裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

18日

日曜日

ドラドラ小猫と赤坂晃

♪警察出たぞ、職質出たぞ、スタコラ逃げてどんどんどんどん走れ。

※仙台取材(2日目)

ホテルの部屋で朝6時50分目覚める。
7時まで読書、書評用のもの。
面白いが軽い。とはいえ、扱う対象物が高度なものなので
軽くても土台がしっかりしている、という感じ。
入浴したり、ストレッチ運動したりしているうちに
8時になり(集合が9時)、あわててロビーに行き
朝食券再発行してもらって、5階の朝食会場(変な名称だ)
へ行くが、満席で何人も前に並んでいる。
私の後にもずらりと列ができた。

15分ほど並んでやっと朝飯にありつける。
クロワッサン小二ヶ、ベーコン、スクランブルエッグ、
ミルクコーヒー。和食でなくしたのは納豆が無かったため。
スクランブルエッグがホテルのものとしては上出来。
K川さん、Hさんもいた。
Hさんに“このホテルの備え付けのヘアクリップが大変使いいい
ので、カラサワさんの部屋のものを後でいただけませんか?”
と頼まれる。

彼女は昨日の仙台でも、お気に入りのバタークリームケーキの
店を探して、そこを訪ね、あまりにおいしかったので
今日また買い込みに行くという。
台湾旅行のときにもその、自分の快楽感覚をとことん追求する
綿密なる計画に驚嘆したものだ。
短い人生、エピキュリアンたるべしとは常々思っていることでは
あるが、とても彼女のごとくには勤勉になれぬ。
感服してしまう。

荷物をまとめて(ここで朝食券見つかった。やれやれ)、
ロビーで仙台訛りのチャーミングな受付女性に頼んで宅急便で
出し、身軽になって(とはいえ、一乃谷で貰った梅酒など、
紙袋にずっしり)あのつくんのバンに乗り込んで出発。
昨日みんなにウケたのはこのバンのナビゲーションシステムの
女性のアナウンスで、
「あと○○キロで目的地周辺です」
と言うのはいいが、その後で
「目的地周辺です。ここで案内を終ります」
と、到着もしていない周辺で見捨てて、あとは勝手に探せかい!
というツンデレならぬツンツンぶりだったとか。

まずは極めてまっとうに松島方面。空模様が心配な中、
松島方面へ向かう。“西行戻しの松”なる名所。
“西行戻し”とは、この松のあたりまで来て、西行が
松島を見ずに帰ったことを言う。松の根元にある説明文によれば、
松島に来た西行が
「月にそう桂男(いい男のこと)のかよい来て すすきはらむは
 誰(た)が子なるらん」
という歌を詠むと、近くで草を刈っていた子供が
「雨もふり 霞もかかり霧もふりて はらむすすきは 誰が子なるらん」
と詠んだ。西行はその歌を聞いてその優れていることに驚き、
子供に何をしているのか訊ねると、
「冬に育ち夏に枯れる草を刈っている」
と答えた。西行はその意味がわからず、自分の浅学を恥じて
松島も見ずに京に引き返したという。ちなみに“冬に育ち夏に枯れる”
草とは麦のことだとか。

あのつくん曰く
「何のこったか、何度聞いてもわかりません」
と。要するに落語の『道灌』と同じく、歌道名人が思いもかけない
田舎の人に風流でやりこめられるという話であろうが、
道灌の落語のようにはわかりやすくない。
そもそも、最初の西行が詠んだ歌より後の子供の歌の方が
どこが優れているのか、歌道に暗いわれわれにはサッパリわからん。

展望ちょっとよし。
雨がパラつきはじめたので、急いで車に乗り込み、塩釜の市場へ
行く。着いたときには雨、上がっていた。この日はこの繰り返しで
まったく傘の世話にならず。ツイていた。
塩釜の市場、観光客が並んでいるので何かと思い列の後ろに
くっついてみたら、いわしのつみれ汁を無料で配っているので
あった。一杯いただく。出汁が濃厚でおいしい(写真)。
市場の中(♪さかなさかなさかな〜の歌がかかっている)を
見学し、ハンサムな兄ちゃんから鯨の皮の固まりを二本(刺身用の
柔らかいのと、出汁用の堅いの)を買う。3000円。

ちょっと早いが昼にしよう、と、大黒寿司という塩釜の
有名店に行く。本当はすし哲という店が一番の有名店なのだが
いつ行っても長蛇の列だとのこと。
その大黒寿司も、団体さんが入っていて、あまり手の込んだ
ものは作れない、と言われる。まあ、別に手の込んだものも
いらないし、と特上寿司5人前。私としら〜だけビール。
さすがにネタがよろしく、まぐろとウニ見事。
つまみでサバ、アナゴ、赤貝なども頼む。
とはいえ、さきほどのつみれ汁などのせいもあり、あまり
入らず。団体さん、昼間(というかまだ午前中だ)から
焼酎ボトルでおかわりするイキオイ。
ぶどうエビ、われわれには“ないんですよ”と行ったが、
団体には出したのにあのつくん、“隠してたな”と。
たぶん、中途半端に頼まれて数が合わなくなるのを
恐れたのだろう。帰り際、それでマが悪かったか、
「テレビに出ている人ですよね、声でわかった」
とお世辞を言われた。

そこから同じ塩釜のふれあいエスプ塩釜という最近流行りの
どうにも軽薄な名前の施設の中にある、長井勝一漫画美術館に
立ちよる(写真)。小さいスペースだが、生前の長井さんの仕事机回り
などが再現されており、代表的なガロの作家の原画なども見られ、
案外落ち着く。鬼太郎人形などが飾ってあるのは違うだろう、と
いう感じだが。トイレに入って水を流したら、全然排水されず、
床にジャバーと水がこぼれ出す。ちょっとガロ的な状況に
なった。すぐ人が飛んできたのでことなきを得たが。

その後、来るまで塩釜とは反対方向、成田山にある、
仙台武家屋敷なる、今回の目玉観光地へ(写真)。
仙台での主要取材目的である。
ここの見学については、開田さんの『ぶらりオタク旅』に
書くので、日記に挙げるのはその発売後に。
とにかく、出たときHさんが“お腹イパーイ”と叫んだほどの
珍スポットであった。

さて、そろそろ夕暮れも近づく頃合い(と、言っても三時だが
冬の仙台は日のかげるのが早い。Hさんご推薦のケーキ屋、
『甘座(アマンザ、と詠む)』に出かけて、お奨めのアップルパイ
とエクレアをおみやげに買う。
駅の近く、ユニクロの巨大なビルが建っているあたりがまだ
せせこましい商店が建ち並ぶ一角だった頃、そこに月替わりで貼られる
全日本プロレスのポスターを飽かず眺めていた23歳の暮れを
しみじみ思い出す。小さい古本屋があり、そこに修正前の
平井和正『狼男だよ』が出た(あの有名な改悪版である)、
という噂が流れて飛んでいったこともあった。結局、違ったが。
「あと、三畳くらいの狭いビニ本屋があってねえ」
と言ったら、あのつくんが吹き出した。彼も通っていたらしい。

K川さんたちはこれから秋保温泉の方へ向かうという。
あのつくん、自由席チケットで帰るというしら〜と別れ、
みどりの窓口にしばらく並んで土日切符で指定席確保、
4時11分のマックスやまびこで帰京、ホーム間違えてギリギリで
飛び込むが何とか間に合う。車中で仕事するつもりが
何も出来ず、松本清張など読みながら。

帰宅、中央線で新宿まで。財布の中身、かなり軽くなる。
旅行というのは細かくいろいろ金を使うものだ。
帰宅してネットでいろいろ留守中の用事やりとり。
原稿書き始めるが捗らず。
9時半、パイデザのめぐみさんが法事で帰っていた滋賀から
戻ったというので母の室で、マグロの手巻き寿司食べながら三人で雑談。
大阪市長選、朝日の書評委員仲間であった橋爪紳也氏が出馬して
いたが三位。同姓同名人だとばかり思っていたらご本人だった
ときには驚いたものだ。

11時ころ自室に戻り、寝ようとするがなかなか寝られず。
ホッピー飲み直してDVDで『憲兵とバラバラ死美人』など
見てしまう。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000B63DCA/karasawashyun-22
どちらも中山昭二、天知茂の共演なのでよく『憲兵と幽霊』と
ごっちゃにされるが、『憲兵と幽霊』は怪談映画の巨匠中川信夫監督、
こっちは鞍馬天狗映画などで知られる並木鏡太郎演出。
並木監督は怪談ものでは池内淳子が毛むくじゃらのゴリラみたいな
吸血鬼に変身する『花嫁吸血魔』なども撮っている。

まあ、中川演出にくらべるとずいぶんおとなしく、ケレン不足は
否めないがかえってドキュメント調で(ワキのエピソードのある
キャラのその後などをしつこく描かないところなど)別の意味で
面白い出来になっている。
バラバラ死美人役の三重明子が美人で色っぽくていい。
殺人事件の真相を突き止める憲兵役をキリヤマ隊長中山昭二、
その彼にほのかに思いを寄せる小料理屋の女将に、後(2年後)に
中川信夫の『東海道四谷怪談』でお岩を演じる若杉嘉津子。
そのおてんばな妹役が江畑絢子。
丹波哲郎の愛人で、1児(俳優の森正樹)をもうけた女性である。
この妹役が可愛い。当時江畑絢子19歳、ハツラツとした演技だ。
姉のほのかな恋や友人の結婚をからかってばかりいて、
自分ではそういうことにまったく無関心(幼なじみの中山の部下の
憲兵伍長が秘かに恋しているんだが、江畑の方はさっぱり
気がつかない、というルーティンだが微笑ましいシーンがいい)。

で、その江畑絢子演じる“しのちゃん”の台詞に、すさまじい
時代無視なものがあった。
中山昭二の憲兵軍曹が二階に下宿すると知ったおしの、挨拶のあと
姉に向かって言う文句が
「鬼の憲兵っていうからゴジラみたいかと思っていたけど、
案外スマートね」
聞き間違いかと思ってもう一回戻して聞いてみたが、
やはりゴジラ、と言っている。

この話、憲兵なんかが出てくるわけで、当然のことながら戦前、
昭和十二年の話とテロップに出る。その時代にゴジラはないだろう
(スマートってのもアリか?)。
もちろん、映画の公開は1957年(昭和32年)。
もうとうにゴジラ(昭和29年公開)は一般名詞、というより流行語
になっていた。
比喩にその単語を出したのは、脚本(杉本彰)の遊びか、それとも
江畑絢子のアドリブか。
何にせよ、聞いてのけぞってしまった。

そう思ってみると、この映画のクライマックス、捜査シーンで流れる
勇壮なマーチ風の曲が、なんとなく伊福部調の、あのゴジラの
リズムに似ているのである(音楽はあの“ヤン坊マー坊天気予報”
を作曲した米山正夫)。
オマージュ、というにはあまりに作品の傾向が違い過ぎるし、
単なる偶然かさもなくば無意識の模倣なのか。

ともかくこの映画、見るのは三回目(オールナイトで一回、ビデオで
一回、DVDで今回)なのだが、このセリフに気がついたのはこれが
初めて。デジタルリマスターで音声がクリアになったからであろう。
いや、まだまだ見落とし(聞き落とし)ってあるんだろうなあ。
これだから古い映画は油断できない。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa