなリンチをものとも
せず、鎖でつながれた自分の腕を切り落として脱出するという
爬虫類的な怪人である。なにしろ名前が“蜍”。“蟾蜍〜ヒキガエル”
だ。両生類だが)。

全員が異常者であり(つまり映画の舞台となった明治の大日本帝国
そのものが異常であり)、その中で唯一、プロの殺人者である
雪一人がけがれのない存在として美しく光り輝いて見える、
そんな映画であった。

しかし、処刑場へ雪を運ぶ馬車を突然襲うマントにチロルハット、
阿多福面の一団、などというシュールな場面をはじめ、
独自の様式美にあふれた画面設計が凄い。そして、最後には
雪以外の主要登場人物全員が無残な死、いや、極めて無残な死を
遂げる。恋する男を苦しめないために雪がとどめをさすシーンは、
東映映画ならもっとお涙で描くところだろうが、藤田敏八はそこを
サラリと流し、深い印象を残すシーンとした。
これに限らず、70年代の映画は、画面にせよストーリィにせよ
過剰な説明を排して、観ている方に投げることで観客を
映画の中に引き込み、また余韻を残した。
それが過ぎるとまた嫌味になるが、しかし、最近の映画は
説明が多いなあ、と改めて思うのである。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa