裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

28日

月曜日

エルンスト・朝風呂・ブロフェルド

スペクターの首領さん、何で身上つぶした、朝寝朝風呂世界征服大好きで、それで身上つぶした(あぁもっともだぁもっともだ)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B4%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%89
↑今年はエルンスト・スタヴロ・ブロフェルドの生誕100周年にあたります。

※『スパモニ!』出演

朝5時15分起床。
風呂に入り、眠いよーと朝飯を食う。
母が作った野菜サンドだが、野菜というのが茄子のラタトゥーユ
で、無茶苦茶味わい深い。朝の、こんな急いでの食事用には
かえって不向きな本格的高級サンドイッチであった。

で、ふと窓外を見ると、すでにタクシーが来ている。
まだ6時だが、そこでちょっとあせって論理回路が機能停止し、
「しまった、遅れた!」
と思ってしまう。ゆうべ、腕時計の時間合せをしたこともあり、
「そのときに合せ間違えたのかも」
と思ってしまったこともある。
あわてて服を着替えてハイヤーに乗り込んだら、運転手さんが
驚いたような顔をしていた。
……あとで聞いたら、いつも30分早くには到着して、待っている
のが決まりなんだそうだ。
昼の番組の迎えが案外ギリギリだったりするので、そうとは思わなかった。
ヘアメイクさんに
「ウチへの迎えもいつも30分前ですから」
と言われる。言われて、へえ、ヘアメイクさんにもタクシー出して
いるのか、やはりテレビ局は金があるなあ、と思い、出演者として
少し“自分たちは特別”という意識のあった考えだな、と反省。

収録はいつも通り。
橋下氏については、あえて発言せず。
辛口になりすぎてもいけないし、お世辞もいいたくない。
実際には今回の仕事をいただいたきっかけが彼の立候補なので
お礼を言わないといけないのだが。
ただ、彼の選挙戦の模様を、ライバルの熊谷候補と比べた場合、
ちょっと熊谷氏がかわいそうになるくらい、最初から
差がありすぎた。テレビの論戦などのとき、橋下氏はもう、
熊谷氏とロクに視線を交わそうともしていなかった。
……大物タレントが小物をつぶすときの常套手段である。
橋下氏の選挙参謀は所属芸能事務所のタイタンのマネージャーだという。
テレビが選挙のキーになる大都市圏での選挙で、その戦略を知り尽くして
いる橋下陣営に、どんなに応援演説に大物が来ようと、素人がかなう
わけがない。

現代の選挙戦はしょせんテレビ選挙戦である。ケネディ以来、
映像メディアを制するものが政治を制するのである。
要するに、ミバのいい方が絶対有利、ということである。
良い悪いではない。映像が情報の主体である以上、そうなるのが
必然であって、これが情報化社会というものであり、その中で
勝ち抜こうと思うなら、それに向けて対策を練ることが当然なのである。
ネットで“タレント候補に弱い大阪人はバカだ”という意見があったが
冗談じゃない、今回のような選挙戦を繰り広げたら、東京だって福岡
だって、日本全国どこの地域の選挙でだって橋下氏の圧勝は疑いない。
東京都知事選にだって勝てたのではないか。
……ただし。
マスコミによるイメージはビッグ・ウェイブを造り出しはするが、
これは結局は空中楼閣である。青島幸男、横山ノック、
田中康夫と、マスコミによる人気でトップの座を得た多くの政治家は
その末路はマスコミによる大バッシングの末の退陣だった。
橋下さんの明日がどうなるかは、誰にもわからない。
……それはそれとして、赤江アナはますます可愛い(なんなんだ)。

終わって、送られるハイヤーの中で急速に眠くなる。
帰宅して、昼飯がわりのパスタをゆでて、バジル風味のホタテ
スパゲッティを作って食べ、ベッドへ。寝床で読書していたら
あまり寝られなくなった。1時間ほど。

最近はトイレ読書が杉本苑子『春日局』読み終わり、
森枝卓士『アジアラーメン紀行』読み始め。
ベッド読書が河出書房新社『拷問の歴史〜ヨーロッパ中世犯罪博物館』
読み終わり、再読ではあるが大場正史の『西洋拷問刑罰史』を読み始め。
車中読書は四方田犬彦『日本映画と戦後の神話』、
それに書評用読書(これは仕事机でメモ取りながら読む)が数冊。
常時5〜6冊の本を平行して読んでいることになる。そう言えば
『本は10冊同時に読め!』なんて本もあったな。

起きて原稿書きしていたら、K子が掃除に来て、
「今日、映画に行く(例のパルテノン多摩の)んじゃなかったの?」
という。中止になったことを告げ、仕事しているから気にしないで
掃除してよ、と言ったら、
「私が女中のように働いて君がノウノウと座っているのはイヤ!」
と言って、帰ってしまった。どういうメンタリティか。

6時ころ、再びK子来る。
入れ違いに家を出て、携帯でM書房と途切れていた企画の再進行、
打ち合せ。駅前の喫茶店でメモ作り。
サントクで買い物し、母を拾って、東北沢へ。
久しぶりの親孝行で、和の○寅へ。
再開発の話など聞く。進むにしろ、まだ半年や一年はかかるという
ことなので、しばらくは安心。“今月いっぱい”などという
噂まであっただけに。

母とこの店のお母さんが同い年だということもわかって、
母が楽しげににごり酒など飲んではしゃいでいた。
カジキの炙り刺しから始まって鯛とブリの刺身、
青野菜をヒタシマメのドレッシングで和えたものなど、
食べながら、最近常連さんになったマイミクさんたちの話など。
〆は鯛茶漬け、しかしこのあたりにはかなり酔っていたような
気もする。

10時半くらいに帰宅、少し仕事もと思ったが寒くて、
すぐベッドにもぐりこんで『西洋拷問刑罰史』。
読み終えた『拷問の歴史』で、1769年にオーストリアで
発布されたマリア・テレジア刑法による、拷問のやり方に関する
凄まじく細かい規定を読んで興味深かった。この法律に定めるところ、
器具の設計・組み立て法から、ロウソクによる火炙りのロウソクの
本数や炙る個所、罪人を縛る縄の太さ、足かせ用の鎖の個数、
器具に使う釘やネジの長さまで科学的に計算されて指示されており、
使用法も図示されていた。前近代的な拷問を、近代的な法規則で
定めているところにブラックなユーモアさえ感じさせる。
テレジア刑法は開明君主であったマリア・テレジアの晩年の保守化の
表れと言われた時代逆行的な法律であって、女帝の死後、息子の
ヨーゼフ1世により廃止されたが、それでも、その拷問や刑罰の
システマティック性は伝統として残ったのではないか。
以前、マイミクさんの日記にコメントで書いたのだが、
映画『会議は踊る』で、主人公のおてんば娘が自分の店の広告を
ウィーン会議に出席したロシア皇帝の馬車に投げ込んで爆弾と
間違えられて捕らえられ、騒擾罪で鞭打ちの刑を受けるとき、
「被告はただちに鞭打ち室に移送され、×号の鞭によって×回、
鞭打たれることとす」
という判決を受け、連れてこられた拷問室の壁には鞭がナンバー
をふられて何本も(刑の重さによる区別だろう)かけられている
図がユーモラスだったが、このシステマティックさはテレジア刑法の
名残だと思うんである。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa