裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

10日

土曜日

棄権者やえもん

おれだってしゃあ、わかいころにはしゃあ、投票に行ったもんだがしゃあ。

※腹下し コラム原稿手直し 『渋谷極楽亭』生放送

朝3時ころ、猛烈な下り腹で目を覚ます。
トイレにかけこむが凄まじい水様便。
ホースで水を撒くようなイキオイである。
体じゅうの水分が抜けるんじゃないか、と思えるような感じ。
脱水症状(これはゆうべのウォツカのせいもあろう)で
喉がやたら渇く。
冷蔵庫の中のお茶のペットボトルを一気飲み。
そうしたらこみあげてきて、トイレで人間ポンプになった。
胃の中のものも全部、なくなる。
これほど猛烈な症状もひさしぶり。
それから7時くらいまで、繰り返し繰り返し、そんな状態。
冷蔵庫の中に飲むものが無くなったので、小雨の中
近くの自動販売機まで行って、十本ばかり清涼飲料水買い込む。
飲むときは岩塩と一緒に飲んで、ミネラル分の欠乏を補う。
額にじんわり汗がにじんできたので、吸収されたのだな、
と確認。薬箱の中にあった止瀉薬をのみ、やっとゆっくりと
眠る。9時半まで失神状態。
ウォツカか、あるいは寝る前のラーメンか、
と思っていたが、後から聞くにいまの風邪は下痢を伴うとか。
風邪かな。

9時半、朝食。カキ、ブドー、ミカン。
果物は下痢時には腹を冷やすからよくないのだが。
自室に帰り、仕事。
『パチスロ必勝法NEO』でのコラムに一ヶ所手直しの
必要あり。これを書き直して送る。

下痢はおさまったがチクチクとその後も胃が間欠的に痛む。
少し横になって休む。
K子が今日の予定を聞いてくるので、外出の時間を教えるが
予定が狂うかもしれない。

昼は母の室で食事。別に今日の体調のために、ではなく
昨日から言っていたことだが、中華風かゆ。
鳥肉で出汁をとったものだが、弱った腹には最適。
「腸(はらわた)に春滴るや 粥の味」(漱石)
季節が違うが、まさにこれ。

雨やまず。
某社に見せる作品の腹案をいろいろ練る。
まだ全然具体的になっていないものだし、
逃避みたいな作業だが、最近はこれが一番楽しい。

4時、家を出てバスで渋谷。
雨は小やみになったが空は寒々。
車内で『週刊新潮』『週刊文春』読む。
読みふけっているうちにNHK前に到着、あわてて降りたら
傘を車内に置き忘れた。

事務所、母が整理に来ていた。
事務所のパソの壁紙なども少しいじる。
6時45分、NHK西門まで。
スタッフの案内で13階のラジオスタジオまで。
森口博子さん、志らくさん、関口アナウンサーなどに挨拶、
立川企画のMプロデューサー、相変わらず横柄なれど
以前に比べれば……である。

打ち合せ、こないだの時間割で、落語の話中心で……と
いうことになっていたが、“やはり半分は雑学の話で”に
なる。また、いきなり“ここでとっておきの雑学を”などと
台本にある。おい、そういうことは事前に言ってくれよ、と
いう感じ。人の頭から、ポップコーンの製造機みたいに
雑学があふれ出してきているものと思っているらしい。
『トリビアの泉』にしろ、いかにあのネタで“使える”ものを
チョイスするのが大変か、ということはまあ、わからないか。

スタジオ前の控場所に移動。こないだ立川流落語会で会った
志らべくんに会う。快楽亭のところのジョンイルのことを話したら
マジですか、またやっぱり金取っているんですか、などと。
小春の話などをいろいろ聞いて笑う。

番組は三部にわかれ、最初は森口さんと志らくを中心にした
トーク、志らくは映画のことになるとホント、マジに語る。
も少し落語家っぽくシャレを入れるなりオチをつけるなり
すればいいのだが、そこが“好きが病”ってところなのだろう。
アツくアル・パチーノを語っていた。

それから次のコーナーが私、落語への思いを“NHKぽく”
語り、それから雑学のところへ。
しかし、ひさびさの生放送だが、やはり生はいい!
緊張感が収録とはまったく違う。
森口さんは元アイドルとは思えないまじめっぽい性格の人と
みえ、映画のコーナーでも『ゴッドファーザー』を
「人殺しが商売の人たちに感情移入しちゃいけないんじゃ
ないですか」
と言っていたし、
「これだけは許せない男」
というのに、“酔ってプロポーズする男”と答えていた。
「そりゃ、違います、可愛いんですよ。“この酒を、止めちゃいやだよ
酔わせておくれ、酔わなきゃ言えないことがある”って言うでしょ」
と、私の口調の方が志らくより落語っぽくなった。

音楽のコーナーでは『美女と液体人間』から白川由美の吹き替えで
マーサ三宅(元・大橋巨泉夫人)が歌うジャズナンバー
『THE MAGIC IS BIGIN』を持って行く。
スタッフにはなかなか好評だったが、森口さんには映画のタイトル
だけで引かれてしまった。女性にはこういうゲテっぽいのはダメか?

それから俳句のコーナー、季語(というよりお題)が“トイレ”。
「失恋の涙はトイレの中に落ち」
というのを即興で作ったが、
「失恋の涙はトイレの床に染み」
とした方がよかったか。
「近ごろは何故か呼ばないWC」
というのも出来た。

とにかく、50分があっと言う間。
スタッフも“怒濤のようでした”と、いつもの感想。
何かテンションが上がった
タクシーを新中野まで出してもらう。
中央大学の落研出身という放送作家さんに、中大落研製作の
九代目文治の特製CDを貰う。嬉しいなあ。
毎回こういう仕事だといいのだが。

サントクで買い物、腹がまだ調子悪いので、里芋の似たの、
それと、七五三の季節だからか、小鯛の尾頭付き塩焼きがあった
ので、買って帰り、ワサビ醤油で食う。
ビールとホッピー。

食後ビデオでロマン・ポランスキー『反撥』。
http://jp.youtube.com/watch?v=0NJUwvhi6XE
↑予告編。
異国の地(ブリュッセルから姉と共にロンドンに移住してきた
という設定。何故かは映画の中では語られない)で、土地と
人に馴染めないまま、内気におどおどしつつ暮す少女の内面が
次第に崩れていく過程をサディスティックなまでに接近して
撮影した、というおもむきの映画。

主人公・キャロルは、徹底して内気で、神経症で、潔癖症な少女である。出来れば姉以外の人間とは関わりたくない。しかし、彼女にとり
最大の不孝は、彼女の外見が男たちにとり、無視できないほど
美しかったということだった。
街を歩けば労働者たちが卑猥な声をかけ、職場のおばさまたちは
男のあしらい方にいろいろ入れ知恵の説教をし、姉の不倫相手までが
そのような目で見る。彼女にぞっこんのハンサムな男がいるが、
彼に対しても、(好意はあるが)心を開くことができず、
耐えられなくなった彼がいきなり彼女の唇を奪ったとき、
彼女は逃げ出して、洗面所で必死でうがいをするのである。

REPLUSIONという原題の訳は、『反撥』というよりは
『嫌悪』が適当だろう。彼女は、自分の周囲を取り囲む世間を嫌悪し、
拒絶し、最後に自分のアパートにひとり(姉は男と不倫旅行に
出かけてしまう)籠って、世間との関係を絶とうとする。
姉の作りかけの料理の兎の肉が腐っても片づけようとしない。
家賃を払っておいて、と姉が金を置いていったにもかかわらず
払おうともしない。しかし、そんな部屋の中で、彼女が妄想する
のは、壁から生えた無数の手に身体を揉みしだかれ、鏡に映る
誰とも知らない男に犯されるというイメージだった。
そして、その彼女の部屋にある日……。

とにかく、キャロルを演じるカトリーヌ・ドヌーブが、美しい。
美しいが無表情で、ガリガリの痩せっぽちである。
撮影当時22歳だったというが、16〜7にしか見えない。
そんな女性を徹底してひどい目にあわせ、最後は××させて
しまうのである。ポランスキー監督の持つ嗜虐性が実によくわかる。
後のポランスキーが少女への性的暴行でアメリカにいられなく
なった原因はここにはっきり表れているといっていい。
そして、そういうヘンタイが作ったものであっても、
いや、ヘンタイが作った映画だからか、凄い傑作になってしまった。
映画は日常を描くものではない。非日常、いや、異日常を映す
ものなのである。正常な人間に異日常は描けない。

そして説明が少ない。極端に少ない。
そもそも、何でキャロルがこんなにも外界に対して恐怖を
抱くんだが、過去にどんなトラウマを持っているんだか、
凡庸な(ヘンタイでない)監督だと、そこをクジクジと
説明してしまって怖さをそぐが、ヘンタイであるポランスキー
はそんなくだくだしい説明など一切しない。興味もない。
ただひたすら、ドヌーブを追いつめていく。部屋のセットも、
共演者の演技も、音楽も、小道具も、効果音も、照明も、
全てを使って。ただ、ひたすらそれだけに1時間46分を使う。

俳優はドヌーブ以外は地味な演技派ばかり。
ドヌーブに恋してひどい目にあうボーイフレンド、コリンを
演じるジョン・フレイザーは後に『刑事コロンボ・ロンドンの傘』
でスコットランド・ヤードの刑事の一人を演じている。
同じくドヌーブに迫ってひどい目にあう意地悪な大家役の
パトリック・ワイマンとオーストラリアでの舞台公演に同行し、
自室で心臓麻痺で急死したワイマンの死骸を発見する、という縁も
あったそうだ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa