裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

14日

月曜日

スウィーニー・トッド、スウィーニー・トッド、松島〜の

♪あれはエ〜エ、エトコーリャ、猟奇殺人じゃエ〜。

※『スパモニ』二回目 風呂本佳苗ピアノコンサート 書き下ろし原稿

パーティに出ているが、誰ひとり知った顔がない。
ただ、みんなは私の顔も、物書きだということも知っているらしい。
バスで次の会場に移動する。田舎家風の店で、玄関で待つうち、
ファンだという中学生に私の自己紹介カードを渡そうとかばんの中を
調べるが見つからず、困ったなあ、と思うという夢。

朝5時、起床。
起きやすいように暖房をガンガンたいていたので
さまで苦痛はなし。
保湿用水皿(東急ハンズで買った『ミスティガーデン』というやつ。
http://www.hands-net.jp/shop/goods/goods.aspx?goods=96079999157
↑案外スグレモノ。置いたとたんに鼻腔の乾燥がなくなった)の
水がカラカラになっていたが。

入浴し、母の作ったビーフサンドイッチ(バカんま)で朝食。
昨日買ったシャツに、父の形見みたいなジャケット(札幌のテーラー
ほんま仕立て。縫い付けてある電話番号の局番がまだ二ケタである
から、もう40年近い昔の服である。長持ちするものだ)。
まずまずの色の取り合わせ。
オノも早起きしてやってきていた。迎えのハイヤーに乗り込み、
テレビ朝日まで。地下入口のところでディレクターT氏、
待っていてくれた。

前回、スレ違いになったのは一階の入口にハイヤーがつけて
しまったため。
「でも、一切とがめられずに4階の方まで行けましたよ」
「うえー、それは警備体制上、問題だなあ、ウチ」
とT氏、驚く。オノ曰く
「絶対業界人だと思われる風体だからじゃないですか」
と。テレビ業界人とは一線を画していると思っているんだがな。

前回と同じく沖さん、吉永さんと打ち合わせ。
沖さん(例によりマネージャー二人連れ)、ジャケットの色を
「あら、いい群青色ですこと」
と褒めてくださった。群青色って言葉、そういえば最近はあまり
聞かない。ウルトラマリンとかラピスラズリ、などと称する
(これらは近似色で群青色とは違うのに)。青色が群れて重なりあった
“群青”ってイメージは凄くロマンチックに思うのだが。

8時、スタジオ入り。
この番組ではコメンテーターはピンマイクを付けず、
卓上のマイクのみでしゃべる。マイク位置をもっと意識して
しゃべる必要あり。あと、打ち合わせが盛り上がりすぎて
本番のガス抜きになってしまっている傾向あり。
そして、コメンテーターとアナウンサー、レポーターの
楽屋がそれぞれ別なため、どこで誰がしゃべるかがわからない。
ビデオ映像が流れているあいだに、話すことがある場合は
どんどん、“次、コメントします”と言い出すべし。
今回はバス運転手自殺と草津温泉ネタはまずまずのコメントが
出来たが、後半の克美しげるは吉永さんの話が長くて、
全然コメントできなかった。吉永さんの長広舌攻略が今後の課題。

いつもより(休日なので)三十分延長バージョンだったが
ほとんどビデオネタ。歌舞伎町の歯医者さんネタなど、
面白いコメントつけられたと思うのだがまるでコメント時間なし。
楽といえば楽だが。

終わってまたハイヤーで。赤坂見附でオノを下ろし、
渋谷まで。メール連絡のチェック少しやるが、事務所全体が
冷えきっていて、とても長くはいられず。
睡眠不足なので、タントンに行って揉んでもらいながら
少し寝ようと電話入れて出かける。
ところが、揉まれてみて初めて、えらく凝っていることに
気がつき、先生も“こりゃなかなか凄いことになってますね”と
揉み込んでくれるので、痛くて眠れず。
数回ウトウトしたが、ちょっと異様な夢を見た。

終わって、近くのろくまるで壺焼きカレーを食い
(ひさしぶりのカレーだったので満足)、
タクシーで初台オペラシティ。
芦辺拓氏夫人の風呂本佳苗さんによるピアノコンサート。
芦辺さんが入口にいたので、挨拶。
こないだのロフトにも来てくれた東京創元社のFさんがいたので
席を並んで座る。雑談から自然にミステリのトリックばなしに
なっていくあたりはさすが東京創元社の編集者さんである。
巽孝之夫妻が見えたので挨拶、驚かれた。

やがて開演、佳苗さんが赤のドレス姿で登場、
すぐ演奏に入る。
今回は『幼き日々への誘い』というテーマで、
シューマン『子供の情景』からの抜粋、
ショパンの『子守歌』、チャイコフスキー『子供のためのアルバム』
からの抜粋、休息をはさんでヴィラ=ロボス『ブラジルの子供の謝肉祭』、
ドビュッシー『子供の領分』。
曲のあいまにマイクを使ってのトークがあるが、これが
芦辺さんの日記と対応するようでホノボノしていていい感じ。
とにかく睡眠不足なのと、選曲がこれなので、途中でオチないか
心配だったがそういうこともなく、楽しく聞けた。
あまりにも有名な曲が多くて、これらは逆に頭に“自分なりの
オーソドキシカルな楽譜”が出来上がっているので、それを
どう演奏者が消化、新解釈を成しているかが興味の対象であり、
ヴィラ=ロボスの曲のような、あまりなじみのないものは
素直に楽しむ。どちらかというと、曲に単純明快なものが
多かった故か、なじみのない曲の方に興趣がいった気がする。
アンコールに、演奏したトロイメライをもう一度演奏して
くれた。これは確かに風呂本佳苗のトロイメライになっており、
また、さっき演奏したものをもう一度というのは、
これが正しいアンコール演奏なのではないか、とふと、思った。

挨拶して(芦辺さん、今度奥様に私の舞台を見せたい、とのこと)
会場を出、小田急バスで新宿まで行くが、これが一時間に一本という
超過疎ダイヤ。しかも4系列あったうちの2系列は去年で
廃止になっている。7分待ちでやっと来た。
小田急ハルク食品街で買い物して、地下鉄で帰宅。
くたびれて少し寝る。

はっと気がついたら7時。だいぶ寝ていた。
起き出してテレビをつけたら『ヤッターマン』。
うーむ、頑張っているとはいい条、常に旧作との比較で
「ここは旧作通りだからいい」
って感想ばかり出てくるリメイクって意味があるのか。
再放送すればいいじゃないか。さきほどの演奏会ではないが、
単純明快な作品というのは新解釈の余地があまりないもので、
単純に見えて難しいものなのである。
噂には聞いていたがオープニングひどすぎ。
途中でつらくなって消した。

書き下ろし用原稿書き。
9時半まで没頭するがなかなか進まず。
まだ資料などいろいろ引用して前置きの段階。
マクラふりが住めば一気にだだだ、になるだろう(と希望する)。
夕食焼きそば二日目、今日はイカと豚肉に味霸で味をつけて。
昨日のよりうまくいった。
それに鯛のわさび醤油漬け。カイワレと一緒にノリに巻いて。
わさびをもう少し利かせるべきだった。

DVDで『ビッグX』。日本に現存するフィルムの中では
最も新しい第40話『虹の国から』。おお、声に山田康雄と村越伊知郎が。
おお、脚本が山野浩一だ。この豪華さと作画のチャチさの対比が何とも。
なぜ40話からしか残っていないかというと、
40話からが東京ムービーの製作になったためで、
それまではそもそも、製作会社が“存在してなかった”(!)のだ。
1964年当時は日本にアニメ製作プロダクションの数が少なく、
すでに『鉄腕アトム』『鉄人28号』『狼少年ケン』『8マン』
という人気作品が製作中、他にCMなどの製作を抱えている
状況では引き受け所がなく、困ったTBSは人形劇団『ひとみ座』
に製作を依頼、ひとみ座の代表・藤岡豊氏が個人的ツテで
スタッフを集め、TBSの空き部屋で作画などを行い、
製作した。そんな状況でまがりなりにも放送できる作品が
出来上がったのが驚異だが、やはりその出来はすさまじくひどく
手塚治虫が激怒したほどだったという。
実際、リアルタイムで見ていた私(6〜7歳)も、
「こりゃひどいなあ」
と思いつつ見ていたものである。
1話のプリントがアメリカに残っている他は39話以前の作品は
TBSが破棄してしまったらしいが、実際は残っていても
上記のような出来のため外に出したがらないのではないか、と思う。

40話以降、やっと放送中に設立された東京ムービーで製作できる
ようになったが、それだって出来にさして向上があったとは
言えず、この作画も今の常識から言うとすさまじい。
シーンごとにキャラクターの顔が違っていたりする。
とはいえ、視聴率は高く、これをリアルタイムで見てファンだった
少年たちにとっては、アニメ『ビッグX』というのはこの作画のひどさ
も含めて、子供時代の記憶なのである。
ビッグXを、上手な絵柄でリメイクしたら、それはリメイクでは
ないのではないか。
リメイクの難しさはそこにある。
新作アニメは新しいファンのために製作さるべきものである。
古いファンはDVDボックス(あるいはCS)の中に眠らせよ。
過去をして改変せしむるなかれ。

続いて刑事コロンボ『さらば提督』。
(注・ネタばれあり)

「コロンボが犯人を見つけるのは簡単だ。毎回、ギャラの一番
高そうなやつに目をつければいい」
というジョークのあるように、毎回有名俳優が演じていた犯人役だが、
今回のロバート・ボーンがまさにそれにあたり、それを例の粘っこさ
で追いつめるコロンボはこれまでのエピソードにましてイヤミである。
ところが、そこまで自信満々だった推理が外れで、ボーンが殺され、
コロンボ愕然、というのは傑作な展開である。

真犯人は、ブルース・カービィと並んでシリーズ最多出演
(しかしどれもチョイ役、脇役)のフレッド・ドレイパーであるという
のは、コロンボ・シリーズの基本設定への最大のパロディであろう。
そう、これは実はコロンボの最終回エピソードであり、
推理が外れてあわてるコロンボの姿を最後にファンに見せてあげよう
という、スタッフのシャレで作られた特別編、なのだ。
継続要望のあまりの強さにまた作られることになってしまって、
ちょっとそれでマヌケな印象になってしまったのだが。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa