裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

27日

木曜日

天はキブツを与えず

 イスラエル農業経営不振。朝7時半起床、今朝はまだ涼し。朝食は簡便スープ。缶詰のコンソメに野菜ジュース缶を足して温め、キャベツとソーセージを煮る。メールへの返事数通。神田陽司さんからカルト寄席のネタ、『講談ナウシカ』と『講談インターネット』どちらがいいか、と問い合わせ。どちらがいいか、と言われても。

 原稿書き、不捗。電話やたら。幻冬舎文庫新刊『古本マニア雑学ノート』見本刷り届く。8月はこれと『続・トンデモ一行知識』の二冊。新宿に出て振り込み一件、立食い寿司で昼食すませて六本木へ地下鉄で。時間を読み間違えてギリギリでFOX試写室、今日は『X−メン』。中野貴雄監督とゴッホ今泉氏がいた。ほぼ満席状態だったが、何とかいい席につける。昨日の『タイタンAE』に比べ、こっちの方は前評判絶賛という感じ。要は山田風太郎とか横山光輝の忍者モノの世界。実際、『甲賀忍法帳』ソックリの術(粘着性の強いタンを吹きかけて相手を窒息させる)が出てきたのには笑った。このヒキガエル男はじめ、主人公がオオカミ男、他にライオン男、眼力男、タツマキ女、カメレオン女、磁力男と、超能力者というよりは妖怪みたいに描かれている(原作が60年代のものだからこういうイメージなのはしょうがない)。ただ、驚いたのは悪の首領マグニートーをユダヤ人で強制収容所体験がある人物、として描いていることで、日本ではこんな設定、怖くてとても出来まい(ミスターKが近いか?)。

 中野監督と例によってバカ話。“なんで映画のパンフレットにあるスタッフやキャストの言葉ってどの作品でもみんな「〜だね」「するんだよ。最高さ」とかいう調子で訳されているんですかね”“たまに森鴎外調とかで訳されているとオモシロイですね。「せんと欲す」とか”“フランス映画だと“〜ざんす”と訳すとか”。あと、映画秘宝にまつわる話なども聞く。監督に“実相寺監督と飲むの今日でしたっけ?”と訊かれる。礼ちゃんから連絡あったらしい。終わってゴッホ氏まじえ、FOXの人と立ち話。マンガをうまく実写に引き移して違和感なくしているけど、ウルヴァリンの髪型だけは笑えるねえ、というようなこと。そう言えば、ウルヴァリンを演じている役者の名前がジャックマンなのにも笑った。ウルフマン・ジャックである。と、言っても若い人には通じんな。

 帰りがけ、FOXの人に『タイタンAE』、出来ましたら『週刊ポスト』で、と改めて頼まれる。帰ったら偶然週ポスK氏から電話、“ありゃウチ向けじゃないでしょう”と即、却下。『X−メン』はぜひやりたいそうだ。原稿、急いで書かねばいかんかと思ったらちょっと延びて拍子抜け。7時、赤坂のお座敷洋食の店で飲み会。小雨の中、出かける。TBS近辺というのは実にオモシロイ町並みを呈していて、来るたびに感心する。

 実相寺監督、河崎実監督、加藤礼次朗、河崎さんところのスタッフ(河崎監督作品を見て人生を変えてスタッフとして参加したのだそうだ。いろんな人がいるなあ)、それにウチの女房。実相寺監督のインタビュー撮影(スカイパーフェクのパンドラの 後番組)しながら飲む。円谷裁判の話などで(笑っちゃ悪いが)大笑い。監督(以下 カントクと言えば実相寺監督のこと。今日は監督と名のつく人に会ってばかり)が私の『B級学』をやたら褒め上げてくれたのにちょっと驚き、前から思っていた疑問をぶつけてみた。
「・・・・・・普通、怪獣ファンというのはウルトラシリーズで、飯島さんや野長瀬さんが娯楽派、監督が芸術派、という分類をしているようですが、実は実相寺昭雄の本質は アルチザンなんじゃありませんか?」
 すると監督、即座に
「そうそう! オレの演出の基本は“いかに早く撮り終えて飲みにいくか”なんだから!」
 と答えてくれたので膝を打つ。SF的でない日常をどんどん特撮番組に取り入れたのも、それが特撮と違って“手がかからない”という理由が大きいらしい。現場でも実相寺組の時は早く帰れる、と評判がよかったという。
「だいたい、あの、人物の前にモノを置いて撮る、というのは、切り返しでキャメラ位置変えるのがメンドくさいから、二台使って両方から撮ってしまうためなんだよ。で、そのもう一台のキャメラが画面に入っちゃうから、じゃあそれを隠そう、てんで前にモノを置いて撮っただけなの」

 ・・・・・・もちろん、これは韜晦も入ったセリフだと思うが、しかし実相寺監督と言えば本質はTVの人。自己パロディ、独白多用、極端なアップ、ドキュメント手法、アリモノ利用という、それまで映画畑の人が思いついても抵抗があってなかなか出来なかったことをどんどん取り入れていったところにこの人の本領があり、それが結果 的に“鬼才”というイメージ定着につながったことは確かだろう。湯浅憲明監督や平山亨プロデューサーに話を聞くときもそうだが、現場の人の話で最も面白いのは、“いかにひどい状況の中で工夫して間に合わせたか”“いかに急場をしのぐためにアイデアを出したか”であり、その結果生まれた作品に、周囲の青臭い評論家もどきどもがいかに“意味”を付与していくか、というところにある。言わば伝説の誕生だ。私ももちろん、そういう評論家もどきの一人に過ぎないが、しかしその一方で、伝説の虚飾をはいだ、実際の現場の雰囲気を記録しておかねば、という思いも強い。思えば竹内博編の『OHの肖像』で最も不満だったのは、大伴昌司という常識を超えた人物の伝説を形成することに懸命で、インタビュー中では異色と言える、実相寺昭雄の大伴観を掘り下げることをしていなかったところだった。私の『B級学』も、マンガから個々の作品への大層な意味づけを剥がしたところに賛否は集中したからなあ。

 その他、アッと驚くウルトラ秘話、当時のスタッフやキャストの月旦(“あれはバカ”が続出して爆笑)だの『帝都物語』の秘話だの、いろいろと聞けて耳福の限り。監督を送ってから、河崎、加藤、K子と近くの居酒屋でしばらくまた話。濃すぎるオタクばなしの応酬に、K子がいささか呆れかえっていた。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa