裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

25日

日曜日

オラは縁起物

 クレヨンしんちゃん熊手発売! ホテルで朝6時に目が覚め、またウトウト。まだ体が疲れているせいか、筒井康隆が男に犯されているという、奇ッ怪な夢を見る。6時45分、起床。この三十分の間に、頭がガンガンしていた二日酔いがさっぱりと回復するんだから大したもの。朝食は空港で食べることにして、シャワー浴びる。7時15分過ぎにロビーに下りる。既に岡田さんとAIQの獅子児さんがいた。宿泊代はAIQ持ちだが、ややこしくなるから、と、私用のFAX代金まで支払ってもらったのはちょっと悪かった。

 岡田さんと地下鉄で空港まで。天神駅のホームで、サングラスにマスク姿、レインフードを駅構内なのに深くかぶって、しょっちゅうそれを引き下げて顔を見られないようにしている男がいて、サリンでも撒く気ではないか、とちょっと心配になる。別段何ごともなく途中で降りたが。天神駅から福岡空港までは地下鉄で十分という至便の距離。ところが、来たとき迎えのいちろうさんに聞いた話では、近くこの空港、移転するという。あまり都市部に近すぎて、事故があったときの危険性を考えてのことだそうだ。

 8時5分前着、発着エアポートを間違えて、岡田さんと“こんな寂しいロビーだったかなあ”と話し合っていたが、お姉さんに誘導されて何とか無事、間に合う。道化師の絵が描かれているハーレクイン・エアという飛行機があり、お姉さんに聞いたらJAS系列の会社だとか。カッコいいぞ。ロビーで充実野菜ジュースとエビチリサンドで朝飯。機内での席は岡田さんとは別々。懸案である今回の金子ゴジラ論の主旨をメモしたりする。

 誤解しないように繰り返すが、私は今回のゴジラの出来に関しては徹底して絶賛の立場にある。よくこれだけのものを作り上げてくれた、と映画ファンとして拍手を送りたい。その上で、この映画を否定するのは、これがわれわれ怪獣ファンに、今後、豊かな怪獣環境を約束してくれる作品か、という点に疑問を抱くからである。黒澤明が『用心棒』で凄まじいリアルな殺陣を考案して時代劇ファンを仰天させたが、あれは黒澤の演出力あって、初めてカタルシスとなったもので、その後、ただ血を流してリアルにすればいいのだろう、とカン違いした映画人たちにより、血みどろ残虐、見るに耐えない時代劇が続出し、結果、あれだけの隆盛を誇った娯楽時代劇の伝統が日本から絶えてしまったことがあった。あれと同じことをこの金子ゴジラはもたらす危険性を持つのである。ゴジラはいかに監督たろうとも金子修介一人のものではない。すでに日本の文化財なのである。文化財保護の立場から(笑)、そのことだけは指摘しておかないといけない。

 きちんとした論議は公開を待ってのものとするが、まず、前評判で伝わっているであろう、この映画の中盤の、怪獣による被害のリアルな描写についてのみ、論を述べたい。要するに、『ガメラ3』の冒頭の渋谷での惨劇、あれが今回のゴジラでも、繰り返されるのである。前半とラストはちゃんと怪獣映画としての予定調和で進んでいくにも関わらず、中盤の四大怪獣大暴れ(なんで一番評判のいいバラゴンが題名にないのかなあ。国際映画祭のスピーチの翻訳で、通訳さんが“バラゴン”をどう発音すれば英語的に正確なのか、悩んでいたのがおかしかったが)の場面で、被害者が次々に押しつぶされ、踏みつぶされ、悲惨な死を遂げる。今回のゴジラを誉める人も、大体がそこのシーンを絶賛する。私は、そこでハマリ損ねたのである。

 パニック映画としては、こういう描写が絶対に必要だろう。だが、これは怪獣映画なのである。観客は、人が殺されるところを観に来るのだろうか? 立脚点が異なるのではないか。小松左京が『明日泥棒』で、むしゃくしゃした気分の主人公に、ゴジラになって街を踏みつぶしたらどんなにスッキリするだろう、と夢想させているが、現代のストレス社会で怪獣映画が大ブームを巻き起こした理由はまさにそこにあるのではないか。怪獣映画の破壊シーンは、そういうストレスのたまった観客が、その文明社会の象徴である都会や兵器をいとも易々と怪獣がブチ壊してくれるところに拍手を送るのが身上で、観客の心は怪獣にシンクロしている。パニック映画で、例えば火事とか溶岩とか隕石とかに意識をシンクロする人はいないだろうから、ここが怪獣ものとパニックものとに一線を画する要素ではないか、と思う(子供は子供で本能的な破壊願望を発揮させてほしいと望んでいるだろう)。

 私がガメラ3や今回のゴジラの中盤に大いなる違和感を覚えるのはそこで、その怪獣との意識のシンクロが、そこで沢山の人が死んでいる、という“事実”を呈示することで不能になってしまう。カタルシスが味わえない。リアリズムが邪魔をするのである。007シリーズでボンドが平気で警備員や敵の下っ端を撃ち殺す。観客はここでまったく心の痛みを感じない。感じさせては映画がめちゃくちゃになってしまうからである(このパロディを『オースティン・パワーズ』がやってたが)。金子監督のガメラ3や今回の演出は、結局“裸の王様”の子供なのだ。共同幻想を打ち壊して王様は裸だ、と指摘する。それは勇気ある、カッコいい行為であろう。その快感は認める。だが、前にも書いたが、私は昔、初めてあの話を聞いたとき、一番あこがれたのが“バカには見えない服”という奇想天外なるアイデアを思いついた仕立師の方に、であった。映画作り、ことに怪獣映画作りは、この仕立師でなくてはイカンのではないだろうか。一種の“遊戯”である(遊戯であるからそこにルールも存在する)怪獣映画に向かい、ホントウはあそこでたくさんの人間が死んでいるんだ、と言うことが褒められたことなのか?

 やおい小説で初めてアナルを犯された美少年がヨがるように、女ターザンものでヒロインの腋やスネ毛がちゃんと処理されているように、怪獣映画で炎上墜落するヘリコプターには人が乗っていない。それをヘンだ、と言いつのる人たちに向けて映画を作るということは、それまでお約束の上に成り立っていた怪獣モノを楽しんでいた人々に対する、一種の裏切りではないか、と思う……てなことを書き付けていたら、何か眠くなってしまい、ウトウトしながら羽田着。オレもまだ若いな、と感心したのはたかだか三十分のウトウトで、疲れがすっかり取れていたこと。もちろん、気分的にであるが。

 空港でK子と待ち合わせ、タクシーに岡田さんと相乗りしてお台場ビックサイトへ向かう。ヤナセくんが待っていた。デザインフェスタ取材である。岡田さんが車の中に携帯を忘れてきたのに、ヤナセくんがすぐテキパキと対応するのを見て、スタッフにめぐまれているなあ、とうらやましく思う。入口で中学生くらいのオンナノコ三人組がカメラを持って、“あの〜”と言ってきたので、てっきりオタアミファンで、写真撮らせてください、というのかと思ったら、“シャッター押してくれませんか”と言うお願いだった。あはは。モノマガの額田さんが来るのを少し待ち、取材票を貰ってK子と二人、回る。私の目的はコンテンツファンドの応募クリエイターさんたちのブースに回ることで、ひょうたん猫の岡安典子さんとか、はげみほさんとか、ぷにぷにの菅井淳さんなど、かなりに挨拶できた。岡田さんから“カラサワさん、彼女に萌えてる”と指摘されたNoeさんも、向こうから挨拶してきてくれた。やはり美人。ハナミズをモチーフにした作品を作っているというカレシにも会う。思った通りのヘンなムードを持った人で、ウレシクなる。二人でトラッシュポップにも来てくれたそうな。トラフェスと言えば、脳ミソポーチだとか人面サイフだとかいう悪趣味なグッズを販売している有名ブースがあるが、ここに行ったら、座って売り子をしていたのが後楽園の企画担当のN見さんだったのに仰天。なるほど、それであんな企画を立てたのですか。

 会場を一往復。ヤナセくんには何度も会うが、岡田さん額田さんには出会わない。FKJさん、開田さんには出会えた。開田さんは“美大時代を思い出すなあ!”と、ウレシソウであった。昼は食券貰ったので、出店のところでサモサとタンドリチキンなど。3時近くまでいて、タクシーで帰宅。さすがに体に疲労が十二分に蓄積。留守中たまっていた仕事をいくつかやり、5時に新宿へ出てマッサージ。女性マッサージ師さんだったが、うわあ、背中がひどいことになってますよお! と言うので、金曜日からのスケジュールを話すと、まあ、それにしちゃいい方ですか、と納得される。

 そこから下北沢に向かい、『虎の子』でK子と食事、酒。萩原さんと話しながら、『酔鯨』飲む。萩原さん、渋谷の回転寿司『江戸一』の社長と知り合いだそうで、私が日記で江戸一を誉めていることを伝えたら、喜んでいたそうな。世間ってホンっとに狭いな。まあ、とにかく無事、この三連休の強行軍を乗り切れて、ひとまずホッと しました。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa