裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

2日

金曜日

ラララ冬のソナタ

“冬乃、そなた!”とかやれば大奥っぽいですね(意味なし)。朝7時起床。入浴して半に朝食。クルミサラダ、さわやかでかつ濃厚。服薬、漢方系二種に、ボケ防止の ため亜鉛(ビール酵母)。

 新聞もテレビも、中谷一郎死去は“風車の弥七”死す、として報道しているようである。まあ、確かに新劇の役者さんというのは地味だから、お茶の間に弥七として顔と名を知られるというのは、舞台(こっちが本業)に客を呼ぶ上でもいいことだったのかもしれない。実際、そうでもなければ一般人は新劇役者の顔など覚えない。イッセー尾形の“バーテン”の一人芝居のバージョンのひとつに、バーテンが、店に来た中谷一郎にチップを貰った、ということを自慢にしている、というのがあって、
「ホラ、あるじゃん、『水戸黄門』のヨ、アレ。風車ピューって飛ばす役、やってるあの俳優。アレ、アレ、何つったっけ。……エ? 鈴木やすし? 違うよ、バーカ」
 という台詞に爆笑した。日常での会話の中によくある、役者の名前と顔が結びつかないという例に中谷一郎を持ってきたあたりのセンスが、中谷氏には失礼であるが大 変に結構であった。
 まあ、顔と名前が結びつく人たちの間であっても、中谷一郎と言えば風車の弥七、というイメージがどれくらい定着していたかは、
http://www.jmdb.ne.jp/person/p0277290.htm
 ↑ここのサイトで、『ああ爆弾』での氏の役名“矢東弥三郎”を“矢車弥三郎”と誤記していることでもわかる。弥七に似た弥三郎という役名の連想で、リスト作成者 がつい、矢東を矢車と誤記してしまったのではないか、と思うのだが。

 しかし、本来の役者としての持ち味からすれば、絶対にあの風車の弥七はミスキャストであったと思う。ミスキャストであったからこそ代表作になったのかも知れぬ。ああいう、ニヒルなヒーローの似合う役者ではないのだ。もっと人間味、それも土着のバイタリティあふれた、時にヒステリカルに、また時に高圧的にもなる、弱さも嫌らしさも全部ひっくるめた人間味が芬々と漂ってくる、そんな役者さんだった。前記の矢東弥三郎の、事務所から向いの床屋に行くにも、両側に部下をズラリと並べて柵を作り、その中を(暴漢の襲撃を恐れて)腰をかがめてキョロキョロあたりを伺いながらヒョコヒョコ歩く議員候補者の演技など最高だったし、出番こそ短いが、『日本の一番長い日』で森師団長を斬殺する航空隊の黒田大尉(何故か他の人々は実名なのに彼だけ仮名で、本当は上原大尉)の、斬殺の後、極度の緊張のあまりこわばってしまい、血刀を離すことが出来なくなった手を、机にガンガンと叩きつけて外す演技の凄かったこと。とても『ああ爆弾』と同じ監督の作品とは思えなかった。さらに、山本薩夫の『金環触』での、田中角栄がモデルの、民政党の斎藤幹事長役。チョビ髭をたくわえた顔で扇子をパタパタさせながらダミ声で政治記者たちを手玉にとるその姿は、思わず笑ってしまうほどソックリな役作りであった。逆に言えば、これだけ多様な役が出来る器用さが、本来ミスキャストのはずの役も楽々と演じさせてしまい、それが役者としての幅をかえってせばめることになったのかもしれない。人生の皮肉を思う。

 今日はバス、時刻通りに着。やはりいささか京王バスとの乗り継ぎに間があくようになったが、以前があまりにギリギリだったのでまあ、こちらの方がよし。仕事場に着いてすぐ、出版社各社との連絡しばし。扶桑社Oさんから、このあいだ打ち合わせした三冊の装丁などのことで電話、またダ・ヴィンチのSさんから、別冊で新連載のコラム(ホラーマンガ評)の文字数の件でメール。書き下ろし小説の件はまだ最終決定がなされていないが、この間の打ち合わせで大体聞いたスケジュールから少しズレ ての進行で決定するとなると、昨日打ち合わせした件との兼ね合いの具合では、今年後半は凄まじいことになりそうである。……まあ、以前にももっと凄い状況は体験しているし、驚きはしない。

 弁当、牛ツクダニと卵焼、ご飯はノリとカツブシと梅干し。お茶(長崎飲料の発酵茶)が切れたので、外出して西武の地下で十本ほど買い込む。2時、時間割にて朝日新聞大阪支局のS氏にインタビュー受ける。雑学ブームを博物学再興にからめてのインタビューで、本当は雑学一本で行きたかったのだが、も少し記事のステイタスを高めろと上に言われて、博物学にからめて、そっち方面にインタビューに行ったら、若い研究者はみんな面白がっていたのに、大御所たちは顔をしかめて、“あんなものは学問ではない”と吐き捨てていた、と聞いて爆笑。学問でないから受けたのである。トリビアというのは知識のザッピングなので、“学問の奥深さ”がかえって一般人に対し作っている垣根を取っ払ったところに人気の秘密がある、と分析して話す。

 いろいろ雑学の魅力を語っているうちに、予定にはなかったがSさん、“ぜひ、カラサワさんの仕事場を見てみた”と言いいだし、そこから仕事場まで同道。書庫や、グッズ類の置き場を嬉々として撮影していた。撮影中に彼の携帯に電話あり、何やらすぐに大阪に帰らねばならなくなったらしい(後でメールで来た連絡によると、彼は本来は社会部の記者で、持ち回りで文化部的な記事を担当することになっていて今回の取材となったわけだが、社会部のお仕事で、大阪の公園の遊具で子供の指が切断されるという事件が二件連続で発生し、そっちの取材でトンボ返りしなくてはならなくなったとか)。後で追加の質問などはメールしますから、ということでSさん、帰っ ていった。

 雨は降っていないが、雲行きあやしく、気圧は乱れ、肩がムチャクチャな状態になる。映画に行きたかったが予定を変更して、マッサージ。新宿へ出る。店が入っているビルの入り口にある回転ドアが封鎖されているのが可笑しい。回転ドア自体が危険というわけではないのである。マッサージ、これまで一番私に当たってくれていた、女性のS先生(美人の怪力先生、などと形容していた先生)が3月いっぱいで退職したそうだ。“最後にもう一回、カラサワさんを治療したかった”と言っていたと聞いて、残念に思う。今日はこないだもやってくれた先生で、揉みながら“はい、ここは 痛くしますよー”と言って、本当にかなり痛く揉んでくれる。

 終わって、地下鉄で新中野に帰る。9時夕食。今日は和食風で、カツオとカンパチの刺身、ニラのおひたし、山芋とワカメの酢の物。冷蔵庫にあまっていた鴨肉で北京ダック風(春巻の皮にくるんで食べる)も出たので、完全な和食ではない。ここらへんが家庭での晩餐。焼酎の炭酸割3〜4杯。テレビで『御宿かわせみ』の新シリーズ をやっていて、前のキャスティングと比較してのコキおろしを母子で楽しむ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa