裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

24日

土曜日

ミシュラン人の笑顔も ミシュラン人の暮らしも 失われても泣かないだろう

『三つ星のない街の中で』(中島みゆき・作詞)

※白夜書房原稿 アンドナウの会打ち合せ

朝、風呂の湯を入れるときに、連日のクジラ料理で、台所近辺が
あまりにクジラ臭かったので、ベランダに出るドアを開けて
網戸にしておく。
9時、入浴の際、外気が入っていて身を切るように寒いが
入浴は極めて心地よし。

9時半朝食、富有柿、モンキーバナナ、リンゴ。
コーンスープカップ一杯。
テレビで鳥越俊太郎が三島由紀夫事件を取り上げていた。
そう言えばそろそろ11月25日である。
あの報を聞いた日の、妙に乾燥した空気はいまだに
明確に記憶している。
鳥越のインタビューに美輪明宏が答えていたが、
天草四郎の生まれ変わりと自称するこの人、三島が
自決当日に書き上げた『豊饒の海 天人五衰』のラストで、
輪廻転生を否定しているのをどう思っているのだろう。

ちなみに、今日、23日は1963年、ケネディ暗殺の報が
初の衛星中継で伝えられた日。その二年前の1961年、
ケネディは演説で“10年以内に人類を月に着陸させる”と声明、
全世界の注目が月に集まった。三島が1965年に連載を開始した
『豊饒の海』というタイトルが月面の“豊かの海”から取られている
のは、大衆が熱狂的に月を眺めていたこの時代の反映であろう。
アポロと三島はここでつながっているのである。
そしてケネディの言の通り、1969年、アメリカはアポロ11号で
月面に人間を送り込み、翌70年3月、そのアポロが持ち帰った月の石は
大阪万博に展示され、見物客が長蛇の列を作った。
そして11月、三島は死に向かう。
60年代というのは、月が人間たちを狂乱させていた時代なのかも
知れぬ。

今日は夕方からアンドナウ打ち合せ、その前はずっと白夜書房
原稿の予定。
日記付け、原稿書き。
開田さんに原稿に付す写真をメールで送る。

スケジュールいろいろつまってきて不安感あり、どうにかなるさ
という楽観とがないまぜになり、なにか躁状態。
昼は焼きむすび。
母の焼きむすびは梅干しが入っているのが特長。
それと卵焼き二切れ、奈良漬け三切れ。

4時半、なんとか第一部の原稿送って、新中野ヴェローチェまで。
オノと、某件打ち合せ。あまりの煩雑な内容に、二人ともお手上げで
こりゃダメだと放棄する。IPPANさんがこういうの、
得意分野じゃないか、と提案。彼に押し付けよう(笑)と協議。
オノに、クジラのカワ、少しおすそ分け。

地下鉄で新宿三丁目まで。もと昭和館のあった場所に建った
ビル(昭和館ビルという名称が嬉しい)の前で
しら〜、IPPANさんと待合わせ。
K's Cinemaの番組担当S氏に挨拶。
S氏は以前中野武蔵野館にいた方だそうで、私のこともよく
ご存知だった。今後の企画で、よろしくお願いいたしますと
挨拶する。

それから、今後のロフトプラスワンでの企画のことなどを
焼鳥屋海老忠で打ち合せ。
二階に上げられるが、ヌシみたいなおばちゃんが仕切っている。
お茶漬けをオノとIPPANさんが二回に分けて頼んだら
「ああいうものはまとめて頼んでくれないとめんどくさいのよね」
と叱られた。いやあ、まだ昭和の新宿が残っている気分になった。
ホイス割りなど飲んで、タイムマシンに乗ったような感触。
例の件、やはりIPPANさん、目を通して
「なるほど」
と興味持ってくれた。オノ、
「われわれだと“なるほど”とも言えない理解力レベルだったのに」
と、IPPANさんに尊敬のまなざしを注ぐ。

そこを出て、二丁目まで歩き、久しぶりにへぎ蕎麦・崑に。
「先生、お久しぶり」
と挨拶される。八海山三合瓶かたむけつつ、
ちょっと前に出たイワクありげな話を。
やはりまだ、様子見という結論に。
〆の蕎麦、やはりここのがへぎそばの中では抜群に美味。

地下鉄で帰宅、酔っていたのでベッドに入るが11時ころ目が
覚めてしまい、また腹が何故か減って(そういえばまとまったものは
蕎麦以外食っていない)カップヤキソバなど食べてしまう。

眠れないので、今朝のこともあり、DVDで三島由紀夫『憂国』。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000E6ETR0/karasawashyun-22
能面のような鶴岡淑子の表情が怖いこと。
能舞台を模した様式美のセットやワーグナーの楽曲をバックに
演じられる無言劇といった象徴性と、割腹シーンのリアルさ
との、意図された不調和が印象的。
ただし、巻紙に書かれたナレーションでは説明されるものの、
“憂国”“至誠”という概念というかテーマというかを、
2・26や国粋精神に下知識のない人にこの作品から読みとれ、
というのには少々無理があり(海外での映画祭の受賞を逸したのも
そのためだと思う)やはりこれは死への願望と官能を徹底して追求した
切腹映画、として評価されるべきだろう。

監督は三島本人だが、演出は三島と同性愛関係にあった堂本正樹。
彼も朝の特集で顔を見せていたが、脳卒中かなにかの後遺症だろう、
半身不随らしく、顔も左側のまぶたは垂れ下がったままだった。
美輪明宏もそうだが、年月というものの悲哀を感じる。
今日の会合で岸田森の話が出て、やはりナルシストだった岸田森は
あの年で死んで幸福だったのではないか、と話が出たのが
思い合わされる。

映画そのものより製作の方に今、どうしても興味が行く身としては
ブックレットの三島による『製作意図及び経緯』という文章、
及び特典のひとつである撮影台本と実際の映像のマルチアングル画面が
非常に興味深かった。経緯の中の、予算の切り詰めで弁当も安いものに
しようというプロデューサーと三島との対立などという細かいところが
面白い。切腹のあいまにも弁当は食うよな。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa