裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

29日

火曜日

痔疾は小説よりも奇なり

痔に実際なったもんじゃないと信じられない話がいっぱいあるんだよ。

※学研打ち合せ 『社会派くん』対談 朝日書評原稿

朝の夢。
ニューオリンズあたりの町を訪ねる。
黒人の一団がカリプソを唄いながら家を改装している現場を、路上で
画家がスケッチしていて、その画家はよく見ると弟のなをきである。
一方私は作家で、小説の想を練るためにこの町を旅している。
その町に宿をとり、ある日スケッチしているなをきのところに来て、
いい町だね、と言うと、なをきの画家は
「最初の数日だけはね」
と答える。ふと気がつくと、もうこの町で数日は過ごしているのに、
家の改装(大きな床板を二階に引き上げようとしていた)は
全然進んでいない。同じような仕事を同じカリプソを唄いながら
やっているだけ。画家はニヒリスティックに
「誰もこの町の古さを愛する。そのためにこの町は古いままに
時の歩みを止めてしまったのさ」
と言う。
そう言われて見ると、町の人々は、いろいろ働いているように
見えて、実は同じ作業を、繰り返し々々、進展なく続けている
だけである。画家の絵も、同じところをひたすら塗り続けているだけ。
「あなたはどれくらい、この町にいるの?」
と画家に聞くと、画家は寂しげに笑って
「もう100年くらいかな」
と言う。描いている絵の題名を問うと
「うつろゐ」
と旧かなで答える。この絵の中だけは時が過ぎているのさ、というので
のぞき込んで見ると、なるほど、周囲は春なのに、絵の中はすでに
冬が来て霰が降り注いでいる。

朝9時10分起床、入浴してから朝食の席へ。
リンゴ数切れ、ほぐし伊予柑。
アオマメのスープ。
食後、日記つけ、調べ物少し。やや長い電話一本。

原稿書き。ややドロナワのもの一本。
昼になったのでパスタを茹で、昨日使った残りの貝柱缶を
全部あけてホタテとニンニクの簡便スパゲッティ。
オノとメールで、今日の時間割のマスターにプレゼントする
記念品の参段。

ギリギリまで原稿書いていたので、2時半、あわてて家を出て
タクシーで渋谷、時間割。学研のNくんと打ち合せ。
滞っている書き下ろしの執筆、なんとか何時々々までには、
とスケジュールを話す。書きにくいのではなく、書くことが
あまりに多くてなかなか手をつけられないでいる。

一旦、事務所にもどる。
ネットで必要なものを註文。
郵送場所を間違えて指示してしまった。
自宅のパソコンのマウスはこのあいだマドの見立てで買ったものを
使って好調だが、仕事場のもそろそろか。

トンボ返りでまた時間割。これがたぶん、最後になるか
(明日も明後日の最終日も、別のところでの仕事がある)。
ひとつひとつの椅子や机に、そこで打ち合わせた思い出が重なる。
出版社との打ち合せはそれこそ数限りない。
トリビアの泉の打ち合せをしたのもこの店。
初めてラジオ、テレビでレギュラーを持つとき打ち合せをしたのも
この店だった。

10年という年月は長い。10年前から変わらず打ち合せを
している人もいるし、今はつきあいのなくなった人もいる。
伊藤剛くんの悩み事を4時間つきあって聞いたのもこの店、
おぐりゆかと最後に話しあったのもこの店だった。
いつも頼んでいたのはハーフ&ハーフのアイス。
要するにカフェオレなのだが、この店ではハーフ&ハーフと
呼んでいた。その他、ぶどうジュース、チョコレートドリンクが
定番だったかな。

最後のここでの仕事は『社会派くんがゆく!』対談。
この鬼畜な放談をいくら大声をハリあげて語っても大丈夫な
店だった。担当のK田くん、今後のことは
「途方に暮れる」
と。対談はこの店での最後らしく盛り上がり、村崎さん曰く
「いい話するなあ、俺たち」
としみじみ。オノが途中から来て、写真を撮り、マスターに手渡す
記念品(店名にあやかって懐中時計)を。
そうそう、ここでの私の定番注文品である“ハーフ&ハーフのアイス”
の写真を撮っておかなきゃ。

5時半、対談終わって引き上げる。
マスターにお礼の言葉を書いたカードと記念品渡し、
一緒に写真撮って別れる。
オノ、“せつないですねえ”と。
いい店から無くなっていく、とは言い条かたまって無くなりすぎないか。

そう言えば、EGWORDが無くなるというニュースがネットにあった。
これもかなり私的にはショックである。
理想の、とまではいかないがかなりお気に入りのワープロソフトで
あった。仕事の能率にワープロとの相性というのは直接響く。

バスで直帰。サントクで買い物してから、自宅でもうひと仕事、
朝日新聞書評用原稿。軽い本なのだが、個人的思い入れから
書きたいこと無闇と多く、800ワードにまとめるのに苦労して、
まとめたらまとめたで“キャッチ性がない文章だ”と思い
半分以上書き直し、2時間以上を費やしてしまった。
もはや早書きと自慢など出来ない。

9時半ころ、やっと夕食。
銀鱈とクレソンの湯豆腐、鯨ベーコン。
DVDでエルビス・プレスリー『ダブル・トラブル』(1967)。
プレスリー映画なんと23作目。いいかげん人気も陰りが出てきた
頃の映画で、日本ではとうとう未公開。
67年と言えば第三次中東戦争が勃発し、中国が核実験を成功させ、
アメリカ国内ではデトロイトなどで黒人暴動が起り、ベトナム戦争は
さらに泥沼化していた時だ。
そこに、相も変わらぬお気楽な歌と恋とアクションのスター物語を
作り続けていては、時代錯誤と言われるのも当然だろう。

ところが不思議なことに、その、公開当時は“こんなマンネリ”と
思われていたルーティンの作品が、時がたつにつれ、その時代の
雰囲気を封じ込めた宝石箱になる。
この映画もまたしかり。問題意識も時代の先取りもない
作品だけに、実は問題意識も時代の先取りもないままに生きてきた
大部分の67年の大衆の意識をそのまま写したものになる。
しょうもないものではあるが、その時代に生きている人間の
ほとんどはしょうもないのである。
しょうもない映画しか、そのしょうもない雰囲気は伝えられない
のである。

今回、プレスリーの恋のお相手はアネット・デイという女優だが
顔も演技もほとんど素人同然の子で(出演作もこれ一本きり)、これが
映画の格を大きく下げている。とはいえ、64年の『ラスベガス万歳!』
で芸達者のアン・マーグレットに歌でも芝居でも食われてしまった
プレスリーは、その後、格下の女優としか共演しなくなってしまった
らしい。スター映画の欠点である。……その分、ヨーロッパが舞台の
映画なので、イギリスやオーストリアの達者な俳優たちの演技が楽しめる。
英国貴族役と言えばおなじみのジョン・ウイリアムスの他、
ビリー・ワイルダーの『ワン・ツー・スリー』に出ていたレオン・
アスキン、『史上最大の作戦』でショーン・コネリーと凸凹コンビの
とぼけた英兵を演じていたノーマン・ロシントンなどが競演して
楽しんで演技をしている。ヨーロッパの俳優が好きな私としては
それだけで満足。ラストのヤケクソ的なオチもコメディとして結構!

Copyright 2006 Shunichi Karasawa