裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

6日

水曜日

皇国のコークハイこの一戦にあり

 各員一層痛飲宿酔せよ。朝6時、よく寝足りた感覚で目覚める。パソ少し。7時入浴、半朝食。オサツ、キウリ、リンゴとブドウ。10時まで家で日記など書いて過ごす。庭の雑草、K子が丹精して育てた巨大雑草のワタゲがやたら飛んでいる。観賞用の高級植物を憎んで雑草を愛するというのがわが女房のメンタリティか。まあ、それらしくはある。

 本日、テレビ収録なので撮影用の衣装をクローゼットから選ぶ。と、言ってもシャツとネクタイだけ。白衣を着ることになっているんで、襟から除くシャツとネクタイが自前の衣装なのである。帽子もそうか。これは黒の撮影用のを用意。シャツは明るいのと地味なのを用意していき、ディレクターさんに選んで貰うことにする。メガネ も金属縁のと、黒縁のとを用意。

 タクシーで仕事場へ。ついてすぐFRIDAYの四コマネタ出しにかかる。髪の毛もひどいことになっているので、トゥルーサウスを予約。してからアッと思いだしたが、今日はさらに日テレとの打ち合わせもあるのだった。もう一度トゥルーサウスに 電話して、予約時間を切り上げてもらう。

 そんなこんなでネタだし終わらないうちに予約時間が来て、あわてて出て、交番前通りのトゥルーサウスへ。S先生、テレビ出演と聞いて念入りにブローしてくれる。BSアニメ夜話のときなどは、しょせんオタク番組だし、と全く気をつかわないのだが。髪の右半分をきちんと整髪したところで、パーマネントのことでちょっと他の席から頼まれてS先生、そちらへ回る。鏡の中の私は、左半分がきちんとブローほどこされており、右半分がボサボサというマンガみたいな頭。やがて帰ってきたS先生、 それを見て
「あら、アシンメトリーで案外おしゃれですね」
 と。アシンメトリーという語彙がスッと出てくるのは、ヘア業界にS先生がいるか らか、それともファッションなどで若い女性には普通語なのか?

 カット終わって時間ちょうどピタリ。やや早足で歩くくらいで、東武ホテルの待ち合わせに間に合う。時間割に場所移し、日テレ『世界一受けたい授業』打ち合わせ。向こうが呈示してきた内容に、ちょっとこちらの意見を入れる。これまでは私はテレビ出演は自分の著作の宣伝、と割り切って、向こうが言うことに関してはどんなに恥ずかしい注文にも応じてきた(スモークが焚かれた書庫から、下ライトを当てられて出てくる、などという怪奇調の紹介まであった)が、早朝番組とはいえレギュラーを持つと、そうそう自分のイメージを安売りも出来ないという気になる。幸い、向こう でもそのアイデアはいいですねと言ってくれた。

 30分ほどで別れて、今日必要な雑物(領収証など)をコンビニで買い、仕事場に戻り、昼食(オニギリ一個、納豆一パック、それとカップ味噌汁)とりつつ、四コマネタを書き上げてメール。それから衣装入れたバッグかついで、原宿へ。3時半、東郷神社近くのBS朝日スタジオへ。かなり大きなスタジオで、どこから入ったらいいのかちょっと迷う田舎者ぶりを示した。こう言っては番組に悪いが、あの予算でよくこんな立派なスタジオを使えるものだ、と思う。もっとも、このビルで一番有名なのはガレリアというガラス張りのスタジオだが、私たちはかなり小さい第三スタジオで 行う。それでも楽屋は全員個人楽屋。

 おぐりゆかの楽屋を訪ねたら、すでにメイクに入っているようで、村木さんとツチダマさんがいた。村木さんがあわてたように“カラサワさん、大変!”と駆け寄ってくる。ナニゴトカと思えば、さっき衣装合わせで、メガネ(研究所の助手というキャ ラなので、メガネ着用を番組の方から提案してきた)かけてみたそうだが、
「おぐり、メガネ全然かわいくないんですよ!」
 と。苦笑して、ちょっと見てみましょう、とメイク室へ行く。かなり丁寧に髪を作られているところ。テーブル上にメガネいくつか並んでいる。
「似合わないんだって?」
 と言うと
「私、メガネかけるとエロ教師になっちゃうんですよー!」
 と。後でちょっとディレクターさんに相談しておこう、と言っておく。

 スタッフの人たちに挨拶。ベテランらしいディレクターの人と打ち合わせ。おぐりが白衣だったので私も白衣だろうと勝手に考えていたら、私は背広で、と言う。背広を今日は着てきていない。白衣にしましょう、とそこは押し通す。で、おぐりのメガネについて“どうですかねえ?”と言うと、ディレクター氏、赤い縁のをかけた彼女を見て、“お、これ、いい! うん、かけた方がいい! これで行こう”と、否やも 何もなく即決。うーむ、年期の入った眼鏡っ娘萌えだったらしい。この件は後日の課題だな。

 私もメイクしてもらう。メイクのお兄ちゃん、まあこういう職業にありがち(と、言うかほぼ100パーセントそう)なゲイテイストのお兄ちゃんだったが、メガネをとった私の顔を見て、“うっわー、鼻、高いですね! 外国人みたい”と言う。
「よくユダヤ人顔と言われますねえ」
 と言うと、
「あ、そうそう、ユダヤ人そっくりですよ〜!」
 と。わかって言っているのだろうか。手際よいメイクの後、ちょい、と口紅(リップクリーム)を塗られたのに驚いた。メイクもいろいろしてもらったが、口紅使われ たのは初めてである。

 さて本番、初めての収録なので、いかに相手がおぐりゆかでもちょっとギコチない感じ。狭いスタジオ内に三台もカメラが入っているのは大したもんだが、せまいので鼻先にレンズが三つ、ずん、と突きつけられているようで落ち着かない。とはいえ、最初のギャグ部分で、スタジオ内のスタッフが笑い声を上げたのに驚いた。最初はアメリカのコメディ番組みたいに、笑い声を入れるシステムなのか、と思ったが、そうでなく、本当にギャグに女性スタッフが笑ってしまったらしい。おや、これはイケるかもしれないぞ、と思えてきた。調整室でモニターを見ていた村木さんが後で言うには、一番最初だけリハでカメラ回さずに通しでやってみたのだが、スタジオでOKが 出たとたん、ディレクターのI氏が
「しまった、最初から(カメラを)回しておけばよかった!」
 と叫んだという。

 おぐりの度胸のよさには改めて感心。初の地上波番組でかなり上がっている筈なのだが、声がうわずることもなく、例えセリフが入っていなくてもカンペを読み間違えても、フリップがピンマイクに触ってしまっても、動じずに“失礼しましたっ!”、“あ、これは素人でしたっ!”と元気よく謝って、リテイクにかかる。何かもうベテランみたいである。四回まとめ撮りだが、回を重ねるに従ってカンをつかんで、よくなっていくのがこっちにもわかる。一番難しくて(セリフが多く、オチに飛躍があるので、視聴者に納得させるオシの強い演技が必要)心配だった三本目のネタも軽々一発クリア。途中で衣装替えしたとき以外、ほぼノンストップで四本を撮り終わる。さすがは村木藤志郎師匠、お仕込みが違う、と感心。途中でIさんが調整室からスタジオに入ってきて、
「お二人のからみはさすがの息の合い方です」
 と感心してくれた。……しかし、さすがと言っても、私がおぐりと共演するのは、ロフトとかを除けばこれが初めてなのである。何をもってIさんは“さすが”と言ったのか。ひょっとして、自分のコーナーのアシスタントに名指しで推薦するくらいだから、愛人の素人女を引っ張ってくるんだろう、くらいに思っていたのかもしれない と内心でニヤニヤする。

 順調に撮影終了、5時半にはアガリ。打ち合わせ室で今後のスケジュールなど、打ち合わせ少し。背景にある『コミビア』の看板が少し地味で寂しいので、イラストなどを入れたい、と言う。私が“じゃア、みずしなさんに描いてもらやいい”と言ったら、スタッフがその名前を聞いて驚き、
「みずしなさんって、あのみずしな孝之さんですか。描いてくれますか?」
 と言うので、
「みずしなさんは劇団でこの子(おぐり)の後輩ですから、先輩の命令ならなんでも服従します」
 とヨタを飛ばす。そしたら、さっそくツチダマさんが携帯で連絡をとり、“はい、みずしなさんOKです”と。ちょっとスタッフたち、目を丸くしていた。うふふ、これで彼らにもうわの空一座の凄さがわかったであろう。もっとも、当のおぐりは田舎 娘みたいに
「母がこの番組見るために上京すると言ってるんですが」
 と口走ってまたスタッフを呆れさせていた。Iさん“いや、そこまでしなくても、この番組、BSでも放送するんで、チューナー買った方が東京までの旅費より安上がりだとお母さんには伝えてください”と。あと、おぐりは明日の『コスプレ@TVぐるるんぱっ!』に、今日の白衣とメガネで、“自分のコスプレ”で出演するんだそう である。よくわからん。

 とにかく、無事済んで私もホッと一息。メイク落とし、四人揃ってスタジオを出て竹下通りをブラつきながら、原宿まで。そこから渋谷へ山手線で出て、『細雪』に三人をご招待。幸い、奥の席になんとか座れた。おぐり頑張った、ということでプチ打ち上げで乾杯。楽しい酒となる。村木さんがとにかく、今日のおぐりゆかの出来に大変満足らしく、何度も何度も何度も繰り返して、
「お前、よかったよ。いや、凄いよ。華があるよ、お前。大したもんだよ」
 と褒めていた。自分の育てた子がテレビ初レギュラーを無事に務めたということがわがこと以上に嬉しいのだろう。涙がちょっと出てきた。師匠・弟子の関係を知った人間でないとこの感覚はわかるまい。そういう人間は可哀相な人間である。以前、不安神経症で向精神薬手放せない人間のサイト日記で、“カラサワは自分が師匠として弟子にどう見られているか、焦燥感にさいなまれている”みたいなことを書かれて、不安神経症の人間から焦燥感と言われてもなあ、と苦笑したものだが、自我が肥大している連中は、師匠・弟子という関係を徹底して嫌う。それもいいだろう。しかし、そういう人は“自分は誰にも隷属しない”という自由を得るかわりに、世の中の一番 美しいものも目にすることができない。

 ところでこの『細雪』(母にこの店の名を言ったら“あら、お豆腐屋?”と反応した。普通そうだよな)、“腸詰が東京一うまい店”が売りである。最初食べたとき、その看板にいつわりないことに感動し、なんだろうこの味は、と一時は通い詰めて研究していた。そのときの結論は、隠し味にカレー粉が使ってあるらしい、というもの だった。実際、昔は何故か壁にインドの写真とかが飾ってあったのだ。

 ところが、今日久しぶりに注文してみたら、腸詰が変わっていた! うまいが、既製品というか、これなら公園通りの『チャーリーハウス』の腸詰と変わらない。おば ちゃんが私の表情を見て、
「変わったでしょ。前みたいな腸詰はね、もう香辛料が全然手に入らなくなって作れなくなっちゃったの」
 と。うーむ、現日本で手に入らない香辛料で作っていたのか、あの腸詰。昔なじみの味がどんどん無くなっていくなあ。ちなみに、ここのおばちゃんもいつの間にか、私を“先生”と呼ぶようになった。
「センセイの出たテレビ見ましたヨ」
 とお世辞をつかってくる。今の私と、貧乏学生で腸詰しょっちゅう食べに来ていた私と、おばちゃんの頭の中で同一人物としてつながっているや否や。

 腸詰は残念(それと行くと必ず売り切れの台湾風やっこ、今日もタッチの差で売り切れ、しかも最後の一皿を頼んだ隣のリーマン二人連れはそれを残しやがった)だったが話は盛り上がり、酒も進み、爆肉、シューマイ、ピータン、レバ揚げ(腸詰なきあとこの店での楽しみはコレ)など頼み、おぐりと紹興酒の杯も重ね、やはりかなりベロになって帰宅。グースカ寝ているうちに地震があったそうで、明け方起きてパソを見たらお見舞いメール多々。全然気がつかなかった。今のところ、被害は住居にはなし。心配なのは書庫。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa