裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

28日

月曜日

カバラ焼肉のたれ

おいしさの秘密は神秘術です。

朝7時半起床、掃除したらゲホゲホ出ず! やはりK子の言うとおりハウスダストが原因だったのだろうか。それとも、単に治った時期と掃除の時期が合致しただけか。舌で患部のあたりをさぐると、まだうっすらと腫れが残っている。

入浴等済ませ、9時母の室で朝食。スープ、スイカ、巨峰2粒。『特ダネ!』で談笑さん、今日は浴衣姿。母に言わせると彼の声は体のデカい人特有の声だ、と。

ガス・エポック編プロから電話、談笑さんにメール、その他連絡いくつか。オノから、札幌講演に関して。昼は弁当、タラコと漬物。黒豆納豆も足して。

ミリオン猟奇マンガ本原作のネタ構成。自宅のプリンターが調子悪い(インク切れらしい)ので仕事場でプリントアウトすることにして出かける。オノは今日は体調不良で休み。

3時、時間割。考えてみれば時間割は久しぶり。ミリオンYくんとK子と。K子、会計学の本を出せとYくんにせっついている。ミリオンじゃ無理だろうと思うが。ページ数、スケジュールなど確認。

終って一旦事務所に帰って資料等を置き、とって帰して(本当にとって帰して)また時間割。アスペクトK田くん、村崎百郎さんと『社会派くん』対談。いったん来るとなると時間割、かぶさる。ジョンベネ殺害妄想犯(このときはまだ予想でそう言っていたのだが、後でやはりDNAが不一致と調査結果が出た)から甲子園のハンカチ王子まで。
あと坂東眞砂子。小猫を殺すことについて、自分で言っている理屈が微妙にこわれ始めていて、それに自分が気づいていないあたり、静かに狂気の世界に足を踏み入れ始めている。自分のホラー小説を何か地でいっているような感じがして、実に怖くて面白い。

事務所に帰り仕事続ける。キモノファクトリーさんが、いつぞや談笑の会の打ち上げで注文した、目玉柄のシャツを持ってきてくれる。お値段も格安(写真は後でオノに撮影させてアップする)。

買い物して帰宅。半身浴して汗をかきつつ、佐々木守『ネオンサインと月光仮面』読む。『月光仮面』を生み出し、銀座にネオンサインを輝かせ、街頭テレビを考案した宣弘社の小林利雄の評伝だが、書いたのが脚本家の佐々木守だけに、本の中に『月光仮面』や『豹の眼』、『快傑ハリマオ』の脚本が入っている。脚本では天才であった佐々木氏も評伝本は得意でなかったようで、『豹の眼』のテレビ用の原作改変で主人公がインカ王国の血筋からジンギスカンの血筋に変更され、しかも主人公の杜夫が変装する白装束の忍者スタイルのヒーローが源氏の“竹に雀”の紋所を額につけていることから小谷部全一郎の『成吉思汗ハ源義経也』の話になって、小林利雄を置いてきぼりにして長々語ったりしている。

里芋とタコの煮物を作る。ネギを一緒に煮ると甘味が出ておいしい。
これとあのつくんの枝豆で日本酒。あとホッピー。談笑原稿チェックしつつ、DVDで『日本のいちばん長い日』の、水谷一生近衛師団参謀長(若宮忠三郎・演)の出演シーンを見る。若宮忠三郎は後に大祐と改名して、トリスのCMで“どうしてくれるんだよ!”という流行語を生んだ老優。この一言で『怪獣大奮戦・ダイゴロウ対ゴリアス』にカメオ出演しているし、晩年までちょいちょいテレビに顔を出し、
山城新伍の『笑アップ! 歌謡大作戦』の額縁に入った初代校長先生の写真の役をやっていた。

そんなコメディ畑の俳優が演じていた水谷参謀長は当然のことながら気の弱いピエロとして描かれており、ネットで調べるとhttp://kyuujoujiken.hp.infoseek.co.jp/shuyou-kankeisha-mizutani_kazuo.htm
などで、映画で描かれたシーンとほぼ、同様のことが史実の記録として残っていて、“小物”扱いで、小物らしく、日本の歴史に残る一日に小さい役を演じた後は、戦後をどう過ごしたのか、遺族の有無や没年も不明という、現代史の中の人とは思えぬフェイド・アウトぶりを記されている。

なぜこんな人物の登場シーンを見返したかというと、先日、何気なくネットを散策していたら、その水谷参謀長の子孫の作っているサイトを見つけてしまった(正確には息子さんの奥さんで、女流作家さんらしい)ためである。そして、その息子さんというのがなんと、浜田省吾のサウンド・プロデューサーを務めている水谷公生氏であった。公生の生は一生の生であったか。
http://blog.livedoor.jp/shunran55/archives/29652801.html

そのサイトの日記に書かれた証言によると、水谷参謀長は映画で描かれているような喜劇的人物ではなく(夫人はこの映画を観にいって、“お父さんはあんなぶさいくじゃなかったわ”と怒って帰ってきたという)気は小さかったが男前であり、かつ、反乱軍にも声を荒げず“まあまあ”と肩を叩いて話すような人物であり、それ故に森師団長のように殺されもせず、自分で事を解決しようとしないですぐ東部軍に報告・相談に行き、その結果、東部軍司令の田中大将が乗り出して反乱軍は鎮圧された(田中大将は、報告後に興奮のあまり倒れてしまった水谷参謀長を“このうろたえものが”と怒鳴りつけたらしいが、そのうろたえものの報告のおかげで反乱軍は鎮圧されたのである)。水谷近衛師団参謀長は、息子の妻のサイトによると、終戦の4年後、東京裁判の連日の取り調べに体を壊し、亡くなっている
そうである。なにか、自分にとってはネットの散策で太平洋戦史の空白が埋まった、という感じの発見だった。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa