裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

20日

日曜日

僕の王陽明においで

もしもこの家で中国思想を学ぶなら

※『史上最強のトークバトル』出演

朝の夢。
可愛いAV女優と知り合いになるが、彼女はまだ中学生であった(ま、夢ですから)。彼女は出身地の京都から出てきて、苦労している。京都にいる老いた親は、彼女に京料理をなんとか食べさせたいと願うが、運んでいるうちに味が落ちる。それを侠気のあるトラック運転手が、味が落ちないうちに運んでやるぜと請け合い、ついに彼女はおいしい京料理を久しぶりに食べることができ、その模様がテレビに映るが、京都知事はAV女優が伝統的な京料理を口にするのは文化に対する冒涜だと発言(今の京都知事がどういう人か知らないので失礼)、これに私はじめ文化人たちが激高、アンチキャンペーンを張って見事知事を次の選挙で落選させる、というもの。

8時半起床、9時朝食。スイカとグレープフルーツ、アスパラガススープ。食後、自室に帰り、原稿とか、やらねばならない仕事は山積だが、どうも何もやる気がなくてダラダラしてしまう。新着もののビデオなどを見流したり、本を読んだり。

塩沢とき死去、79歳。
魔女イグアナのことはみんな書くだろうからあえてくわしくは書かない。このイグアナ役(『愛の戦士レインボーマン』)で共演した平田昭彦とは小学校の同級生で、密かなあこがれを持っていたらしい。そういう関係としてあのドラマでの二人を見ると面白い。エルバンダの父親は誰だったのか?

それはともかく、彼女の人気の秘密はそのエピキュリアンな生き方だったろう。毎日ステーキを食べるという食生活もそうだったし、恋愛やセックスについても年齢に似合わぬ大胆な発言をして周囲を驚かせていた。地味な脇役から一転、バラエティ番組での人気者となったときも、その人気を存分に享受し、楽しみ、エッセイ集で、仕事先で高級ホテルに宿をとってルームサービスで最高級の紅茶が飲めることの喜びをダイレクトに謳っていた。日本人にはちょっとないメンタリティではないかと思う。そんな非・日本人的な部分と、名前の“とき(本名は登代路)”に代表される日本的な部分とのアンバランスさも魅力の一つだった。自宅の写真が新聞に載っていたが、スターの家としては珍しい純・日本風な普通の家(しかも借家だったとか)だった。見栄でなく、実質的な享楽に金を使いきる、というところが真のエピキュリアンである。ポッと出の芸能人が身分不相応な豪邸を建てるのは、あれは金の使い方の下手さを証明しているようなものである。戦後60年、日本人は豊かにはなったが、豊かさを楽しむことはさっぱりうまくなっていない。塩沢ときは、その先生みたいな人だった。

そう言えば、訃報で思い出したが11日に脚本家のバーナード・ゴードンが死去していたというニュースがあった。88歳。共産党員としてハリウッドのレッド・パージにあい、師匠のフィリップ・ヨーダンに名前を貸してもらったり、またレイモンド・T・マーカスなどの変名を使って脚本を書いていた。代表作は『バルジ大作戦』『北京の55日』などだが、ウィリアム・キャッスル作品にも脚本を提供しているし、古典SF映画の名作を多く残している。『空飛ぶ円盤地球を襲撃す』(1956)、『人類SOS(トリフィドの日)』(1963)などが代表作。いずれも、今、観てみると当時のアメリカの社会状況を反映させた反共思想がはっきりと見てとれるストーリィであって、これをアカとして追放されたゴードンが書いているのが皮肉である。

それもあって、“まっとうな”映画研究家は、こういうキワモノの脚本をゴードンが書いたのは追放時代の生活費のため、と位置づけているようだが、この人、もう追放も過去の話になった1973年にクリストファー・リーとピーター・カッシング主演、それにテリー・サバラスが出演しているSFホラー映画『ゾンビ特急地獄行き(ホラー・エクスプレス)』をプロデュースしたりもしている(脚本に親友で同じく追放組のジュリアン・ジメットが参加)。実際のところ、好きだったんではないか、と思うのである。

昼は母の室で天ざる。天ぷらは海老とアスパラ。家庭で、めんみのツユで食べるソバの味もこの歳になるとオツなものである。

雑用楽しくしたり、1時間ほど昼寝したりして、結局原稿仕事せず。まあ、たまにはこういう日も必要。5時半、家を出て、地下鉄を丸ノ内線、日比谷線と乗り継いで東銀座時事通信ホール。オノと待合わせ。『史上最強のトークバトル』出演。

東銀座は十数年前、事務所を持っていた場所でもあるが、時事通信ホールってのは当時まだなかった。立派なビルであることに驚く。二階にエスカレーターで上がって、楽屋に通される。第一部の政治篇がまだ終っていない。楽屋でオノと聞く。私がこれまで参加してきたトーク類とはかなりオモムキというかノリが違う様子。スタッフの青年が、サインを求めてきた。中学生の頃からのファンなんだそうだ。

政治篇は司会が勝谷誠彦氏、出席者が平野貞夫、西村眞悟、石破茂の各氏氏。社会・文化篇はスタッフのK氏が司会で、勝谷誠彦、須藤甚一郎、西村眞悟各氏に私がゲスト。うーん、各人の思惑と方法論とスペックが全員、てんでんばらばら。同じ出席者を置いたことも災いしてか、さっぱり盛り上がらず。司会者は最初の進行表にしたがって話題を戻そうとするが、進行表の存在そのものを聴衆は知らないのだから、唐突に感じるしかないと思う。

いくつか話のきっかけになるキーワードを飛ばしたつもりが、勝谷さんなどがそれに食いついてくる前に、ほぼ全部、須藤さんにかき乱される。おまけに西村さんの『週刊プレイボーイ』誌での舌禍発言を昭和のこととして話して訂正されるなど、困ったもの。アウェイとはいえ、この進行ではちょっとどうにも出来ぬ。しょうがないから、笑いとることに途中からシフトして、すっかり投げる。勝谷さんもかなりイラついていた模様。

1時間半はあっという間、終ってロビーに出たらオノマドの他に、アスペクトK田くんと、神田陽司(オタク系講談師)さんがいた。飲みましょう、ということになって銀座の町へこの面々と。最初は素材屋。陽司さんがセカンドライフを始めた、という話題で盛り上がる。ここのラストオーダーが10時半という銀座時間だったので、もう一軒、と24時間営業の『築地すし鮮』へ。キャタピラオーバーロール、などというイモムシ型のアボカド寿司(写真参照)があったりとちょっと不安だったが、まずまず。焼酎を二本ほどあけた。政治の話や文化の話で盛り上がり、みんな“これが今日の第二部だな”と。
ダジャレの話になり、K田くんが“テッコンVって本当ですか(結婚するって本当ですか)”とやったので爆笑し、誰の作? と訊いたら私の日記だった。

12時半、タクシーつかまえて帰宅。変な一日だったが、まあ、飲み会が盛り上がったからいいか。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa