裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

12日

月曜日

のはらだんのすけ

 オラはロリコンだゾ。朝、6時55分起床。入浴してちょっとメールのぞき、7時半朝食。昨日、仙台から上京してきてわが家に泊まったあのつくんと一緒。半熟卵、クルミサラダ、ゴマパン、野菜コンソメ。人質解放は宣言のみ出たがなかなか進展せず。テロリストなんかを信用しちゃいけないわけで、まして今回のように情報が錯綜している状態では、実際に人質が戻ってくるまではニュースも自粛した方がよくはないか。と、いうか、この騒ぎを見ていると、誰も人質のことを本当は心配していない のではないか、と思えてしまう。

 8時15分に仕度して家を出、杉山公園バス停で25分の渋谷行きに乗る。昨日のスイスイと気持ちよく走ったときとは大違い、週明けの混雑でさなきだに狭い中野通りは大渋滞、結局1時間以上かかって9時20分に放送センター前、着。後部座席に座っていたので、少し酔った。

 ケイズファクトリーの漢字パズル雑誌(誌名決まったのだろうか?)のゲラに目を通してFAXで返信。その他細かい用事いろいろ。打ち合わせの場所を確認したり、なんだり。その後で、ネット四コマ『コミビア』ネタの一行知識を三つほど書いて、 まとめてK子メール。

 なんやかんやで時間がたってしまい、1時過ぎに昼食。今日の弁当は卵焼きと、昨日のホイル焼きの鶏。ご飯には海苔とカツブシ、それに梅干。発酵茶がそろそろ切れるので、毎度デパートで買うのもと思い、以前やったようにメーカーに直接電話して送ってもらおうとペットボトルを見たら、以前は表記されていたフリーダイヤルのナ ンバーが無くなっていた。どういうことか?

 2時、うららかな陽光の中、仕事場を出て東武ホテルロビーへ。朝日新聞夕刊レッツ記者のN岡氏と待ち合わせて、そのまま時間割で。前もってメールで、お題は“萌え”について、と効いていたが、N岡氏、私よりちょっと年齢上くらいの、およそ萌 えなどという言葉とは縁のない風体人柄。
「世間がイラク人質事件などで大騒ぎしているときに、このような浮世離れした話題での質問で、申し訳ありません」
 と言われて苦笑。このレッツの特集記事は、毎回、記者が普段の自分とは全く縁のないような事物・事項を取材して記事にする趣向なのだそうだ。昨日は秋葉原のコスプレ喫茶に行き、今日は私への取材のあと、カプコンで春麗の等身大フィギュアを見学に行くという。今回の取材を引き受けたのは、最初に“萌え”ムーブメントを肯定 的にとらえたい、という提案があったため。

 まず、“萌え”の語源説いくつか説明し、その定着が93年から95年あたりに絞られることを示し、いったん遡って70年代末のオタク発生状況を簡単に説明して、80年代オタクシーン概観から、やおい系で使用されていた“キュンとなる”“ツボ押される”という情動表現、それらが『美少女戦士セーラームーン』のちびうさ人気(細かい“ナニナニの方が先駆”論議は煩瑣になるので置いておく)等で男性のロリ系オタクにその情動が引き継がれ、やがてロリ系の主流が性対象系から観賞系、愛玩系キャラに以降していく中で、90年代半ばに出現した“萌え”と言う用語に統一さ れていく過程を語る。

 N岡氏から“で、萌えは今後、どういう方向に発展していくんでしょう?”と訊かれるので、“発展しません”と答えて個人的にウケる。オタクの情動の根元にある性的欲望のたどりついた安住の地が“萌え”であり、裾野が広いために犯罪や人格崩壊につながる一部の人々も出るだろうが、基本的に“萌え”は極めて社会的安定度の強い概念であって、その内部にさまざまなバリエーションは生むものの、ひとつのオタク情念の最終形態たり得る、と解説する。これは、自分の頭の中に漠然とあった考えだったが、N岡氏さすがに年の功で話を引き出すのがうまく、しゃべりながらこちら もかなり自分の考え方を整理できた。

 基本的に萌えを、フルコンタクトのケンカ空手であったロリに対し、いわゆる“寸止め”空手にたとえて説明、つまりは“型”を第一義にする概念であるが故に、それは非・オタクにも通じる一般性を持ち、また、美意識を基準にした“文化”を生み出す素地にもなる。さらには、女性の入り込めないロリ、男性の入り込めないやおいの両分野が、“萌え”感覚の共有で交流する可能性もあり、新たなオタクの地平を切り開いていく……と、まあここらへんは妄想の範疇になってしまうが、日本にこれまであった“粋”“ワイルド”“シック”などという美的評価の概念に、“萌え”というものが加わるのは時間の問題でしょう、と、最初の注文通り肯定的に〆て終える。N岡氏曰く、これまでの朝日新聞では、コラム等の類はともかく、記者が書く記事中に“萌え”という単語が、草木の芽吹きの意味以外で使用されたことはなかったそうであって、私の原稿が朝日新聞史上初の使用になります、と言う。歴史的記事になるの であるなあ。

 N氏と別れ、その足で放送センター前バス停から新宿西口行きのバスに乗り、新宿西口京王百貨店入り口でK子と待ち合わせ。西口に、“共産主義は「真似もの」「偽もの」「嘘もの」「逆もの」”と書かれた“世界経済共同体党”の街宣車が停まっており、大音量で又吉イエスの演説テープを流している。例の独特のイントネーション とおなじみの用語で、
「こいずみぃー、じゅんいちろーはぁ、ただ死んでぇー、終わるぅー、ものではー、なイ! 唯一神、またよしぃー、イエスがぁー、地獄のぉー、炎のぉー、中にぃー、投げ込むぅー、ものでぇー、あル!」
 とやっていて、もう、聞いていて本当に嬉しくなって、小刻みに背中をふるわせてしまう。又吉イエス氏については、下記のファンサイト(?)を参照のこと。あの演 説テープ、手に入れられないかしらん。
http://yes.kazamidori.net/

 待ち合わせたK子と西口のヨドバシに行き、家電購入。母の部屋に置く液晶テレビと、次の同人誌用の座談会録音に使用するMDレコーダーである。液晶テレビは、部屋が狭くてあまり大きいのは置けないので、20型にする。K子はソニー製品が何故か嫌いなので、選択肢が限られて、ある意味楽、ある意味困る。無事、両方とも購入 する。

 K子と別れ、そこからまた西口バス停まで行って、渋谷行きを待つ。これまでバスなどというものは、よほどのことがない限り使わなかった(使うのが億劫だった)ものだが、現金なもので、バス通勤するようになってから、その便利さに目覚めて、どこへ行くにも、まずバスがファースト・チョイスの交通機関となり、母にも“今度、羽田の飛行場に行くなら中野駅前から直行バスが出ているんだよ”などと口走っているのである。一台信号待ちで寸前で逃してしまい、しばらく待つことになるが、春の夕刻の、どこか埃っぽくはあるがいい感じの雰囲気を味わう。この季節が感傷的なのは、初めて上京して一人暮らしを始めたときの思い出にリンクするせいだろう。

 帰宅、メールチェック、書き下ろし用原稿執筆(不捗)などいろいろ。原稿書きが延び、帰宅の便はバスにしようと思っていたら間に合わなくなる。仕方なく、ギリギリまでやって、タクシーで帰る。今日も夜は道が空いていたので、安く帰れた。晩ご飯9時。今日は家族三人のメシで、冷や奴、ニュウメン、マグロ山かけ、サワラ塩焼き、タケノコと蕪の葉の炒め物、それに漬け物でご飯。『菊亭八百善の人びと』をテレビでやっている(仕事場から急場に持ち込んだポータブル)ので見るが、ずいぶん原作とイメージが違うドラマであるな。K子が例の如くビシビシ強い口調でものを言うので、ちょっと私や母も感情的になり、三人の間に緊張が走った。ま、たまにはこういうことも必要。トラブルがないと人間、どこに問題があるか、もわからない。今回のイラク人質事件で、NGOの問題が浮き彫りになったようなもの。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa