裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

30日

土曜日

毒食わばサラマンダー

 全然関係ありませんが昭和9年2月発行の『主婦の友』付録『婦人の手紙』書き方読本の文例の中に、“告知の手紙”の例として、妹が服毒自殺したことを知らせる文例があって仰天したことがあります。“長い人生の間に、こうした手紙を書かねばならない人も、決してないとは言いきれないと思います”という監修者の言葉がついていましたが、よしんばあったにしても、そういうときにこのような文例集を参考にはしないんじゃないか。朝、5時起床。ゆうべはかなり食った。体重もこのところリバウンド傾向にある(してはいないが)。いかんなあ、と思いつつも、夕食にはつい、手が出る箸が出る。頭も体も弱い私であるが胃腸だけは因果と丈夫で、しかも栄養吸収能力が、ひもじい状態が続くとシフトがかかってパワーアップするらしく、少量の食事でもきちんと太ることが出来る。中世の貧村あたりでは生き延びるのに重宝する かも知れないが、この飽食の時代には余計な能力である。

 開田さんにメールなどして、7時半、朝食。香田証生氏らしき遺体が発見され、後頭部のハゲで本人確認中とか。どうしてこう、徹頭徹尾キーワードが緊迫感のない運命なのか、この青年は。思わず頭に“♪ドレミっちゃん鼻ぺっちゃん……”という戯れ歌が思い浮かぶ(♪頭の横ちょにハゲがある……と続く)。こんなことをいうとまた、“カラサワは不謹慎だ”と言う輩が出るだろうが、まあ、勝手に言っとけ、である。以前の三バカ拉致事件、いや、その前の9・11のときからそう思っているのだが、こういうときには不謹慎ギャグを謹まねばならぬ、としてしまう雰囲気が、結局のところ、“個”が事件とそれを取り巻く空気に呑み込まれてしまい、言いたいことも言えぬ時代を到来させる。テロに対する、われわれ市民が取りうる最も効果的な行動は、日常をきちんと守ることだ。日頃不謹慎な人間は、何が起ころうと不謹慎を保 つべきなのだ。

 雨中、タクシーで仕事場へ。今日が最終締切(製作会社がテレビ局にチェックを受けるため)のコミビア台本、最後の一本を書く。徹底して意味をなくす。あと、朗読ライブの葉書などを書く。詳細はトップページにあるが、なにしろ会場がかなり狭い 模様なので、なるべくお早めに予約を。

 昼は兆楽にてギョーザと半チャ。食後かなり胃に血が行ってしまい、どうにも身動きがとれなくなる。ぼんやりした頭で、内藤みか『いじわるペニス』(新潮社)を読む。著者から恵贈を受けたものだが、携帯発信で人気だった作品を単行本にしたもので、とにかく、細かいストーリィや人物描写よりも、主人公である29歳OLの、美形のウリセンボーイに全てを注ぎ込んでいく切ない心理とセックス描写が中心になっているのは、発表形態に合わせたものなのだろう。しかし、これを単行本で読むと、それが逆に斬新な形式の実験作品のような印象を与えて、大変に印象的である。

 はっきり言うと、この主人公・美咲(この作者のプライベートもちょっとは知っているが、作者本人にかなり重ね合わせて読める)は壊れている。この作品の魅力は、主人公が壊れていて、しかも話が進んでいく間に、そんなに長くもない小説なのに、どんどん壊れ続けていくところにある。ひたすら主人公のイタい心理と行動の描写のみが続き、読者はハラハラするが、話としてはいくばくの進展があるわけでもない。まあ、ラストはとってつけたごとく主人公がせつない立場になって二人の関係が終わるが、たぶん、この二人はまた出会えば同じ関係となり同じ行為を繰り返すことだろうし、そこに至るまでの描写をエンドレスに続けても読者は誰も不思議に思うまい。小説としては破綻しているとかいう以前に、成り立っていないとすら言えるのに、読者が読みたい部分は全てが書き込まれているのだ。これこそが正しい官能小説だ、と思う。この作者は、読者のニーズを徹底して心得て、そこのみを徹底して書き込んでいる。小説らしい展開とか、エンタテインメントとしての結末の高揚などというものなど歯牙にもかけず、ウリセン買いをする女性の心理と、金で買った快楽を徹底して味わいつくそうとする若くない女性の性欲を、これでもかとばかり提供する。自分の 作品に読者層が何を求めているのかがわかっている。

 官能小説はいい小説である必要はない。いい官能小説であればいい。SFやミステリが、いい小説である必要がないのと同じだ。いいSF、いいミステリであれば、一般の小説における“人間が描けている”とか“構成が不自然でない”などという条件は一顧だにしなくていいのと同じだ。小賢しい文芸評論家たちがチャンバラ小説や伝奇小説を上記“人間が……”“構成が……”などと言いだしたおかげで、これら大人気ジャンルは衰退し、日本独自のエンタテインメントジャンルが失われてしまった歴史をわれわれは経験している。横溝正史再評価ブームのとき、文芸評論家たちがどれだけ口を揃えて“低俗極まる悪趣味”“読むに堪えぬ悪文”などと叩いたことか、今では想像もつくまい。角川春樹という人物にはいろいろ問題はあるが、あのときそういう声に耳を一切貸さず、“今の時代にこの荒唐無稽さが受ける”と判断した商売人の感覚のみは最大限に評価されるべきであろうと思う。それと同じ意味で内藤みかを 起用した新潮社、さすがと言っていい。

 4時半、S井氏の結婚披露宴に出向く前に、あまりつらいのでタントンマッサージに行く。ついてくれた先生が、
「このあいだ、カラサワさんの日記を読んだというお客さんが来てくれました」
 と話してくれる。渋谷公会堂のコンサートのあと、わざわざ寄ってくれたそうだ。グルメな記事であればわかるが、マッサージまで私の行きつけを回ってくれるとは、ファンとは有り難いものである。そのおかげか(?)いつもよりやや丁寧に揉んでくれた気がするが、気圧の調子と合わさって何かいい気分でトリップしたような感覚になり、そのまま日本橋まで行こうと銀座線に乗り込むが、ホームで一瞬、クラ、とき て、これが電車の入ってくる端っこだったら、とややゾッとする。

 銀座線日本橋、指示された出口から出てディックビル18階『サリュコパン』という、何やら胃腸疾患用の処方箋薬にありそうな名前のパーティルーム。どういう謂われの名前なのだろう。受付にと学会のI矢氏、K川氏、H氏などがいて、来ているメンバーも8割はと学会員、なにやら例会の二次会みたいな雰囲気。あと昔の新郎の友人もSF関係で、新婦の関係者は、何やら正体不明な連中ばかりなのにおびえているのではあるまいか。モーニングに洗面所で着替え、既に来ている植木さんや談之助さん、S山さん、気楽院さんたちに挨拶。ウチの女房も来ている筈ですが、というと、“ソコにいますよ”と指さされて、ウワッと驚く。留袖姿はいいが、頭にウィグをかぶって、テレビドラマに出てくる“イヤミなPTAの奥様”みたいなコスプレになっ ている。

 やがてI矢くんの司会で開会、I矢くん、なにか非常に司会慣れした口調なのに驚く。会社でいつもこういう会のときにやらされているらしい。と学会員とはいえ会社人なのだな、と改めて認識。私が乾杯の挨拶をすることになっていたが、まあ、ほとんどのメンバーにはいまさら紹介不要。2割の一般人である新婦向けに新郎の所属すると学会の紹介をする。それからひえだオンまゆらさんのタロット占いによるお二人の未来の望視、談之助師匠のおなじみ『懐かしのスーパーヒーロー』、そしてアイボのお祝いダンス。“懐かしの……”では、新婦の親戚らしい老婦人が嬉々とした顔になって拍手していた。K子が描いた新郎新婦の似顔絵色紙にみんなで寄せ書き。これがまことに似ているがひどいもので、開田さんがあまりのことに“これは一般向け”と、まともな似顔のものも描いていた。新郎はとにかくリラックス。新婦が逆にかな りの緊張気味。

 立食とはいえ、料理なかなかよし。スモークト・サーモン、ラムチョップ、鯛のお頭つき蒸し焼き、海老と白身魚のフライ、等々。しかし、これに喜んだみんなが必ず“先日の東京大会の打ち上げの料理の少なさに比べて……”と言うので、それを幹事したIPPANさんが、名誉挽回ということか、うまい生ハムとパンを持ち込んで、これがK子や植木さんに大好評(店のスタッフに“あ、食べ物の持ち込みまずいんですよね”と言うと、“いえ、見なかったことにしますので”と。感謝)。気楽院さん持ち込みのドイツワインに合う。雑談はやはりイラクのこと。気楽院さんなんかは、前回の三人のときも、自分のサイトや同人誌で彼ら擁護の論陣を張っている人なのだが、そこはちゃんとわかっていて、堂々と不謹慎なギャグも飛ばす。こういう人をバランス感覚のとれた人、と言う。うながされて私も(モーニングのズボンが布地が古いもので重いという話が出たので)、
「履くものがなくなりました、ズボン探しの旅に出ます」
 などと言ってウケる。ウケるほどのシャレじゃないが、とりあえず場をつないだところを買ってくれい、という感じ。

 ワインの他にウイスキー水割りなど。中〆メで志水一夫氏が、新郎と昔ゲンケンで(原子力研究会ではなく、『幻魔大戦』研究会)一緒で、そのときはクローンのようにそっくりだった、という話をする。その名称も懐かしい。私も似たような会に当時いくつも所属して、オタ話(当時はそんな言葉はなかったが)に日夜興じていた。あ の当時はみんな、こんな楽しい毎日がずっと永久に続くと思っていたねえ。

 みんなはその後、三次会のカラオケに移動するが、私は明日、終日予定がぎっちりなので、そこで引き取らせていただく。タクシーで新中野まで。K子は着物を着られたことで大満足だった様子。いろいろと人物月旦などしながらベッドにつく。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa