裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

15日

木曜日

ヒ・トジチ合奏団

 では、皆さんの演奏による“帰ってこいよ”、お聞きください! 朝方、著作関係で思いついたことがあって、ベッドサイドテーブルからメモ帳をとろうとして、目覚し時計を床落っことし、壊してしまう。カチ、カチと動く音はするのだが、針がまったく動かぬ。朝食、蒸し野菜たっぷり、ゴマパン。新聞に鷺沢萠死去の報。わっ、と少し大げさに驚いた。数日前の朝日新聞の“萌え”に関するインタビュー中、萌えの語源説のひとつとして、NHKのアニメ恐竜惑星のヒロイン鷺沢萌の名をあげ、この名前のオリジンであるところの彼女のサイトも、下調べの際にちょっとのぞいてみたばかりだったのである。風邪がなかなか抜けず、ルルAをひとビン、のんでしまったなどと、どう考えても身体に悪そうなことが最後に書いてあったけれど。

 通勤途中コンビニで週刊新潮を買い、定時の25分のバスに乗って仕事場へ。車中で新潮を読む。人質の三人の記事中の、“劣化ウラン高校生”という表現のあまりの意地クソの悪さに感心、感服。いまだ安否が気遣われている状態の人間に、そうそうの神経で言えることじゃない。相変わらずいい味出しているなあ、週刊新潮。二十年以上前に、とてものことに世界文学全集を出している出版社の雑誌とは思えない“多岐川裕美の恥部をいじくりまわした××プロダクション”という見出しを見かけて以 来、裏者として熱烈なファンなのである。

 仕事場着、9時15分。日記つけ、それから太田出版『トンデモ本の世界S』と、同『T』の二冊のゲラチェックにかかる。二冊一度で、しかも私の書いている分量が今回多いため、なかなか時間がかかる。チェック用の赤ペンと、ゴチ指定のための蛍光マーカーを右手に持ち、二刀流で作業進める。平山亨氏より、電話。お送りしたものの御礼であったが、そこから少し、時代劇ばなし。『スカイライダー』だった村上弘明の銭形平次の話になって、“ウ、あれ、どうだった?”と訊かれたので、
「うちの母が、“銭形平次があんな背が高くちゃダメよ、江戸っ子は華奢で小作りが進上なんだから”と言ってましたが」
 と言うと、
「ア、そうだろうなあ、橋蔵さんのイメージがどうしてもあるからねえ。でも、ウ、大柄な俳優でもね、腰のかがめ方ひとつで、それをあまり感じさせない歩き方とかはね、あるンだヨ。昔はネ、撮影所の古い俳優さんなんかが、新人にはそういうコツをちゃんと教えて、エ、やってたんだね。今の役者さんは、そういう、いろんなことを教えてくれる人が回りにいないからなア」
 と、平山さん、さすがご自分が発掘してデビューさせた俳優だけに、実の親のよう な心配りを見せる。
「錦之助さんなんかもね、デビューの頃、刀差した歩き方がなっちゃないって、月形竜之介さんが文句言ってね、“じゃ、教えてあげてくださいよ”って、僕らが月形さんに、刀ってのは重いものだから、どうしても左側に重心が寄った歩き方になる、とか、そういう基本をレクチャーしてくれるよう頼んだことがあるンだ。スタッフも、そういう心配りをしないとねエ」
“機会があったら、そういう風に村上クンに言っておいてヨ”と言われるが、私なんかにそんな機会があるものと思っているところがいかにも平山さんである。

 横山光輝氏、寝タバコが原因でベッドが燃え、全身やけどで重傷の報。焼かれるはずの人質がいまだ焼かれず、なぜ横山光輝のような人が焼かれねばならないのか、と世を不条理に思う。この人の名もつい数日前、デビュー前の原稿がネットオークションで売りに出されたことに対し不愉快を表明しておられるという記事で目にし、あ、体調を崩しているとは聞いたが、まだ大丈夫なんだな、と思っていたばかり。寝たきり状態で仕方ないとはいえ寝タバコはいけない。妹さんが看病していたということだが、脳卒中で倒れた段階で、煙草だけはなんとしてもやめさせるべきであった。しかし、横山氏と言えば酒豪であり、ヘビースモーカーであり、かつ麻雀はプロ級、競馬は好きが高じて馬主にまでなったほどで、およそ男の快楽というものをトコトン追求するタイプであった。オタク的趣味人のエピソードにはことかかないが、そっちの分野での武勇伝がまずない(酒ではちょっとあるか)手塚治虫とは、こんなところまで 好対照である。

 ゲラなんとかアゲ、1時に弁当使う。肉ジャガ旨し。食後の運動にと外出、好天の中(まったく、一日おきにコロコロ変わる天気だ)西武デパートまでお茶(長崎飲料の発酵茶)の買い出しに行く。あるだけ買って、両手に提げてウンショ々々。昨日、居酒屋の狭い個室で煙草の煙吸ったせいか、ノドが腫れていたい。ドロップなどを舐 めてごまかす。

 夕方はSFマガジン原稿。今日はK子にペインターを講義するために青井邦夫氏が自宅に来てくれている。7時から夕食、とのことだが、原稿アガるのは最速の予定でも8時。遅れることは朝にもう言ってあるので、ひたすら書く。幸い、使用する資料も楽に出せるところにある。書きながら、チェックポイントをネット検索するので、いろいろな情報が入ってくる。鷺沢萠は自殺だった模様。風邪薬の中のエフェドリンやコデイン、それにカフェイン等の過剰摂取による一時的妄想の発作によるものではなかったか、というのが私の推理。と、いうか、一ビン一気のみする段階でもはや、 精神状態が普通ではなかったのだが。

 横山先生もとうとうお亡くなりに。悲痛な事故ではあるが、漫画家としてはすでに描きたいものは全て描いたという気持ちだったのではなかったかと思うし、鉄人をはじめ影丸、サリー、バビル2世等という彼の生み出したキャラクターは、これからも(ひょっとしたら鉄腕アトムやレオなどより長く)繰り返し、日本の娯楽作品の中でリメイクされて受け継がれ、生き続けることだろう。娯楽派・大衆派作家の評価というのは遅すぎることがまま、あるが、横山作品評価は晩年になるほど高まってきた。何とか間に合った。悲しみよりも、そういう安堵の気持ちがまず、正直なところだ。『B級学』(海拓舎)の中でも指摘したが、日本の漫画史というのは、手塚治虫をあまりに過度に評価してきた歴史と、横山光輝をあまりに過度に閑却してきた歴史の両面を持つ。後者の方の責任を今後、日本の漫画史は問われていくことになるだろう。ともあれ、偉大なるアルチザン、偉大なるエンタテイナーの死に改めて黙祷。

 8時20分、ようやく原稿(400字詰め10枚)アゲ、メール。K子からの指示で『アタックナンバーワン』のDVDボックスと、単三の電池を持ってタクシーで帰宅。もうすぐ家、というときに携帯に電話あり、某国営放送局のYくんが、仕事で上京しているのでお伺いできないかという。ちょうどのところなので、中野においでと 伝える。

 家ではもう、青井氏はじめ、K子、パイデザの平塚夫妻が揃って食事中であった。届いた液晶テレビ、やはり小さくて物足りないが、とりあえずDVDやビデオデッキにはつなげたので、K子はさっそく『アタックナンバーワン』を見始めた。青井氏といろいろ映画話(こないだの日記で『キューティーハニー』試写会場にいたというのはそれを伝えたK子の間違いで、本当は『CASSHERN』だったとか)。

 K子が見終わって、テレビに切り替えたら、イラクの人質無事解放、のニュースが流れていた。高遠サンの、アメだかなんだかをしゃぶっている顔が大写しになる。新潮に劣化ウランと言われた今井氏と共に、どうも命の瀬戸際にいたという緊迫感がないように見えるのはテレビというメディアのせいか? 郡山カメラマンだけが、二人と席を離れて座っていたのが、どうも何かカンぐりたくなる図に見えるのは致し方なし。NHKでこれを報じる畠山アナが、Yくんが“畠山さん、どうかしちゃったのかな、これ”と驚くほど嬉しそうに、口元が自然にほころんでくる、という感じで記事を読み上げていたのが印象的であった。青井さん、めぐみさん、K子、Yくん、私とで、今回の事件の月旦大会となる。これまでのウチでの飲み会で一番の盛り上がりかも知れない。おこげ料理とチマキご飯という澱粉質ではあったが、ビールと日本酒を飲んで、楽しく、時に毒のある会話を楽しむ。それにしても、ドタバタさせられた数日ではあった。

“なにはともあれ、無事でよかった”とはあまり言えない。すでに、この事件に誘発された可能性の高い第二の誘拐事件が起きているのである。その被害者の家族のことを思えば、あそこまで、家族や支援者の歓喜の模様を報道することが正しかったかどうか。ついでに言えば、“彼らのことを自業自得と言ってしまう人たちが怖い”という意見がネットなどで(まあ、あまりに自業自得々々と言う声が高かったせいもあるけれど)出始めている。トンデモないことである。あきらかに自業自得的な要素のある事件の被害者に自業自得と指摘できない世論の横行の方がもっとずっと怖い。

“日本人は情に流されることを国民的アイデンティティにしている”と、作曲家の三枝成彰が言っている。三枝氏はこれを必ずしも否定的にはとっていないし、私も同意見なのだが、しかしこういう事件の際には、そのアイデンティティが、最もまずい形で表れる。5・15事件のとき、犯行に及んで、日本の現役の総理大臣を惨殺したテロリスト軍人たちの行為を、当時の日本国民は“国の腐敗を憂いた若者たちの、純粋な、やむにやまれぬ行動”として絶賛し、情に流されてその処刑を哀れみ、減刑嘆願書が一〇〇万通を超えて政府に届き、ついに国もその声に押されて、犯人たちに厳刑 をもって処することが出来なかった。このことが、軍人たちに、
「国民はわれわれの味方だ。何をしても罰せられない」
 という奢りを生じさせ、それが二・二六事件の勃発につながり、日本は戦争へとまき込まれていくのである。今回の被害者の支援団体の非難の矛先は、あきらかに、彼らを誘拐し殺害をちらつかせて脅したテロリストの方ではなく、政府の方に向かっていた。何か相通ずるニオイを感じるのは私だけではないと思う。今のわれわれに出来る最善のことは、とにかく、帰国した彼らに、きついお灸を据えてやること以外の何物でもない。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa