裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

30日

日曜日

ジゴロの行いが悪い

 そりゃそうですね。朝8時半起床。朝食、キノコのバタ炒めとパン。昨日中野で刺されたか、蚊の喰いあとが足に数ケ所。蚊と言えば思い出したが、昨日の読売新聞の編集手帳に、ザンビアの難民キャンプで働くボランティア青年の記事があった。キャンプで問題となっているのが蚊に媒介されるマラリアで、世界中で毎年一五○万〜二七○万人が死亡する、そのうちの多くはアフリカの子供たちだという。その子供たちのために、日本人青年が殺虫処理をした蚊帳を普及させる運動を呼びかけている。それはいいのだが、その青年の名前が山本竜二。最初読んだときは、ほう、あんな変態ビデオを作る陰でこんな善行を積んでいたのか、と感心しかけたものである。同姓同名に罪はないが、よりによってこういう俳優と同じ名前とは、気の毒なことではあります。なお、感心でないほうの山本竜二のビデオがアロマ企画で近日発売予定。ホモのハメ撮りと老婆ハメ撮りの二本だとか。

 昨日笑い過ぎて(他人の不幸はとにかく面白い)午前中はボーとして過ごし、フと気がつくともう二時を回っている。朝、一時間起きるのが遅いと、感覚としては五時間くらい、一日を無駄にしたような気になる。六本木に出て、ABCで買い物。明治屋でパックのメンマヤキソバ買って帰って、レンジで温め、これで昼メシ。食べながら花輪和一『刑務所の中』(青林工藝舎)を読む。これも人の不幸を娯楽として楽しむことになるのだろうが、銃刀法違反で三年の懲役刑に服した著者の、むやみと細々した刑務所の中の日常記録の面白いことったらない。

 花輪和一はもともと『護法童子』や『朱雀門』といった伝奇ものを描いても、妖気的な描写より、むしろ飯を食ったり排泄したりという、当時の人々の行住坐臥の描写の方が面白い作家であった。これは水木しげるにも当てはまる。彼のマンガで強烈に印象に残るのは、鬼太郎と妖怪たちの術合戦よりは、そばをゾロゾロとすすったり、すきやきをつまむシーンの方なのだ。逆説的に言えば、こういう作家たちは日常描写への深いこだわりがあるから、非日常である妖怪をもリアルさをもって描けるのだろう。その、日常へのこだわりを強烈に持った作家が、日常を無為に過ごすことを強制される懲役刑を課せられたのだ。これは面白いものにならないわけがない。刑務所という、凡百のドラマでは非日常の極致として描かれるべき場所が、淡々たる日常として描かれることのユニークさ。それにしても、この細部への異常な記憶力ってなんなのだ。私は、創造力は記憶力(記録力)なくしては生まれ出ないと思っているものだが、それにしても作者のそれはあまりに凄い。

 こうやってネット日記などをつけていると、読者がいるという意識から、つい、非日常的な行動の方を書かねば、という気持ちが先に立ち、行かでものところへわざわざネタ作りのために行ったりすることがある。また、“本日特別なことはなし”などと一行で終わらせてしまう人がいる。実はそちらの方に記録しておくべきことは山積しているのに。日常を描けぬ人に非日常は描けない。特別でないことを面白く書けないモノカキが特別なことを書いて面白く書けるわけがない。

 やらねばならぬ仕事、特に明日月曜日までにやらねばならぬ仕事が無茶苦茶あり、スケジュール考えるとひいと叫びそうになるのだが、それを思い出すのが怖くて結局逃避で昼寝したりする。いけないと思うがテンション上がらないまま書き出すのは、チンチン立たないままセックスするのと同じくらいつらい。どうせ仕事出来ないのなら、とガバと起き上がり、東急ハンズに出かけ、OA回り機器などを見、さらにさくらやへ回ってみたりする。逃避で行くので、何も買わず。

 晩ご飯、9時。鶏大根、ハス煮物、イワシシソ揚げ。シソ揚げは前からK子に作ってみろとリクエスト受けていたもの。ころものフンワリ感がいまいちだったが、味は食べた彼女が“まさ吉と同じ味だわ”と証明してくれた。シソだけではなんなので、木の芽をまぶした木の芽あげも作ってみた。TVでNHKスペシャル見てたら、部屋がかなり大きく揺れる。番組が途中で中断され、地震報道になったのは、震源地の三宅島で震度6弱、という大きなものだったからだろう。すぐに三宅島や近辺の島の映像などが伝えられたのはさすがと言うべきだろうが、緊急報道体制をひいた割にはそれほどの被害はなく、リキがからまわりしているといった感じの映像ばかりだった。震度6で大した被害がないというのはよくわからん。阿部能丸氏から電話、ミスターヤンマガの応募に十歳トシをごまかして入賞した話など。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa