裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

7日

金曜日

酒、女、パクチー

あの人もベトナム料理で身を持ち崩して……。

※朝日書評二本 喰始大生前葬

朝9時起き。
本など読んでいると、もう9時20分。
どうしたのかと思って母の室に電話したら、
「忙しいので電話するのを忘れた」
と。そう言えば紀子姉が来ているのであった。
とうとうかけちがって会えなかったな。
紀子姉は美大在学中にこの近くに住んでおり、
道路へ出たところの民芸店『あじろ』によく通っていたそうな。
その『あじろ』も、十日ほど前に閉店してしまった。

朝食、リンゴ二切れ、ラフランス一切れ、モンキーバナナ一本。
自室に帰って休んでいたらNHKの集金さんが来た。
カード支払いに切り替えて欲しい、という。
来年から、NHKの集金人制度というのが原則無くなり、
振り込みだけになるのだそうな。
NHKの集金人はよくギャグのネタにしたものだ。
『TVぴあ』に連載していた『ガラダマ天国』で、集金人ネタを
やったら大ウケで、二弾三弾と続け、四弾目をやろうとして
さすがにNHKから“ちょっと……”とブウブウが入ったという
逸話もあった。
貧乏な学生時代には天敵のような存在であったが、
無くなると思うとさすがに寂しい。

カードを機械で読みとって、カード払いの手続きをするが
機械がなかなか正常に作動せず、集金人さん
「おかしいなあ」
と、三回も来たりまた帰ったり。最後だから名残を惜しんだわけ
でもあるまいが、これだけスキミングの被害が言い立てられている
中で、長閑なこと。やっとうまく行き、おじさん、ホッとした表情で
「唐沢さんなんですよね。集金所でも“唐沢俊一さんのところに
通ってるんだって?”とよくうらやましがられていますよ〜」
とお世辞使って帰っていった。

弁当使う。シャケと野沢菜。
朝日新聞書評、来年分二本、書いて送る。
書き上げて急いで喪服に着替え、新宿へ。
シアターアプルで『喰始の大生前葬』初日に。
だから喪服なんである。
オノも行くはずだったが、こないだ自転車にぶつけられて
軽いムチウチになったそうで、代わりにバーバラが来る。

香典おいて場内へ。スタッフから、弔辞のダンドリを説明される。
おとついだったか、WAHAHAから電話で頼まれたのである。
席を見ると、真ん中の最上等席で、並びには永六輔さんや
藤村俊二さん、後から春風亭昇太くんも来る。
オノだったら“凄すぎませんか、この席〜!”と恐縮するだろうが
バーバラは芸能業界とかをほとんど知らないので
「いい席ですね〜」
と平然。何か可笑しい。

さすがWAHAHAで、巨大な喰始の遺体人形をみんなで
かついで運び込むところから始まって、スケールがデカい。
司会は柴田理恵と久本雅美。
最初の挨拶は永さん、それから故人である喰さんが挨拶。
ずっと死んだということにしたまま、という演出を私なら
自分の生前葬するときにはやるだろうが、しゃべりたがりの
喰さんには無理か。
最初の余興(?)は吹越満のロボコップ芸。

お悔やみのビデオも何回かに分けて上映されたが、萩本欽一、
タモリ、和田アキ子、渡辺正行とさすがの面々。
最後に佐藤B作が出て、かなりしゃべりにくそうに、それでも
ギャグで落としていたのはさすが。
話の中に東京ヴォードビル公演『そして誰も笑わなくなった』
が出て来たので懐かしくなる。1979年だったか。
見に行って、しばらくヴォードビルショーにハマったものだった。
あの頃は阿佐谷に住んでいたので、渋谷は“わざわざ出かける”
街だったが、当時の渋谷は本当にモダンな街だった。
そこで見たヴォードビルショーの芝居も本当にモダンに思えたものだ。

オヒョイさん、昇太さんも弔辞。オヒョイさんは
壇上に上がるのが恥ずかしいから、と、席で挨拶。
そこにマイクを持って行ったのは喰さん自身だった。
壇上ではゲストで神田山陽、これは何も用意がなかったと
見えて三分で下がるが、次の国本武春は『巌流島うた絵巻』を
たっぷり聞かせる。今日はこれがナマで聞けたのが儲け物かな。

喰さんの思い出を久本雅美がナスの着ぐるみでジムノペティに合わせて
朗読、柴田理恵は講談を。この二人の存在感はさすが。単に名前が
売れているから、ではなく、客をつかむツボを心得ているなあ、
という印象。

司会は久本・柴田から猫ひろし・ジジぶぅに変わり、さらに
佐藤正宏と勝栄に。そして、故人・喰さんも登場して、
外部の芸人、若手、ワークショッパーなど40組以上に及ぶ人数が
壇上に上がり、一分限定で追悼ギャグをかます。
大受けする人あり、シラけさせる人あり。
最初の登場が何と好田タクトさんだった。
コンタキンテさんも出て、やっぱり脱いだ。
この二人はさすがに別格、という印象。
他には“中国語の巨人の星”という芸をやった岡部たかしが
抜群に面白かった。
とはいえ、40組も出れば最後はお客さんも笑い疲れる。
ネタのかぶりもある。
こういうのは早いうちに出た方が勝ち。

で、最後の一組が終わったあと、なんとそこで弔辞に呼ばれる。
「この後かよー」
と思うが、しかしおいしいポジションではある。
「喰さんは私の世代にはあこがれの人で……」
とかいうマトモな挨拶を用意してきたんだが、ギャグコーナーの
〆じゃあ……と思い、ここはギャグで、と、さっきまでの
ギャグ連発で疲れ気味の場内に向かい
「……ソフトな拷問のような45分でした」
とやったら果然、会場大爆笑。
笑い待ちに10秒以上かかった。いや、一生懸命やった若い
芸人さんたちには悪いが、笑いをとることを至上の目的とするなら、
ここでこの状況を活かさない手はない。
そのあとも、ちゃんと“あこがれの喰さん”というようなタームは
入れつつ、WAHAHAのライブはいつも長い、という
ネタでブラックにやる。大拍手。
佐藤座長が
「私たち全員の気持ちを代弁して〆ていただきまして」
と言い、昇太が椅子に沈み込むようにして笑っていた。

その後、さらに清水ひとみさんたちの『TAKE A CHANCE ON ME』、
ポカスカジャンの『私たちののぞむものは』といった、感動と泣き
がのネタが入り、喰さんの挨拶と続く。
少し、私のネタの黒い部分にフォローを入れていた。
こういう、日本人向けの泣きネタも必ず折り込むところが
喰さん演出である。笑いと芸と泣き、娯楽の要素すべてが入る幕の内。

終わって、好田タクトさんに挨拶できた。
ロビーに出たら勝栄さんから抱きしめられるようにして、
弔辞を褒められる。この人にウケた、この人を笑わせた
ということが何より嬉しい。
『TAKE A CHANCE ON ME』の演奏をしていた杉ちゃん、
セクシー寄席のみんななどに挨拶。
喰さんが出した自著にサインをもらう。
次の出版も決まっているそうで、対談を依頼される。

バーバラと、新宿のおでん彌次郎兵衛へ。
バーバラから見たWAHAHA観を聞く。
芸人のオーラについて、感服しながら話していた。
やはり、(久本、柴田は別格として)売れている人からは
オーラが出ていた、と。
WAHAHAの売り方の上手さにも感心していたそうだ。
途中、清水ひとみちゃんからお礼の電話入る。

カウンターで話していたのだが、後ろの席に、どこかで
見覚えのある顔が入ってきた。向うも私を見て驚いていた。
旧青林堂の編集・北園くんだった。
「元気か〜。いくつになった?」
と肩を抱くようにしてしまう。まだ業界でやっているようで、
そこは喜ばし。
彌次郎兵衛もひさしぶりだが、相変らずまずい。
まずいところが無性に懐かしい。
新宿駅まで歩いていく最中、チョッキのボタンがひとつとれて
転がったのを拾ってくれたのが、彌次郎兵衛の板さんだった。
これも偶然。

バーバラと別れて帰宅。
ビールしか飲んでなかったので、
同人誌原稿やり、くたびれて1時ころ、ホッピーで酔いの仕上げ。
清水ひとみさんと、感動しましたというメールのやりとり。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa