裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

29日

金曜日

指導者ショー歌

♪あの子にコイズミときめいて/猛烈ブッシュでビンラディン/ベルルスコーニと人は言う/キムジョンイルだよプーチンと/アラファトしたならもうシラク/シャロンシャロンはいいブレア……。朝3時ころ目が覚め、ネット。元気になったおぐりゆかからいつものように“!”いっぱいのメール、ひと安心。ツチダマさん、村木さんからも今回の件に関するフォローのメールいただき、恐縮する。お騒がせしました。

 再度就寝、6時半起床。入浴、7時半にバナナ、ラ・フランス、カボチャのベイクドそれぞれ数切れで朝食。明日、と学会のグッズ番長S井さんの結婚披露宴に着ていくモーニング(親父の形見)の試着をする。身内の披露宴になにもモーニングでなくてもいいのだが、K子が留袖を着たいというので、夫婦としてバランスをとるために 私はモーニングでないといけない。

 ワイドショーで女性スタッフに暴力をふるった島田紳助の釈明会見。マンザイブームの頃から見ている者にとってみれば、島田紳助が暴力をふるうなどというのは、猫がひっかくとか犬が吠えつくというのと同じくらいに当然のことにしか思えないだろうが、現在ではトピックになるほど意外なことであるらしい。私も、紳助の、不良あがりとはいえ“業界で生き残っていく知恵”というのには常日頃感心していたので、ちょっと今回の沙汰は意外ではあった。暴力の程度というのが実際にどれくらいのものなのだかわからないけれど、昔の吉本興業なら是も非もなく、“カネ稼ぐ芸人に逆らう方がアホ”で済んでしまった事件だろう。そういう“健全な非常識”があったからこそ、吉本は全国のお笑いを制覇できた。そしてその結果、いまや吉本は一部上場の超優良企業になり、否が応でも、“世間の健全な常識”に合わせなくてはならなくなった。古手の芸人である紳助は、その変化についていけず、つい、昔の吉本の感覚 でやってしまったのであろう。

 8時25分のバス。金曜でやたら混む。最近の無段差のバスはその分、後部座席の床が高くなっているので、立ち乗り客用の床スペースがかえって狭いのである。仕事場着。すぐに『鈴木タイムラー』のコミビア、書き出すが、今日はこの先、仕事がもうギッシリにつまっていて、アイデアを練っている時間がない。イラだつ。昼、オニ ギリ、納豆、アサリ汁。

 1時、どどいつ文庫伊藤氏来。ちんちん先生も来る。例によりさまざまなトンデモ洋書買う。中に、明治時代の広島の医大生が残した、当時の医学写真コレクションの復刻版があり、その中の写真の強烈さに、脳天をどやされるようなショックを受けてしまった。いわゆる梅毒患者の写真が主なのだが、落語などで鼻っかけの話などをよく聞いていても、それが実際はどのようなご面相なのか、まず現在のわれわれには想像が容易でない。そのインパクト、その異様さ。また、先天性の奇形や、膿腫などで顔面、もしくは体の形状が変形してしまった人々の、特殊メイクとしか思えないその奇怪な容貌、体型。広島の一個人が撮影しただけでもこれだけ多種多数の異形人が記録されているのだから、当時の日本全体にはどれくらいの、こういった哀れな人々が存在し、日常に入り交じっていたものか。妖怪ブームで、文化人の中には妖怪の形状を、“昔の人々の類い希なるイマジネーションが産みだしたバラエティにあふれる造形”などと評する人がいるが、トンデモない、妖怪たちのデザインの大部分は、おそらく、こういった実在の異形人たちの姿かたちからのインスパイアであった。“近代という精神”はやがて、彼ら非・同質な人々を囲い込み、同質な者たちの目から覆い隠していく。それは横暴な行為ではあるが、しかし、“同質化”を平等の第一歩とする考え方から言えば、その囲い込みは時代的に、やむを得なかった行為なのではないか。それくらい、この写真集に記録された人々の姿は、“人間はみな同じ”などという認識を根底からくつがえすに十分なパワーを有しているし、いまだこの写真集が日 本でなく、海外でしか発行されない理由も、なんとなくわかる気がした。

 2時、時間割にて日テレ『世界一受けたい授業』ダンドリ打ち合わせ。これまで、テレビの人たちは私を出来るだけ“アヤシゲな”イメージで描こうとしてきた。いまだにそれは変わらず、“ミステリアスな雰囲気を出すためマントを羽織って出てきてくれませんか”などと言う。却下。46でそれはシャレにならないでしょう。と、いうか未だオレはこういう扱いか、と苦笑。帽子とメガネだけで十分アヤシゲなのだか ら、これ以上付け加えることはない。

 打ち合わせ終わって帰宅、コミビア四本のうち三本アゲ(出来には満足)、一本は明日回しということにして、5時半、家を出る。ロフトプラスワン『平山亨の人生を訊く!』。声がダイエット中でカスれるのを懸念して、歌舞伎町のマクドナルドでチーズバーガーを買う。『スーパーサイズ・ミー』観て以来、マクドナルドが食べたく なって仕方なかったのである。かぶりついて食べる。

 楽屋で鈴木美潮さんと、今日のダンドリ打ち合わせ。時間ギリギリに平山さんには入っていただいて、楽屋でのおしゃべりでテンションを使い果たしてしまわれないように……と算段していたのだが、そんなこちらの小賢しい計算を嘲笑うかのように、平山プロデューサー、早めにお入りになり、もう、控室から全開で浦山脚本のこと、 バロム1のこと、伊上脚本のことなどをハイテンションで話し続ける。途中で
「ア、こりゃ壇上でしゃべりゃいいことだね、ウウ、アアハハ、俺はしかしおしゃべりだねえ」
 などとお笑いになる。なるからと言ってそこでパワーは微塵も落ちぬ。

 7時開演、まずわれわれ二人が上がって平山ラブを告白しあい、いよいよ御大に登壇いただく。最近、足が弱られて歩行が困難になっているのだが、いったんよっこいしょと腰を下ろすと、もう後は全てを巻き込む平山空間。ひとつの話が、きっかけから始まって、どんどん発展し、枝葉に入り、あさっての方向に行きっぱなしになると見えて、忘れた頃スッと本題に帰ってくる、この間、所要時間ほぼ25分。美潮さん と、この25分を“一ヒラヤマ”という単位にしよう、と話す。

 すでに何度も聞いた話もあり、今回あらたに知った話もあり。いずれもテレビヒーロー草創時代から黄金時代ならではの、活力とカオスに満ちた時代の、よだれが垂れそうな話題ばかり。単なるノスタルジックではなく、作品を大量に、広範囲に作り出していく、というその根元の活力とは何か、という問題にかかずりあってくる。私は平山氏を師と仰ぐものであるが、しかしその仕事観、創作観、さらに根元の人生観などは、私とは(私など及びもつかないということはさておいても)かなり異なる。しかし、人生における指針とは、自分の意識とは全く異なるところにあるからこそ、指針になるものなのではないか。3時間、まったく疲れをみせずに語りまくり、笑いまくり、こちらで以前雑談の中から聞いた『ふたりエッチ』のことなどを持ち出して、平山亨の創作の根元に迫ろうなどという目論見を小手先でハネのけて、ボーイスカウト憲章の素晴らしさと世界平和への願いを語って〆メにしておられた。とはいえ、ここまでまとまった話を、きちんとしていただいたのは久しぶりであって、私も美潮さ んもまず、深い満足感と心地よい疲労感に包まれる。

 終了後の楽屋でもなお、平山空間続き、次々訪れるファンたち一人々々に笑顔をたやさず対応、ここまでくると尊敬を通り越してやや、呆れてしまう。明日はまた、こどもの国で早朝からファンたちと、その、さっき話に出たボーイスカウトの碑を囲んでバーベキューパーティだという。もう、ここまでくるとこれは怪人としかいいようがない。善意のショッカーが、われわれにヒーローとは何かを教えてくれるために改造手術をほどこしたんだろう。

 平山さんをタクシーで送ってから、上海小吃で打ち上げ。Pマンの山口A二郎さんや破裂の人形さん、白山さん、あと、『宇宙線』の人や美潮さんの友人関係で。ここも店長、玲子さんが偽装結婚斡旋の疑惑容疑で逮捕されていまだ拘留中なのだが、それでも活気のみは大変なもので、お客多々。なんとか狭いテーブルにギュウギュウに人数を詰め込む。いろいろ平山ばなしに花を咲かせながら12時近くまで。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa