裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

20日

火曜日

往生の物語

 いきなり監禁されてSM調教やなんて、往生しまっせほんま。朝、7時起床。久しぶりに寝足りた感じ。雨はゆうべ遅くに降ったらしく、窓外で雨音が夢うつつに聞こえた。入浴、久しぶりに左足のカカトの皮を削る。シャッシャッと気持ちよく肥厚した皮が削れていって気持ちいい。以前、マッサージ店でこのカカトを削ってくれて、ツルツルになったあとを撫でながら、“すごく、きれい。ほれぼれします”と陶酔し たようにつぶやいたMセンセイ、どうしているだろうか。

 7時半、朝食。トマト、タマネギ、キュウリなどをミキサーにかけたガスパチョ。タマネギがちょっと多くて辛いが、朝の目覚めには最適。それとオレンジピール入りのアイリッシュ・ブレッド、野菜イタメをたっぷり。テレビで各地の春の映像を見るたびに、ああ、旅行へ行きたいと思うが、K子がマンションのローンを払い終わるま ではダメ、とクギをさす。

 8時25分のバスで例の如く通勤。一番前の席が今日は珍しく空いていて、そこに座れてラッキーと喜ぶ。小学生か。通勤は面倒くさいでしょう、とよく同業者から言われるが、ダラけない、という点では非常に効果的である。以前、寝室と仕事場が隣あわせだったときには、何かというと寝転がって、そのまま昼寝をしてしまったりしていたものだが、通勤行為が定着してからは、昼寝とかへの欲求がまるでない。

 9時10分仕事場着、まず最初に以前の服部弘一郎氏との対談記事(『日刊ゲンダイ』)原稿がメールされてきたので手を入れる。と、いっても文字数がかなりギリギリなのであまり付け加えられない。服部さんとの対談、はっきり言って意見は完全にカミあっていなかった(まあ、それが最初からの組み合わせの狙いだった)のだが、原稿ではかなり一致してしまっているようなまとめ方。も少し悪役に徹させてくれた方が面白くなったと思うが、それでは向後ゲンダイの映画欄に各社が協力してくれな くなるか。

 それからコミビア原作一本書いてメールして、弁当。テレビのニュースで、残りの人質二人の帰国の様子を見る。渡辺修孝氏に、母親が泣きながら一緒に帰ろうと懇願 したのに対し、
「イラクでは子供がたくさん死んでんだよ。やる仕事があるから」
 と、それを振り切ってNGO関係者と空港を後に。カッコいい姿ではあるが、これも典型的なテレスコープ・フィランソロピストのように私には思えるのである。

 2時、時間割にて講談社Web現代Yくんと打ち合わせ。新連載企画にちょっと大きいことを考えているのであるが、それを起動させるのは、人事異動などのドタバタがおおかた収まった後にしようということ。それまでの間は、悪趣味雑学コラムみたいな味のものでしばらくつなぐことにする。最近のWeb現代のヒットはやはり、立 川談志の
「テロの本場に行ってテロに会うってのは、北海道に行ったらシャケ食わされたッて言うようなもンだァねえ」
 だとのこと。あと、以前、知り合いから頼まれたことで、Yくんに手を煩わせていた件があったのだが、“ちょっと難しいです”と言われていたので半ば諦めていたのが、頼んでみるもので、何かあっさりと、という感じで通ってしまった。まことに有り難い。二の手、三の手を考えていたところだったので、ホッと胸を撫でおろす。

『トンデモ本の世界S/T』の図版用の本を荷造りして、クロネコヤマトの集荷に電話、“何時に取りに来てくれますか?”と訊ねたら“4時半までには必ず行きます”とのこと。出かける用事をそれに合わせて設定して待つが、4時半過ぎてもいっかな来ない。イライラするが、今日出さないと連休前でヤバいので、もし遅れるなら明日自分で太田出版まで持っていかねばならない。5時10分くらいになってやっと、来る。“4時半って言ったじゃないか、遅いよ! こっちはいろいろ予定があるんだ” と、文句を言おうと思ったら、集荷係が可愛いお姉ちゃんだったので、
「イヤイヤ、何とか間に合う時間ですから大丈夫です、そちらも事情があるでしょうし、そんなに恐縮することもありませン、遅れたと言ってもたった30分程度です」
 などとユルユルの応対になる。中年男の情けないところである。

 しかし、結局、雑務はほとんど省略せねばならず、やはり迷惑には変わりなし。タクシーで新宿に出て、中央線で東京、それから山手線に乗り換えて新橋へ。ヤクルトホールにて映画『ワイルド・レンジ』試写会。新橋の第一京浜のあたり、なにかSF映画に出てくる未来都市みたいな感じになっていてスゴい。しかし、何でこれだけスゴいのに、都市としての魅力みたいなものが感じられないのだろう。SF映画のセットみたいな空虚さである。マンハッタンやシティ(ロンドンの)のような、人の生活の基盤、という意味での安定感が全くない。未来的デザインというのはそもそも、そういうものなのだろう。未来などという不安定の代表みたいなものをモチーフにしているのだからな。

 この映画の試写上は今朝、FAXで届いたもので、今朝届くってことは客が集まっていないのだろう、と判断して急がず行ったのだが、確かにあまり入っておらず、あの広いヤクルトホール(574席)に人は5〜60人ほど。青井邦夫さんがいた。席につくと、“こんなところでお会いできるとは”と声をかけられて、見ると島敏光さんだった。上映までのしばらくの間、このあいだのキウイの高座のこと、立川流の若手のこれから、など、いろいろ雑談。獅篭を名古屋にやってしまったのははもったい なかった、と島さん何度も繰り返す。

 で、映画『ワイルド・レンジ』。この作品、昨年完成されたまま、ずっと日本公開が延び延びになっていたもので、サイトなどでは原題の『オープン・レンジ』で紹介しているところも多い。最初見たときは『オーブン・レンジ』と読んで、ケビン・コスナーが料理教室の映画を作ったのかと思ってしまった。スペルも同じRANGEだが、こっちのレンジは“領域”の意味で、“自由な土地”とでもいう意味。西部の土地はそこを通行するもの全てに開放されているもので、それを独占しようとする者は掟を破るものなのである。その自由の民である牛追いの男たちを、ロバート・デュバルとケビン・コスナーが演じているが、主演・製作・監督のコスナーより名前が先に出るデュバルが実によろしく、愛すべき西部の頑固者を、さも楽しげな感じで演じている。デュバルと言えば『ゴッドファーザー』のトム・ヘイゲンのような理性派、それも理性故のひ弱さをどこかに漂わせている役柄の似合う役者、と思っていたのであるが、年期というか何というか、かつての『勇気ある追跡』のジョン・ウェインを思わせるような、粗雑な老いぼれだが、人生の悲しみも喜びもすべて心得ているタフな爺さんという役柄がピッタリな俳優になった。思えばその『勇気ある追跡』で、デュバルはジョン・ウェインに挑んで返り討ちにあう、西部第二世代代表の悪党の役で出 演していたのである。感無量。

 ストーリィもこれまでの様々な名作西部劇のコラージュみたいで、これは意識してこうしたのだろうが、仲間を殺された男の復讐物語に、『リオ・ブラボー』のパターン(街を支配する悪人と戦う主人公たちの姿に、最初は怯えていた街の人たちも次第に勇気を得て立ち上がって……という話)が加わる。面白いのは、これまでの、早撃ち一発で相手が倒れて簡単に死ぬという、西部劇の“お約束”を否定して、撃たれてもなかなか相手が死ななかったり、そもそも弾がそう簡単に当たらなかったりするというリアルな銃撃戦描写を取り入れていること。そして、対決が終わったあと、街の住民が、死んだ悪党たちの死骸を棺桶に入れて馬車で運び、墓地に埋葬するところまでをきちんと描いている。ヒロインのアネット・ベニングも、美人ではあるがすでに40を越した、人生につかれた感じの女性で、彼女に出会ったことで、クールで強い早撃ちガンマンという西部劇の定番ヒーローだったはずのコスナーが、少年のように不器用に、初々しく恋に胸を焦がすようになるあたりのユーモアもいい。デュバル、コスナー、そして彼らに雇われた少年バトン(ディエゴ・ルナ)という、異なった世代を通しての交流と成長の物語、という筋立てが加わるのも、『黄色いリボン』以来の正統派西部劇におなじみのパターンであって、まことに結構である。

 じゃア、この作品が西部劇の快作としてお勧めできるものか、というと……。ううむ。女性にはいいかも知れませんが、男くさい、スカッとした娯楽作を求めて観にいくと、ちょっと期待はずれであろう。西部劇(いや、西部劇に限らず創作物の)お約束というのは、受け手の快感を刺激するために長年かかって送り手が工夫した末に完成している様式であって、それを外してリアルにすれば面白くなるというわけのものではないのですね。西部劇のヒーローはやっぱり、シェーンのように、敵を倒したあとはいずこともなく去っていく、のがカッコいいのであって、この映画のラストみたいなのは堕落だろうし、悪役は徹底して卑劣・卑怯かつ強くあって欲しいのに、地主のマイケル・ガンボンは話の中ではそう悪いことをやってもいないように思え、その腹心の悪徳保安官・ジェームズ・ルッソはあまり強く見えない。つまり、カナダで撮影された自然の光景の雄大さに比べ、話のスケールがどうにも小さいのである。

 それに、困るのはこれが『ハンニバル』と同じく、誤った“クロロホルム信仰(クロロホルムをハンカチに垂らして鼻と口をふさげば、相手はすぐ昏睡状態になる)”映画であることだ。まあ悪役がヒロインを誘拐して……というシーンで使うわけではない、というところが新工夫かも知れないが、西部劇のお約束は取り払ったのに、犯罪映画のお約束はちゃんと残している、というのは何とも片手落ちである。

 見終わったあと、年期の入った映画ファンらしい人が、連れの女性に
「コスナーのやりたかったことはわかるんだが……」
 と言っていたのがまあ、意見の総代といったところだろう。好意的に見れば、観終わった後に心に暖かいものが残る、好感のもてる作品、辛目の評価をするならば、チマチマしたホーム・ドラマ・ウェスタンというところか。青井さんが、連れの人と、ウレシそうな顔で、“八発撃ってたよね、ね?”と話していた。六連発銃なのに、数えていたら明らかに八発撃っているシーンがあったそうで(数えながら観ているというのがスゴいが)、“あれは六発バージョンで編集したあと、どうも迫力が足りないので、故意にあと二発、撃つシーンをつけ加えたのではないか”とのこと。

 いろいろ語り合いたい気分でもあったが、すでに8時50分を回っている。知り合いに挨拶のみして、地下鉄銀座線で赤坂見附、丸の内線に乗り換えて新中野まで。以前、都バスを通勤に使っていた頃、同じ時間帯のバスをよく利用していた、凄まじいアトピーの兄ちゃんが銀座線に乗り合わせていた。同じ乗り換えで新中野まで帰るの かな、と思ったが赤坂見附でそのまま銀座線に居残り。

 9時半、夕食。今日は私のリクエストで湯豆腐。桜鯛がそろそろ終わりの季節だから鯛チリがいい、と頼んでおいたのだが、中田から牛の切り落としを貰ったので肉の煮たのがあるから、と、鯛はカット。その代わり、同じく中田から貰ったウルメイワシを焼いてもらって、焼酎の肴にして囓る。母から訂正あり、昨日のちらし寿司は、中田から貰ったのではなく、中田にあげるために母が作ったもの、とのこと。NHKのニュース10で、スペイン軍のイラクからの撤退に対し、パウエル国務長官のコメント。
「非常に残念なことであり、テロに屈したことになる」
 と。この発言で、日本のパウエル信者たちの熱も冷めるだろう。重畳。11時に寝室に下がり、12時くらいまで何やかんや話したりネットのぞいたりして、就寝。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa