裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

19日

月曜日

処女膜マヤコン処女膜マヤコン

 もういっぺんバージンになあれ。朝7時半起床。朝食はモチスープにてすます。服薬風呂洗顔歯磨如例、二日分の日記つけ、石原さんから例により出版のことで電話、簡単にサジェスチョン。K子を送りだしたあと、机まわりを少し整理して、Web現代の原稿を書き出す。……と、きわめて日常的平均的な朝であったが、10時半ころチャイムが鳴った。宅急便かと思って出ると、“成城警察ですが”とインタホンの向こうで声。成城と聞いた時点でハハアと思い、ドアをあける。背広を来た二人連れ。一人は中年、もう一人は若いのという、典型的なコンビである。ヒモつきの警察手帳を呈示して、“御存じと思いますが、世田谷の事件のことで、ちょっとセンセイにお話をうかがいたいと思いまして”と中年の方が極めてモノヤワラカい口調で言う。名刺を出してきたのでこちらも、と出そうとしているうちに、“あの、ちょっと上がってよろしいですか”と言いながら上がってきた。

 椅子をすすめるとカバンから『社会派くんが行く!』を取り出して、“このご本によりますと、センセイはみきおさんとお知り合いだったそうで……”とくる。宮沢さん、と言わずにみきおさん、と呼ぶのは何かの引っ掛けだろうか。こちらは予想していたからあわてもせず、“ハア、その通りですが、しかしありゃァ私が二十歳くらいのときですから、もう二十数年前のことで……”と、東大アニメ研の上映会のことなどを話す。向こうは丁寧にノートをとっていたが、私のところなどに来るまでに、よほどいろいろ関係を洗っていたのだろう、アニドウという名前もなみきたかしという名前も、どう書きます、などとも訊き返さずにスラスラとメモしている。知らせが来たのがその事件のあった大晦日の夜で……と話したが、あとで日記を調べたら翌日の元旦の夜であった。まあ、北海道にいたんだからアリバイとしては十二分であろう。事件の前日はと訊かれたらコミケを説明せねばならんか、とややメンドくさく思っていたが、そこまでは訊かれなかった。

 ざっと三十分ほど、いろいろ質問される。刑事さんも大変だなあ、というのがこちらの印象。広島アニメフェスのことに話が及び、“広島で開催する、ということで、変な政治色がつくことに私は反対した(あちこちの知り合いに確かその旨を手紙に書いた)んですが”というと、若い方が“アートアニメの純粋性の問題ですよね”と、いやにマニアックぽい意見を述べたのが面白かった。一応仕事で、と身長体重血液型から足の文数まで記録され、さらに指紋をとられた。それはいいが“このご本(『社会派くん』)は編集部から資料にもらってきたんですが、何か参考までに、センセイのご著書を一册、いただけませんかねえ”と言うので、共著ですがと、たまたま昨日届いたばかりの『トンデモ本の世界R』の5刷分を渡す。著書まで持ってかれるとは思わなかった。しかし、警察で彼らがサイババだのUFOだのについて読むかと思うとちょっと笑える。それにしても、刑事からインギンに“先生、先生”と呼ばれるというのは、コロンボの犯人になったみたいでいささかウレシイ。話の最中に原稿まだでしょうか、と講談社のYくんから電話あり、“いや、いま刑事に取り調べられているところで”と、言いたくてたまらなかったが、さすがにガマンする。

 二人が帰ったあと、原稿続き。昼に外へ出て、江戸一で回転寿司の昼食。帰宅してまた仕事。Web現代、あとちょっとを残して時間。外出して、5時45分、日比谷シャンテで安達OBさん、開田さん夫妻と待ち合わせ。『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃』試写。開田さんがちょっと遅れるとのことなので、OBさんと先に行こうとしたが、今朝のことなどいろいろ話し込んでしまい、結局、開田さんを試写室入口で待たせることになった。伊奈浩太郎さんが来ていたので、いろいろと話す。この作品については、いろんな人がいろいろと語りまくろう、と待ち構えているようである。試写室、9分の入り。

 で、それから1時間45分後においての正直な感想を書き記す。
「とにかく観ろ」
 全ては観てからであろう。結論から言えば、私はこの作品を否定する。だが、否定の要素を語るには、この日記を読んでくれている人たちのほとんどがまだこの作品を目にしていない今はまだ、早すぎる。そして、平成ゴジラ作品としてこれはまぎれもなく最高傑作である。そのことは否定派の私が保証する。120点満点で100点をやりたい映画である(なぜ100点満点の80点でないのかも、観ればわかる)。

『メガギラス』で健闘した手塚監督には悪いが、やはり映画というのは経験値だ。手塚演出がワザ師のそれとするならば、金子演出は横綱相撲である。大作怪獣映画を三本作ったという、仕込みの差が如実に出ている。特撮に(予算削減による)瑕疵がまま、あることはあるが、では予算を湯水の如く使ったこれまでのゴジラ映画は、あれはいったい何であったのか、と観た者全てが思うだろう。そして何より凄いのは、この作品、カルトではない。ガメラ3のようなグチャグチャ映画ではない、徹底した娯楽要素が詰め込まれた通俗作品なのだ。ソコに感嘆する。観ろ。とにかく観ろ。ガメラ既になく、ウルトラマン新作はヘタり、いまや怪獣ファン最後の砦となったゴジラを観ずして、何の怪獣ファン面ぞや。義務として観ろ、使命として観ろ、そして、熱く語れ。これは語らずには始まらぬ映画である。監督は確信犯である。絶賛を求めてはおらぬ。安心してワルクチを言え。言うために観ろ。

 私はこの映画のワルクチは言わない(少しは言う。あのキングギドラの短頸はやはりヒドいぞ。フルCGの場面のチャチさはなんであるか。光線を吐く怪獣に逃げ場のないビルの中から対峙する馬鹿がどこにある。ゴジラの設定はいくらなんでも無理がないか。日本の守護神獣がなんで“キング”ギドラか。“ミカド”ギドラとか言え。モスラの幼虫の出番が少なすぎて、繭との関連性がわからんぞ。宇崎竜童の滑舌の悪さは聞いてて耳が痛くなった。佐野史朗、ツクリすぎ。天本英世、年くってからの方が太ったんじゃないか……うむ、少しどころではないな)。だが言うにしても、それはオタク特有の、好きであるがゆえのツッコミだ。ワルクチではない。しかし、この作品を怪獣映画としては、明確に否定する。その論拠は……いや、公開前にそれを語るのは勇み足。今はただ、観ろ観ろとだけワメいておく。できれば娯楽作品としての評価軸で語ってほしいと添えて。

 何故か足早になって試写室を出たら、後ろからカラサワさん、と呼びとめられた。東宝宣伝部の人と名刺交換。“いかがです”と、何か目にキラキラ輝きを込めて訊ねられるので、平成ゴジラ最高傑作の謳い文句にウソはないことを伝え、さはさりながら“大いに語りたくなる映画ですね”と言う。映画のアタマ及びラストと、中盤での怪獣の被害に対する演出方針が正反対であることを挙げ、病院のシーンや取材ヘリコプターのシーンをハム太郎観にきた子供たちに見せるつもりですか、と(笑いながらだが)問う。むこうもうーん、とウナリながら“監督はワザとやってるでしょうね”との答。そうであるならばこれについて世間でいろいろ論議の起こることこそ望むところだろう、その場をできるだけ作っていくことを努力したいと伝える。一番マズいのは、平成ガメラのときのように、オタクやマニアだけが熱くなりすぎて絶賛しまくり、一般人が逆にシラケてしまうことである。

 伊奈さんと安達Bさんはそこで帰り、Oさん、開田夫妻と地下鉄で新宿に出る。K子を携帯で呼び出して、新宿紅房子。やはり人数多く行っていろいろ頼むのはいい。思いもかけなかったものを味わうことができる。怪獣論いろいろ、特撮論いろいろ、映画論もちょっと。生ジョッキ2ハイ、老酒2合。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa