裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

25日

火曜日

いくよ・くるよ、我等が宿り

俺たちゃ最近のお笑いにはなじめないからに。

※企画原稿アゲ アーバンフォレスト公演

今朝の夢。クリスマス劇で『フランダースの犬』の上演。
最後のネロの昇天のシーンに歌が流れるが、これがなかなかの名曲。
パンフレットにその歌詞があり
「三千世界に輝くものは
 十河に降り刻く星の華」
というもの。“降り刻く(ふりこく)”とは変な言葉だが、
ちゃんとフリガナまで打ってあった。“十河”は“じゅうが”と
読む、らしい。

ちなみに『フランダースの犬』は、
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20071225i302.htm?from=yoltop
によれば欧米人には“負け犬の死”としか映らず、評価されなかった
という。で、これが日本でだけ受けたのは、日本人に“滅びの
美学”があるからだ、というが、滅びの美学は日本独自のものだ
ろうか。たとえば、ジョン・ヒューストンの映画の基本は
“挫折の美学”である、ということは以前から映画研究の世界で
定説になっていて、これは彼がアイルランド系であることに
関係があると言われている。アイルランド人の文化は、
人間の愚行に美学を見いだすものだ、と、レイ・ブラッドベリ
の『緑の島、白い鯨』の訳者である川本三郎も言っている。
http://www.chikumashobo.co.jp/pr_chikuma/0711/071108.jsp
いや、アントニーもハンニバルもナポレオンも、最後は挫折の死を
遂げる人物だが西欧でだって人気があるではないか。
少なくとも『フランダースの犬』のネロの死を“負け犬の死”と
取る文化の方が、異質というかあまりに実利的なバカなのでは
ないかとしか、思えない。

9時に朝食、リンゴ3切、イチゴ3粒、青豆スープ。
何としても今日じゅうに企画原稿、アゲねばならず。
明日から連日で今年残りの打ち合せだの忘年会だの
観劇だののラッシュである。
その上にさらに、仕事場の大掃除までやらねばならぬ。
本日昼に予定していたNHKの打ち合せ、明日に延ばしてもらう。
そんな忙しい中、小倉優子の眼帯写真をネットで集めまくったり。
何をしているのかと思うが、眼帯には換えられない(断言)。

結局眼帯で忙しく(何だそれは)、原稿執筆開始は昼過ぎからになる。
昼は母の室で、訪ねてきたなをきと一緒に。
お互いくたびれた顔をしている。
母の作った牛飯をかきこみながら、雑談いろいろ。
たまたま談、某人物の仕事の話に至り、
「俺はあれは全然ダメだと思うのだがね」
「うん、あれはダメだ」
「そうそう、ダメだ。なんでみんなダメといわないのかわからない」
「周りのみんなもダメだからだろう」
「特にに某々は高校生なみのダメさだ」
「それ以上に某々は徹底的にダメだ」
「それもこれも、元は某がダメだからだな」
「本当にダメだな、あれは」
と、異様な盛り上がり。
30年前、阿佐谷のボロ下宿で酒をかっくらいながら二人でオダを
上げていた時代に戻ってしまった。
お互い仕事なので、じゃあ、と別れかけて、
「もう一回言うけどダメだよな、あれ」
「ああ、ダメだダメだダメだダメだ」
「とにかくダメだよ!」
「ああ、ダメだ!」
と繰り返したほど。
お互い、最近あまり人の悪口を言ってなかったのでだいぶ
エグゾースト出来た気分。

自室にもどって、それからは一心不乱に原稿書き。
三日目にして400字詰め100枚を越す。一日30枚以上書いている
計算か。企画原稿なので、完成度よりまず、まとめることが第一
だから書き飛ばせるわけだが。

オノからは時々刻々という感じで予定連絡。
さらに一件、明日の打ち合せ増えた。
ロフトさいとうさんと新年イベントの打ち合せ。
本日は6時45分に新宿で待合わせだが、原稿、なんとか6時前には
書き上がる。ふう、という感じである。
曲も工夫もない内容だが、まあ、叩き台にはなるだろう。
すぐにメール打つ。

それから支度して、タクシーで新宿。
出がけにはれつ氏から“いま、チャーリーハウスで飲んでいる”
と電話。私は明日行く、と答える。
昼が早かったせいか、腹が空いてきたので、近くの立ち食いそば屋
『かめや』でイカ天うどん。ここは人気立ち食いそば屋らしく、
“今日のかめや”という、かめやで何を食ったかということのみの
ブログを書いている人もいるほどである。
なるほど、上品な出汁。
店内のスタッフの働きぶりがてきぱきとしており、好感が持てる。
食べ終わってちょうど時間、新宿スペース107で
劇団アーバンフォレスト公演『NoBody, NoParty』。
以前下北のあぁルナ公演でご一緒した大友恵理さん、渡辺シヴヲさん
の劇団である。

オノと待ち合わせて(マドは遅れるそうなので)入る。
チケット予約にちょっと不手際(こっちの)があったが、
対応して席をとってくれた。感謝。
ロビーに助ちゃんがいたのでしばらく話す。
大晦日のNC赤英のライブのこと。
伝説の公演になること確定らしい。
コミケなのが惜しいねえ。
マドもすぐ来られたので、席につく。
近喰くんもいた。
この劇場、立地といい設備といい、いかにも使いやすそう。

話はいわゆるバックステージもの。
芝居の楽屋ばなしである。
ある劇団がミステリ劇を公演するが、
酔っぱらって前夜に舞台監督が骨折入院、制作助手の男が
慣れない舞台監督を務めるという不安の中、主演女優二人は
恋人の取り合いで大げんか、不安は的中していきなり、
小道具箱が紛失。小道具なしで劇を始めなくてはならなくなる……。
というのが基本設定。

あらゆる不手際、トラブルが舞台上では続出、芝居に関わったことの
ある者として身につまされて笑えるし、舞台上の階段を駆け上がり
走り降りの連続の役者さんたちの大奮闘のドタバタに感心するものの、
いささか繰り返しでダレてきたな、と思ったところで場面が大転換。
時間も逆戻りして、その舞台上になる。
つまり、前半1/3はそっくりネタ仕込みだったわけで、
それらの不手際がどう舞台上に現出したか、を見ることが出来るわけ。
いや、これは爆笑せざるを得ず。
そのアイデアに感服。

恵理ちゃんの演じる女優はヤキモチ焼きで、主演男優が昨夜、
共演した女優の家に泊まったというので芝居も放り出して
しまうし、シヴヲさん演ずる男優は、コワモテ演技の名優だが、
アドリブがまったく効かず、トラブルがあると舞台上でスに
もどってしまう。おまけにミステリ劇なのに、犯人役の
俳優が舞台上でヅラが外れ、婚約者(舞台を観にきている)
にハゲがばれたショックで、役者をやめて国に帰ると言い出す。
混乱の極みの中、台本を書いたテレビの人気脚本家の女性は
怒って芝居を中止してください、と言ってくるが、演出家は
「舞台は始まった以上、中止できない。何とか結末をつけるんだ」
と決断。この混乱を収束させるアイデアを出したのは、
意外な人物で……。と、言うわけで、芝居の残り1/3は、
この芝居にどういうラストが、という興味でお客を引く、という
三段構えの構造。
舞台というものの楽しさを二重、三重に味わえる、憎い構成と
演出である。ただし、これはよほど役者(実際の)が全員、
うまくないと成立しない難しい芝居。助ちゃんが観劇後
「うらやましいですねえ」
と漏らしていた。

ただ、前半がちょっとダレた感じがしたのは、今日が9日間公演
の7日目で、全日までの昼夜二回が終わった翌日という、役者さんに
疲れがたまった時だったからかもしれず。
オチのつけ方もああいう小劇団風の力技でなく、もう少し
スマートにやったらウェルメイド・プレイとして時代を超えて残る
作品になったかもしれない、と思わせた。
劇中劇の主役・役をやった迫田圭司という役者さんが、
SMAPの中居そっくり。女優二人が彼を取り合う、という設定も
スンナリ納得できる好キャスティング。
それだけに、もっと彼を本当の色事師にしてしまった方が
よかったんじゃないか、と思わせた(後でハッシーに聞いたら
彼とは以前、打ち上げで同席したことがあった。ベロベロに
酔って私にからんで、途中で寝てしまった人物であった)。
まあ、いろいろ注文が頭に浮かぶのは、それがいい芝居だった故。
逆に自分の仕事にバックできるいろんなアイデアが得られた。
これはノートしておこう。

終わって、助ちゃん、近喰くんと、近くの飲み屋『かんちゃん』
2号店に入る。後から恵理ちゃん、シヴヲさんも合流。
応急の忘年会になった。いかにも昭和の居酒屋、という雰囲気、
料理にこういう店が大好きな私とオノ、大喜び。
演劇論や、来年の企画なども話、かなり盛り上がり。
12時にお開き、中野まで中央線、降りてタクシー。

帰宅してメール確認。
三才ブックスのTくん、談志家元へのインタビュー、成功とか。
談之助経由で教えた家元の好物、神田精養軒のマドレーヌが
的中して、かなりごきげんで話してくれたとか。
精養軒のマドレーヌがうまいというより、家元は、持ってきたもので、
取材相手が自分の好みなどを事前に調べる手間をかけているか、
それともいいかげんにそこらのお菓子で間に合わせたか、という
相手の意識をはかるようである。
吉川潮の『江戸前の男』に、小朝が家元に稽古をつけてもらいに
いくとき、事前調査をして好物のジュースを持って行き、
気に入られるシーンがあった。
あの小説でも、小朝がレクチャー受けたのは談之助に、だったな。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa