裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

金曜日

さらば糸引き人よ

 納豆みたいな女だったよ。朝7時起き。朝食、豆スープとアボカド。UAライブラリーのお涙少女小説復刻本解説、7枚イッキ書きして、プリントアウトしてK子に渡そうとしたとたん全部消してしまい、ドドッと落ち込む。落ち込みをふるいたたせるために、溜っていたメールの返事を出す。メールと言えば、モロ出しサイト案内、とかいうアダルトサイト情報のメールが来ていたが、確認したら女子高生モノなどはほとんどがすでに削除済。いささか役立たずなメールであった。

 ゲラチェック戻しなんと5ツ。すさまじい状況である。今年は印刷所と運送屋の休みが重なったとかなんとかで、お盆進行が例年より前倒しになっているらしい。腕の筋が痛んだ。昼は寿司屋でもらったカレー(寿司屋の昼飯用)を煮込み直して。さすが、ホタテがゼイタクに入っている。新連載予定の原稿について、電話二本ほど。

 今、メールなどで確認中なのだが、このあいだ入った情報では、白黒映像時代の某人気テレビ番組のフィルムが、先日製作会社で全処分され、裁断されて捨てられたそうである。聞いたとき、身を切られるような痛みが全身に走った。せめてビデオに起こしてからにしてくれ、と叫びたくなった。私物の処分ではない。その番組を見て育ち、大人になった、私を含む視聴者全員の、青春の記憶、人生における構成時間を、いや、現代史そのものを、その会社は処分したのである。日本はまだまだ二流国家であり、野蛮国であることがまた証明された。

 現代における歴史とは大衆文化の歴史である。これを認識しないことには世界、ことにアメリカは理解できない。アメリカを理解できないということは経済も軍事も理解できないということである。歴史を持たない国、アメリカにとって、自らの産み出したテレビ番組、映画、コミックスという大衆文化はそのまま、国民のアイデンティティを形成している要素そのものなのである。日本がバブル経済の絶頂から叩き落されたのはアメリカ資本の陰謀が陰で動いたためであることは明らかだが、彼らに再度の日本撃滅を決意させた事態はなにか。日本企業によるハリウッド映画買収の動きである。アメリカ人にとって、映画産業を乗っ取られるということはアメリカの20世紀の歴史を乗っ取られることだったのだ。他の産業を買収することとは意味が違ったのである。ここを理解していなかったことが、すなわち日本が現在、不況のドン底に苦しまねばならぬ発端だったのだ(ここらへん、少しトバし気味)。

 ことアメリカに限らず、歴史の流れを敗戦で絶たれたわれわれ戦後世代にとって、大衆文化こそ、われわれの個人史、ひいては戦後日本史である。大衆文化の保存に関し、真剣に考えていかねばならない時代に今、われわれの世代は直面している。その具体策の検討を早急にしなくてはならない(先日のマツダ映画社の帰りにも少し話し合ったのだが)。空理空論ゲームはその後で存分にやればよろしい。

 3時、時間割、二見書房Yさん。執筆中の小説の、全体構想を話して、スケジュールを調整する。出版業界の話、いろいろ。渋谷陽一の雑誌作りのやり方の秘密、というような話を聞く。帰って、消してしまった少女お涙本解説、改めて書き出す。やはり午前中と午後ではノリが違ってくる。

 8時半、ブックファースト前で待合せ、K子と韓国家庭料理の何とかという店。金曜日で大変な混み様だったが、運よくすぐ座れた。韓国風しゃぶしゃぶを試みようと思ったが品切れとかで、焼肉、プルコギ、蒸し鳥などを食べる。冷麺は本場風に、むやみに長い麺を、器にハサミを突っ込んでじょきじょき切ってから食べる方式。ツユも本場式なのか、やたら酸っぱい。店員さんもみな向こうの人だが、女の子などは化粧っ気がない素顔で、極めて可愛い。これで化粧を覚えると、みんな趣味の悪いケバ化粧になっちまうのが不思議な国である。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa