裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

26日

火曜日

ポパイのお好きな法輪功

 ヘイ、オリーブ、俺は気孔をやってるんだぜ。朝6時45分起き。昨日寝がけの夢の中で、夢で駄洒落を思いつき、メモはないかメモ、と探し回っていた。夢の中でもタイトルのシャレに苦心するとは業である。ちなみに、そのときのシャレは“コムタンスープ・ワズ・コーンスターチスープ”というやつ。フォア・ラッズの『イスタンブール』(♪Istanbul was Constantinople……)の駄 洒落であった。ま、夢の中のものですから。

 7時20分入浴、35分朝食。バナナ1/3本、ブドー、トマト3切れ、エダマメちょっと、いずれもノードレッシングで。8時15分バス、同じ会社の同僚らしいがコンビニで買ったサンドイッチや紅茶を持ち寄り、バスの中でデートみたいにイチャつきながら食事しているカップルがいた。何かほほえましく見えてしまうのが歳とっ た証拠だなあ。以前なら石を投げてやりたくなったのに。

 雨の中仕事場、当然調子は出ず。日テレ『サンクチュアリ』からの連絡、2回撮りになるらし。帰宅は12時過ぎるか? 今回の日テレ出演は『世界一〜』にしろこれ にしろ、収録がやたら遅く始まるのである。

 昼はオニギリ(シャケ昆布)、納豆、しじみ汁。圓生『掛取万歳』聞きつつ。K子からメールで、古書須雅屋の須賀さんが、なんと『彷書月刊』主催の、『古本小説大賞』で大賞を受賞して、授賞式に上京するという。いかにも彼らしいのは、K子が
「授賞式っていつなの?」
 と訊いても
「さあ、いつでしたか」
 と要領を得ぬらしく、ちょっと心細いが、何にしてもめでたい。一回お祝いの席を 設けずばなるまい。

 連絡関係、いろいろとれずイラつくことあり。雨の日のイライラはつらい。鈴木タイムラーK氏からメール、写真のことなど依頼。4時45分、家を出て、新宿歌舞伎町。昨日、『社会派くん』対談で観る、と言った『デビルマン』観賞のため。最初、上映館をカン違いしていて、ちょっとあせったが、無事上映前に到着。観客、二十人 ほど。もっと少ないと思った。

 この映画に関しては現在、ネットで祭りが起こっており、怒り狂った映画ファン、また原作ファンが徹底して罵声を投げかけている。と学会の山本会長のサイトには、特設ページが設けられているくらいである。それによると、この映画は、これから映 画を作ろうという人間すべてに観せるべき作品であり、
「この映画を観たら、娯楽映画を作る際に、何をやったらあかんかがよく分かる」
 効能があるという。

 で、観賞。いやあ、ダメです、山本会長。私がもし映画を作る際には、この映画のことを徹底して頭から追い出さねば作れません。ヘタをすると、ついうっかり、この映画とソックリ同じものを作りたくなってしまうと思います。それくらいの魔力がある作品です。娯楽作品というもののイロハ、というより、まっとうな人間の思考力がホンのちょっとでも頭にある人間なら、“何をやったらあかんかがよくわかる”以前に、こんな徹頭徹尾支離滅裂な作品、作れやしません。プロの映画監督が仮にもそんなものを持っていないわけがない。なら、この作品にはどこかに、こういう風に作っ た“意味”があるんですよ、ええ。

 この作品、永井豪の原作のテーマを確実につかんでいるではないですか。“神”ですよ。神と言えばイエス・キリストですよ。キリストと言えばサクリファイですよ。犠牲ですよ。人類を救うために、那須監督は、自らのキャリアと、会社の金を盛大に犠牲に供しているわけですよ。凄まじいまでの犠牲行為。なればこそこの作品には、『8マン〜すべての寂しい夜のために』や『水の旅人〜侍KIDS』なんていう中途半端な愚作にない、凄まじいパワーがあふれているんですよ。みんなが語りたがるんですよ。これはもう、映画ですらないと思います。事故です、事故。近所で交通事故が起これば、みんな、仕事を放り出してサンダル突ッかけて、外に見に飛び出すじゃないですか。そういう、人間として健康な野次馬精神(好奇心)を持ち合わせている者ならすべからく、この事故を見に行くべし、です。娯楽と会長はおっしゃいましたが、娯楽というものの三つの基礎は、P・T・バーナムの言葉を引くまでもなく、
「新奇、新奇、新奇」
 であります。この作品は、そのストーリィ、演技、画面センスの全てにおいて、凡庸さを突き抜けた新奇さの域に達している気がします。そんな新奇が1800円で手 に入る。素晴らしいじゃないですか!

 ……冗談はさておいて、映画が終わって劇場が明るくなってからフト振り向くと、最初二十人くらいいた観客が、私含めて三人に減っていた。途中で帰ったものか。さりとは了見の狭いものだ、と憤慨する。出来のいい作品などにはいつだって出会えるのだ。こういう作品に巡り会ったときにこそ、人生のポイントは加算されるのに。さて、小やみとはいえまだ降りそぼる雨の中、喫茶店でしばらくパンフレット読んで時間をつぶし、7時半、台湾料理『青葉』へ。ロフトの斉藤さん、読売新聞政治部記者の鈴木美潮さん。29日のイベント『平山亨の人生を訊く!』の打ち合わせである。大新聞の政治部記者というお堅い職業でありながら、学生時代にライダーにはまり、撮影現場におしかけて平山さんの弟子(映像制作ではなく、人生の弟子)になったという鈴木さんのノリが非常に面白く、これはいいイベントになりそうだと直感。ただし、私とは平山作品にハマった時期がずれており、それ故にイベントを二人で進行させるには好都合だが、私とのコンビネーションはうまく行くかな、と思っていた(斉藤さんもそれを心配して、前もってこういう席を設けてくれた)のだが、話すうちに偶然、われわれ二人には共通の敵が存在することがわかり(それも複数)、非常に盛 り上がってしまった。

 共通の敵というのは友情において必要な要素ではないかと思う。コナン・ドイルの『失われた世界』に、エディンバラ大学のイリングワース博士なる人物が登場して、この動物学者を主要登場人物のチャレンジャー教授とサマリー教授の二人が共に軽蔑しており、犬猿の仲のチャレンジャー&サマリーの間が険悪になったときに、周囲がこのスコットランド人の名を持ち出すと、二人はこの共通の敵に対する罵倒のために一時的に関係を修復する、というエピソードがある。旅の途中の何の変哲もない小エピソードだが、ラスト近くでこのイリングワース博士が実際に登場し、この作品の末尾を飾る大騒動シーンにそのキャラクターが生かされるあたり、作者ドイルのストーリィ・テリングのうまさに舌をまいた覚えがある(ちなみに、エディンバラ大学はドイルの母校である)。別に私と鈴木さんは犬猿というわけではないが、このオタク界のイリングワース博士がいなければ、もっと今日の席はよそよそしいものになってい たのではないか。

 アヒルの照り焼き、タケノコ炒め、角煮鍋などを食べ、紹興酒のみながら、平山さんばなし、それと雑談。斉藤さんは、『デビルマン』、あまりの面白さ(もちろん、一般にいわゆる面白さとは全く違った面白さ)に、終わったあとそのまま映画館にいすわって、二回見てしまったそうである。やはりわかる人にはわかるらしい。まだ観ていない鈴木さんに、徹底して二人でその魅力を吹き込み、12時近くまで話し込んで、いい気分で帰宅。メールをチェックして、仕事関係連絡事項確認、やや神経乱されるようなものあり。その旨、送信者に返信して寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa