裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

15日

水曜日

満州こわい

怖いよう、ソ連軍が侵攻してくるよう。

※ミリオンゲラ最終チェック 『地獄の楽園』稽古

最近の睡眠状況。
朝6時か6時半に目が覚める。
別にトイレに行きたくなるわけでもなく、ごく普通に
目が覚めるのである。で、時計を見て安心して
二度寝する。
次に目覚めるのが7時半。このときようやくトイレに
行き、風呂に湯を入れて、またベッドに戻り三度寝。
最終的には8時半に起きて入浴し、朝食を摂る。
夢を見るのはこの二度寝か三度寝のときで、
私が普通の人より夢のことをよく記憶しているのは
この短い時間の中での夢だからである。

救克明(月曜の日記参照)を用いてわずか二日で、左足の
ジクジク、完全に消失。効果歴然、覿面、赫々たるものあり。
なぜ日本にこれがないのか?
安くてこれだけ効果があるものがあると、高い抗菌薬とかが
売れなくなるからか?

9時朝食。スイカとブドー。
朝から太陽がギラつき、暑そうな雰囲気である。
思うだけでイヤになるが、しかしこれで冷夏で、
暑いという日が少ない夏だと、何かみんな、
残念そうなのである。
人生のことを春秋などと言うが、実は夏を過ごすことが
人生の記憶、なのではないかと時々思うことがある。
だからみんな、ハワイとかグァムとか沖縄とかで
疑似の夏体験をしに行くのだ。

佳江さんから昨日のこと、メール。
今後の展開についてもいろいろと話す。
いい構想が頭に浮かんできた。
免疫系の病気、ということで入院したとか聞いて
見舞のメールを出していた友人から、大したことは
なかった、との返事。安心する。睡眠不足と食生活の
バランスの悪さで免疫系が弱ったそうだ。
やはり食う寝るは大事なのだなあ、と思う。

本日8月15日、終戦の日。この数年に増して思うところ
多いのは、やはり内外でいろいろ騒がしいからか。
http://www.youtube.com/watch?v=DbF8veXd3lY
↑玉音放送。
改めて全文を聞くと、すでにこの時点で“国体の護持”
を前提に、今後の日本の姿を語っている。映像では必ず、
二重橋で悲嘆にくれる国民の姿を映しだすが、これだけ
前向きかつ楽天的な敗戦の弁もちょっとないのではないかと思える。
例年、この月には徳川夢声の『夢声戦争日記』の昭和20年
の部分を読み返すのが慣例なのだが、どこへしまったか
見つからない。鬼塚英昭『日本のいちばん醜い日』(成甲書房)
を書評のため読んでいるのだが、これはトンデモ陰謀本である。

敗戦の何もない時代のことは、私たち戦後十数年たってから
生れた世代にも、なんとか想像がつく、といったもので、
今の若い人にそれを思えと言っても無理というもの。
しかし、何もないってことは何も失うものがない、ということで
あり、ひょっとして、昭和二十年を体験できた世代が一番
幸せな時代だったのかもしれない、と思うこともある。
http://www.youtube.com/watch?v=NTH64cucRpg
↑『二十年後の東京』。東京大空襲で焼け野原になり、
何もなくなった東京の現状を
「どこの国も望んでも得られない(理想都市建設の)絶好の
チャンス」
と言いきるのは、“原爆は仕方なかった”発言なみに今なら
問題になる文句だろうが、この映画の製作当時(昭和21年)
には東京都の都市計画局製作(三木映画社に発注)の映画で
こう発言する自由さ、というより未来への期待感があったの
だろう。

もちろん、実際の東京の復興は、この映画のような理想とは
かけ離れたものになってしまったわけだが(関東大震災を
きっかけに理想の東京を建設しようとした後藤新平も同じ挫折を
味わっている。江戸の都市設計をした家康の呪縛の強さである)。

演出の秋元憲は科学映画畑の人で、『富士の地質』(昭和16年)
で、霊峰富士の成立を科学的に解説するという、当時としては
大胆なことをやった人。南京陥落当時の映像も残しており、
これは日本軍入城当時の平和な南京の姿を伝えて、南京大虐殺
否定の大きな論拠となっている。
あと、イラストの小野佐世男は評論家の小野耕世氏の父君。

2時、渋谷に出かけ、駅前でちょっと用たし。文字通りうだる。
昼飯を駅前のうなぎ屋(『松川』)で摂る。
こういう日に冷たいお茶を用意しておかない(ウーロン茶小瓶
一本360円!)というのはサービス怠慢だなあ。
それはまあいいが、酷暑のセンター街を通って事務所に歩く
だけで大汗になってしまった。水でも浴びたかのよう。
事務所で用意していたシャツ、パンツに全部着替える。
鍵は無事、発見。
4時、東武ホテルでミリオン出版Yくんと打ち合せ、
チェックしたゲラを渡す。これにて全ての作業終了、
Yくんも上機嫌。あとは本が出来上がるのを待つのみ。

オノにいろいろ事務仕事指示。仕事場相変らず暑く、
オノが買ってきて冷凍庫に入れてあったアイスキャンデー、
二本も食べる。5時45分、事務所を出て(今度は携帯を
忘れそうになる。やはり夏バテで脳が動いてない)、
清沓中通会議室。清沓(せいとう)というのは妙な名称だなあ
(どうしても平塚らいてうの“青鞜”を連想する)
と思っていたが、ここらの地名の“清水”と“沓掛”を
一緒くたにしたものなのですね。

『地獄の楽園』、今日は私と琴重ちゃんの管理人の
キャラ作り。ちょっとこれまで、自分の本当の年齢より若い
役作りでシックリ来ていない部分があったが、岡っちが
アドリブで発したセリフで、あ、そういう方法があったか、と
思って、チューニングを合せることが出来た。
照明の小川さんのお土産でブドウ、最中など稽古場にいっぱい。

稽古終って、ハッシーと二人、台湾郷土料理『客家亭』
でちょっと打ち合せ。今後の協力体制のことなど。
ここ、ぶらりと入った店だが案外アタリで、しじみの醤油漬け
などまことに結構な味。揚げパンをこの醤油漬けの汁に
浸すと珍味となり、酒の肴になる。
経営者らしいおばちゃん、やはり断定型だが、『やるき茶屋』
のおばちゃんよりは上品なり。

閉店が11時とのことだったが10時半くらいで
おばちゃんの“はい、閉店!”の一言で追い出される。
まだ話が途中だったので、近くのさくら水産で続き。
プロデュースのことなど。
座長と私で認識の違いもあるが、そこはある程度、お互い
大人としての距離を置いて、互いの考えを尊重しようと思う。
はまりこみ過ぎて失敗した、以前の轍を踏み返したくはない。

1時、帰宅。夜になってちょっと涼しくなったので
シャワーは浴びず。メール一本のみ、打って寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa