裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

13日

火曜日

キングジョーはお早めに

 郵便局からのお知らせでした。朝8時起床。寒さのせいかこのごろギリギリの時間までフトンの中。老落語家の高座を聞いている夢。見るとその落語家は全裸である。爺の裸は見たくないなあ、と思うが、彼は全身に見事な彫り物をしており、ははあ、アレが見せたいから裸なのか、と思う。そのうち座布団の上で見事な逆立ちを見せ、尻に彫ってある図柄までを見せてくれる。朝食はコーンスープにモチ。コーンスープは紀ノ国屋で買った高級品だが、こういうゲテな食い物にするときはコンビニのパックのやつの方が合っている。ニューヨークのジェット機事故の報をずっと聞く。どうもテロくさくないように思えるのだが、番組は当然、どうかテロであってほしい、という願望見え見え。

 今回の事件で原理主義というコトバが人口に膾炙したが、原理主義などというから何やら主義主張ぽく聞こえるが、昔はこういう連中を狂信者と言っていた筈である。アメリカに戦争をしかける、ということ自体が狂信者のしわざであろう。このままではイスラム諸国対キリスト教国の世界戦争になる、という論調が新聞や雑誌でまま、見えるが、これはイスラム教徒たちを全員狂信者扱いする、非常に失礼な見解ではないかと思う。狂信者の犯行という、これはオウム真理教事件と同レベルの犯罪なのである。オウムの強制捜査にオウム信者以外ほとんど誰も反対しなかったように、タリバン攻撃に反対する者は世界でもほとんどいないのである。ヒステリックにアメリカを非難している日本の論者は、この騒ぎが納まったあと、さてどうその当時の言動に責任を取るのだろうか。

 鶴岡から電話。いかに私がまだ売れていないかという話。“こないだ、『ダ・ヴィンチ』に行ったら、出てきた編集が「ああ、唐沢トシカズさんのお弟子さんですか」なんて言うんですよ! 情けないっスよ自分の師匠がこの程度で!”とイキまいていて、笑う。……ところで、こないだから鶴岡の芸風は誰に似ているのかと考えていたのだが、今日、調べものついでにのぞいてみた『たい平・喬太郎真打披露口上(於上野鈴本)』のときの、鈴々舎馬風のがそれに近いのじゃないかと思えてきた。とにかく、時と場所を選ばないのである。真打披露という厳粛な場さえ屁とも思わぬ、このシャレのキツさが噺家というもので、これに半ば本気でオタついている志ん朝を見ると、あれ、もうこの時期(2000年春)には相当体が弱っていたのかな、と思えるのである。
http://www1.odn.ne.jp/~aaj49640/rakugo/rakugo6/shinuchi0003.html

 K子に弁当作る。カボチャとひき肉の煮物。11時、芝崎くん来宅。と学会会誌の増刷分、印刷所から運んでくれる。当分はウチの書庫を倉庫代わりとする。まんだらけへの会誌納入についての報告。まんだらけの同人誌担当者が若いのになかなかナマを言うやつで、“最近の山本会長の文章はつまらない”とか、“初期のものに比べ全体的にヌルくなっている”とか、“文字の本は三○ページ、五○○円以下でないとダメ”とかヌカしているらしい。芝崎くんはそれ聞いて次はオモシロイものにする! とファイト燃やしているようだが(彼は左翼あがりなのでこういうのに燃えるのである)、私は苦笑するのみ。コミケやまんだらけで売ることが最終目的の同人誌と、と学会の会誌は性質が異なるのである。と学会の会誌は、まず第一に会員原稿のプールが目的、次に商業出版とは性質を異にするため発表場所がない原稿などの公開、毛色の変わったトンデモ系の紹介のプロモーション、次のネタをいち早く知りたいファンのための、会員活動状況の報告などが主目的である。コミケでの販売は言わばアンテナショップなのだ。別にこれを大量に売って、壁際に出世することが目標ではないんである。まんだらけくらいになると、日本の同人誌はオレたちが仕切っている、というアタマなのだろうが、世の中には、そちらの常識とは異なった理念で作られている同人誌もあるのである。現に前回の夏コミではあまりに売れすぎて大変なので、次回からは部数を減らす算段までしている。スタイルはともかく、作り方を当分変えるつもりはない。第一、置かせてくれと言ってきたのはまんだらけ側である。頼んでおいてトヤコウ言うなどとは無礼千万な話ではないか。

 それはともかく、次のコミケの打ち合わせなど。無事、当選したようである。そう言えば、ジョークで申し込んだ落語立川流も当選してしまったと、申し込んだ張本人の談之助さんもあわてていた。談志家元などが出張ってくれば(なにしろ自分の家の前でフリマ開くような人だから)面白いことになりそうである。

 昼は汁かけ飯一杯半。海拓舎、世界文化社、二見書房、講談社等々の原稿を書かねばならないのだが雑用もまた多い。東洋館の白鳥さんに花を送る手続きをしたり、図版の差し換え指示をしたり。東武ホテルにて、先日オタアミで会った扶桑社のOさんと待ち合わせ。初めての担当者と待ち合わせるときは目印となりやすい東武のロビーを指定して、その後で向かいの時間割に出向くのがほとんど。“じゃあ、近くの落ち着ける場所で……”と言ったら“時間割ですか”“あれ、御存じでしたか”“いえ、いつも日記で名前を拝見していて”。Oさん、ゆうべは取材で志加吾とキウイと会って、朝方まで飲んでいたそうである。若手の噺家さんとつきあうには体力がいる。

 で、出版企画の話。まだ担当レベルだが、三○分足らずの打ち合わせで企画が二本も通った。スピーディなことである。扶桑社というとやはりつくる会の名前が出てくるが、それで著者に話を持っていっても断られる場合が多いのがツラいそうである。カラサワさんはどうですか、と訊くので、私は第三文明社からでも本を出します、と言っておく。まあ聖○新聞とか赤×に書け、と言われたら躊躇するだろうが。

 帰宅して、電話数本。さっきの扶桑社がらみのことでちょっと関係者に電話。いくつか整理しておかねばならないことが残っていた。それから、太田出版の次のと学会年鑑本の原稿リライト。かなりブツを入れ替え、徹底して書き直す。これが案外時間のかかる作業であり、途中、電話などはさみながら9時まで。9時20分、四谷駅前でK子と待ち合わせ。こないだの『越後路』へ行こうと思ったが満員。ちかくの“究極の焼鳥”と銘打った店へ行く。表に“当店はTV・雑誌の取材は一切お断りしております”と謳っているが、カウンターにはそれぞれの席のところに、『美味しんぼ』で比内鶏が絶賛されたシーンのコピーが置いてあり、“『どっちの料理ショー』でも紹介されました”などと自慢している。言行不一致の極み。その他のメニューも、どれも自画自賛で、たかが焼鳥じゃねえかと、これだけで反発したくなる。味はまあ、まずくないというだけで、パパズアンドママサンの方がよほど満足度が高い。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa