裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

30日

水曜日

メカメカケ

愛人28号。

朝8時起床。入浴、9時朝食、アスパラガススープ、スイカ二切れ、青汁。服薬、コンドロイチンシロップ、小青竜湯、黄蓮解毒湯。最近はmixiニュースのコメント日記をいろいろ読むのが日課。話題のネットウヨ率が高いのは事実だが、まだまだサヨ系も多くバラエティに富んでいる。ちなみにウヨサヨといったカタカナ表記はやはり島田雅彦の『やさしいサヨクのための嬉遊曲』が原典なのだろうか?

ジョンベネ事件容疑者のDNA不一致の記事を取り上げた日記を読んでいたら、
「犯人は多分、こいつじゃないですね。単なる妄想家でしょう。だって、彼の中に入っても、ジョンベネちゃんを殺したという記憶が見つからない」
というのがあって、“彼の中に入って”という記述が意味不明だったが、どうもこの人(女性)、ナチュラルサイキッカーでリモートビュアーであるらしい。しかし、もうDNA鑑定出ている時点で“多分こいつじゃない”とか言われてもあまり役には立つまい。彼女のERVによると
「犯人は若い男性、単独犯、大きな体で、知的障害があるよう。髪は茶色で、短く、アスペルガーらしい」
という意見(ちなみにERVは拡張型リモートビューイングのこと)とあるのだが、その後に
「父親がクサイのですが、どうなんでしょうねぇ〜」
などとあるのは、どっちやねん、と言いたくなる。

午前中いっぱいは今日の打ち合わせ用の資料書きに費やす。本日は打ち合わせ、会談予定がギッシリ、その合間を縫って長めの原稿を二本も書かないといけない。

昼は弁当使う。お菜はアナゴ煮物。腹持ちのためにご飯半分残して、それは味噌卵を作った中にぶちこんで食べる。唐沢俊一流味噌卵レシピは、酒と水を1/2くらいの割合で鍋で煮立て、昆布ダシを加える。さらにパックのカツブシを一袋あけ、長ネギの青いところのみじん切りを投入。さっと煮立てたら、味噌を濃いめに溶き、そこに卵を割り入れて火を止め、混ぜながら余熱で固める。熱々を飯(出来れば冷や飯)の上にドッとかけて、おじや風にしてかきこむ。

資料、家で書き上げてやれすんだとホッとして、それから家ではいま、プリントが出来ないと気がついた。あわててタクシー飛ばして事務所。大至急プリントアウトして、待ち合わせの東武ホテルへ。A社H氏。H氏に某企画のプレゼンをするのである。雑談交わして、それからいよいよ本題。実は本案の他に予備案を二つ、用意してきた。私としては、カタチになりやすいものから第一案、二案、三案と順位をつけてプレゼンしたつもりだったが、もっとも詳しく資料とかを用意した第一案は、
「そりゃカラサワさんがやる意味あまりないですよ」
と、軽く一蹴される。あせっていろいろテコ入れ案だすが
「わざわざウチでやる魅力がない」
と全く反応鈍し。
「忘れないでくださいよ、私は企画をカラサワさんの名前で売るつもりなんですから」
と言われる。で、詮方なく第二案の方を出すと、まあまあの反応。まず、これで決まりかと思い、ついでに第三案の話を雑談風に切り出したら、そっちに何と大きく食いついてきた。

「それ、いいですね、モトがあるんですか」
となり、向こうの欲しがっていた企画にピッタリとハマるらしく、
「いい、いい。なんでそれを早く出さないんですか」
になり、こっちもノっていろいろと思いつくままに企画を広げると、ちょっと興奮気味に
「類似企画はないし、カラサワさんのニンにピッタリだし、いいですよ! これなら『有××××ル』に勝てますよ!」
と言われてむしろ驚く。なにはともあれ、結果的に前向きのいい感じになったのは重畳。しかし企画の善し悪しなどわからぬものだ。私としては第三案はマニアックすぎて一般性がないと思っていたのだが、しかし確かに唐沢俊一ぽいことは確か。来月アタマまでにそっちを企画にまとめて持っていく、ということを決めて別れる。

仕事場に帰るともうどどいつ文庫伊藤さん来ている。毎月かなりの数の洋書を持ってきてくれるのだが、凄いのはかなり分厚い本に、ぎっしりというくらい付箋が貼ってあって
「ここが唐沢先生向き」
と指示してくれている。時間がないときはそこだけ拾い読みするだけでいい。最近の私の日記を読んで、関連性あるような本を持ってきてくれるのも有難い。

伊藤さん帰ったあと、すぐまたトンボ返りという感じで事務所を出て、時間割。東急エージェンシー打ち合わせ。K口さん、K条さん、K野さんと全員イニシャルK。猫三味線紙芝居イベントの企画趣意書をこのあいだ、書いて出しておいたのだが、担当のK野さんが、それにダメを出す。もっと、主催者サイドにカラサワのプロデュースであるということを売り込めという。単に場所を貸すのではなく、その場所から新たな文化を発信していく、という企画の性格を明確に出して欲しいという。何か、昼の打ち合わせがデジャブしてきた。私の商品価値、そもいかほどのものか?

じゃアこうであアで、という提案、どれもいいですねと言われる。さらに、10月からの私の立ち位置も今回の売り込みには非常に好都合と喜ばれる。これは天の利か。具体的な日取りのことなども話すが、そういう細かいことより、今後につなげて、これまでの私の仕事の集大成的なものになるプロデュース企画を向こうは求めているらしい。
ちょっと燃え、かつ緊張する。

ふむ、と、また別に考える。昔芸能プロダクションをやっていたときから、単なるマネージメント業務事務所では面白みがない、やはりプロデュースをやっていかなくては、と思っていた。どんなに人気あるタレントを擁していても、所詮、来た仕事を受けるだけ、ではマネージメント事務所に過ぎない。人気タレントなんてものは浮き草稼業でいつポシャるかわからない。自分でそのタレントの売り込み方、企画内容を立て、その企画自体を商品としてプレゼンしないと、本当の意味で芸能業界で地歩を築くことは出来ない。プロデュースとはそういうことだ。
この業界ばかりではない、どの業界であっても、残っていくには自己プロデュースが何より大事なのだ。馬鹿はこのプロデュースとマネージメントの区別がつかず、向こうからおいしい仕事が降ってくることの方を(面倒くさくないから)喜ぶ。もっとひどいのになると、プロデュース作業を干渉ととって“恩を売ろうとしている”などととる田舎者タレントがいる。話にならない。いや、それで売れかけてシャったり、あたら才能があるのに売れなかったりという連中はいくらも見ている。で、彼らは一様に売れなくなってから捨てぜりふを吐く。
「運が悪かった」
と。運ではない、私に言わせれば“頭が悪かった”のである。

しかし、とも思う。プロデュースには大変な勉強と努力と、もひとつ才能が必要である。売れることを天にまかせたがる連中が多いのはそのせいだ。待っているだけだったら、売れなかったのは“運(天)が悪い”。しかし、自己プロデュースして売れないのは、自分に能力がなかったことの証明になる。それが怖い人間は、プロデュースを嫌うのである。今日の打ち合わせ二つ、どちらも先様が私のその能力を過大評価して大きく期待している。過大評価を過大でなくするためのテクニックがあればなあ、と苦笑する。しかし、
「プロデューサーはウソつきでないとやっていけない」
という名言もある。とにかく、どこまでやれるか、やってみよう。

事務所に帰り、オノにその話をすると、その場で電話。広済堂出版のIくん。半年くらい前に出していた出版企画が通って、来週あたり打ち合わせを、ということ(連載をまとめたもの)。ふうむ、と思う。本日は大きな打ち合わせ二件、いずれもかなりまとまる方向で大きく前進し、
「今日は有卦に入っているな」
と自分でも思っていたのだが、そのオマケ、というか、画竜点睛というか、最後にこういうカタチで本業の企画にGOサインが出た。イキオイづく、とはこういうことであるらしい。

企画打ち合わせというのは陰陽で言えば陽の仕事である。あとはひたすら陰である原稿書きの仕事。談笑本の解説5枚を苦労して(なにしろ談志、談笑と、クレバーすぎる演者がもう芸について語ってしまっており、それとカブらず、独自色を出さねばならぬ)書き上げるアップしたのが9時半。一旦自宅に帰る。

自宅で今度は講談社モウラ原稿11枚。2時間余で書き上げ、完成が12時キッカリ。1時間5枚強というのはなかなか。やはり前に一本、これは苦闘したが書き上げてペンに調子がついていたのだろう。

家に食い物がないので通りの旭川ラーメンの店で味噌ラーメンとビール。それから岡本喜八『ああ爆弾』をDVDで見ながらホッピー。明日が早いので途中までにしたが、日本映画界屈指の奇作。この作品に初めて池袋文芸座地下で出会ったときの驚愕と狂喜はいまでも記憶に新しい。しかし、演出もさることばがらこの作品を成立させてしまう伊藤雄之助のキャラクターは凄いものがある。あと、十代だった桜井浩子さん、可愛いなあ。2時、K子と仕事の話などしながら就寝。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa