裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

17日

水曜日

クランク・アップ! ってもう? の記

朝6時起床、台本など読み返したり日記つけたりしていたら7時半。
2階レストランで朝食、同じくご飯2杯と納豆4パック。つくづくうまい。どこのメーカーか、パックに表示がないのでたぶんこういうホテルなどに卸している業者なんだろうが、関西でこんなうまい納豆に出会えるとは思わなかった。
8時半撮影所入り。
9時開始、スタジオセットで開田あやさんの妊婦姿から。猫の魂が妊婦のお光の体内に入り込むシーンを撮る。怪談映画撮りなれている江原さんならではの画面設計と絶妙のライティング。このライティングで、昨日の近代的仕事場という話に通じる、再びの感動的(私にとっての)エピソードがあった。
昨日の新人二人、今日も現場で一生懸命やっていたが、江原さんが現場入りした時点で、二人とも自分がいまかかっている作業に一生懸命で挨拶をつい、していなかった。すぐ、T浦さんの注意が入る。
「おい、おまえらなんで江原さんに挨拶せんのや!」
と、まあ、これも普通の語調よりちょっと強い程度の叱責なのだが、それに続く言葉に膝を叩いた。
「挨拶ちゅうのはな、“自分がここにいてスタンバっとる”ちゅうサインなんやで。指示出す人間に自分の存在を認識してもらわんと、向こうが用を言いつけることも出来へんやろ。せっかく現場に入っていることが無駄になってしまうんや。能率が悪いやないか」
先輩に対する礼儀だの上下の格式だのといった精神的問題ではなく、“仕事上の能率を上げる”現実的手続きとして挨拶は必要。これは目からウロコの指摘であった。
そう、ここ(撮影現場)では、全てが“作業の能率を上げる”ことを最優先に機能している。
昨日のクランク・イン前にTさんから俳優さんたちにあった指示。
「我慢をしないでください」
かつらが痛い、トイレに行きたい、無理な姿勢での演技を強いられている、これら全てに対し、
「我慢して頑張られて怪我をされたり倒れられたりしてはこちら(スタッフ)が困ります」
無理な頑張りは決してグループ作業においては褒められたことではない。さらに言えば撮影現場では“走らない”がディフォルトになっている。着慣れない時代物衣装を着て暗いスタジオ内で走られて、転んで怪我は言うまでもなく衣装を汚しでもされたら、それだけで大きなロスになってしまう。
オタク二枚目俳優で知られるKがロケ先でいいとこを見せようと張り切り過ぎて、落ちなくていい水に落ち、衣装を洗濯して乾かすまで、その日の撮影がパーになったエピソードなどを聞かされる。全ては能率、に通じるのだ。
もちろん、頑張らずにだらだらやっているわけではない。あえて“がんばるぞー!”と張り切らなくても、プロの仕事は常に緊張を保ってはじまる。最初からテンションの基準値が高い。だから、必要なのはむしろ、過度の緊張からくるミスを避けるための、リラックスなのだ。
それゆえにここの仕事場は常に冗談と笑いで包まれている。
これぞプロ仕事。
怒鳴ってカツを入れたりがんばるぞと声にしなければテンションが上がらない仕事場にいることを恥じねばならないのである。続いて赤ん坊抱いての狂乱シーン。
昨日よりははるかに慣れてなじんでいる感じ。
続いて母親のお粂と産婆さんのベテランさんで火事を撮る。
産婆さんの山村嵯都子さんは市川雷蔵の付き人であり、大映『妖怪百物語』で火吹き婆役をやった大ベテラン。顔だけで江戸時代の老婆がつとまる希有な人材。飯田さんの驚愕シーンでちょっと気絶の演技なかなかつかず、手間取るが、火を使ったシーンを撮ると、
「映画を撮ってるんだ!」
という気分になってくる。
当たり前かもしれないが熱い。
最後にあやさんの狂女が火に包まれるシーン、プロパン台を二つ入れ、前後に炎があがり、最後に棒切れに黒い布を巻いて火をつけ、カメラの前で上から落とす。これで燃えた梁が落ちたように見える。ここまで撮ってくれるのは台本書いた者として感涙ものだが、頭の片隅にオイ、この予算で大丈夫かという心配すら浮かぶ。ン百万の制作費の作品で二つもセット組むというのすら驚きだったのだ。
火を使う撮影は現場も非常に燃える(シャレではない)。
江原カメラマン曰く
「火と血糊は興奮させるね、人を。工藤(栄一)さんなんか、血糊撮影の日は自分で血糊撒きのスプレー持って、絶対はなさなかったよ」
と。
消火班揃って緊張の中、一発OK、終わってあやさんアガリ。山村さん、飯田さんと記念写真。飯田さん、
「嬉しいわあ、テレビの先生と写真撮れて」
と。映画の人がそういうこと言ってはいけない。プロパンを片付けていたT浦さんが
「ひゃあ、ゴム管が(火力いっぱいに上げ過ぎて)溶けとるわ」
と笑っていた。
次の撮影までスタッフルームで打ち合わせしていたらおぐりがメイクの出来チェックに来る。昨日よりはるかに出来がいいのに山田さん共々驚く。
カッチーが昨日の反省をもとに改良してくれたのだろう。これを見て山田さんと、
台本にはないけれど猫娘の表情アップ何パターンか撮っておこう、と話し、江原さんに伝えてもらう。スタジオセット、お時の家。
猫娘が生魚をむしゃむしゃと食べるシーン。実際におぐりに生魚にかぶりついてもらう。次に田吾作たちが制止するお時を振り切ってはしごをかけ、屋根裏に昇るシーン。田吾作役の都さんの顔のいいこと。
お時のりこちゃんは山田さんの言う
“小村しゃべり”で、
声ちゃんみたいな“オヤメクダサァイ、ナニモアリマセェン”
になってしまう。まあ、これは愛嬌。
彼女を制止する二人の百姓の台詞、少しつける。
「まあまあ、お時ちゃん」
というのを
「まあまあ、お時坊」
に直したり。
あと、猫娘が駕篭の前棒をよいしょ、とかつぎあげるシーン。
撮影楽しく順調だが、ここで急に眠気に襲われる。今朝はさまで早起きでもないし、どうしたかと思ったら外で通り雨あった模様。
ロケの時でなくてよかった。
あやさん、橋沢さんから差し入れあり。いただく。Tさんからはモモ。
再び猫娘入ってもらい、屋根裏からフ−ッと顔をつきだすところ。
お時に抱かれてほおずりするところなど撮る。
さらに表情いくつか。
どんどんと台本に撮影済ミの赤印が増えていく。
楽しいが寂しい。
確かに映画は魔物で、ずーっとこのまま永遠に
撮っていたくなる。
それを現実に引き戻すのはときおり携帯に入る、アサ芸、週プレなどの編集諸氏のあせりの入った声。
エースデュースのみなさんはそこらで別の打ち合わせに撮影所を離れる。
こっちは夕暮れ待ち。
廊下で山田さんと雑談。
「書き下ろし小説、書いたら出すと出版社に言われているんだけど、ダメですね、〆切の設定されていない仕事というのはどうしても書けない」
と山田さん言う。
「それは私も同じことですよ。いや、人生全般においてそうだな。今、私がやたらいろいろ仕事をこなして、人に驚かれているのも、47歳になって、人生の〆切が近付いてきているって感覚があるからなんです。〆切ってのはまだ先と思っていてもすぐ、来ちゃうんですよね」
「〆切感覚は持つべきですよね」
「待つべきときに待てない人間はダメだけど、あせるべきときにあせらない人間もダメでしょう。せっかく神様が“老いの自覚”という、〆切間近を知らせるシグナルを出してくれているのに」
……思えば自分に残された時間が(やりたいことの量に比して)あまりにも少ないという自覚があるがゆえに、私は能率ばなしにあれだけ感動するのかもしれない。
オープンに出て、街道の駕篭かきとお玉のやりとりのシーン。
これは打ち合わせの際、
「たぶん押せ押せになって撮影する時間がなくなるかも
知れないけれど、一応準備だけしておきましょう」
とTさんと話していたシーン。
それが、まだ暗くなってないから、という理由で時間待ちをしている。
いかに撮影が順調に進んだか、という証拠。
それにお玉が生まれたときの赤ん坊の顔、を撮れば完全クランクアップである。
芸者姿になったりこちゃん、おぐり、カッチーなどとディレクターズ・チェアに座ったまま雑談。
おぐり昨日とは別人のように現場に溶け込んでいる。Tさんが、時千代の死体が転がる毛布に寝転がっているのを見つけ
「セクシー・ショットです!」
と叫び、メイキングのカメラがそっちに向くとTさん大慌て。あれだけ役者に演技つけられる人が、カメラのレンズのこっち側にくるととたんに落ち着かなくなるのがおもしろい。またおぐり、何か言われると猫の顔のまま
「いやー!」
と照れるという芸(?)でみんなに大ウケ。カッチーがそれを見てケラケラ笑っている。周囲の山はやっとほのかに暮色を増していき、空にはトンビが舞って、のどかな夏の夕べ。
「そろそろビールが飲みたくなる時間だ」
とつぶやく。
今の時期、京都はクソ暑いよといろんな人におどすように言われたが、なにしろ東京のヒートアイランドの中心たる渋谷に仕事場をかまえている人間である。
京都市内なら知らず、太秦のこの近くはさわやかな夏と言っていいほどである。
スタッフのみんなも非常にリラックス。
カメラ助手さん、実は宮崎駿オタクだそうで、『アニメ夜話』のカリオストロの回のことについていろいろ訊いてくる。
6時半、やっと薄暗くなったところで、街道で猫娘が駕篭屋に声をかけるシーン。
駕篭かき二人の顔と台詞でベストを撮りたく、
テスト2回、本番3テイク。
この取り直しは余裕の取り直し。
それから二十分で猫娘のメイクを赤ちゃんメイクに直す。
おぐり
「若返ってきます!」
と。
やがてアイラインを落とし、完全白塗りに近くしたメイクであらわれる。
それを産着にくるんでアップで撮る。
大きい産着を用意して、実際に映ったものを小さく見せるという、『MIB』方式である。カッチーが
「時間があればダミーの大きい腕(あやさんの)作ったんですけどねえ」
とくやしそう。
赤ちゃんメイクの猫はかなりかわいい。
おぐりに、とにかく可愛く笑って、と指示して、テスト1回、本番で2テイク。
歯が笑ったとき見えたためだが、2テイク目の笑いが、歯は見えたが大変に可愛かったのでOKを出す。
これでオーラス!
スタッフからの拍手を受けて頭を下げる。
なんと順調に進んだことよ。
天気にめぐまれ、役者にめぐまれ、スタッフにめぐまれた。
ビギナ−ズ・ラックということはあるだろうが
最初に山田監督、江原さん、Tさんと、台本もとに徹底した段取り組みをしたのがよかったのだろう。段取りは能率につながり、結果、人生の残り時間で自分が出来ることの幅が広がるのである。
8時、スタッフ全員で打ち上げ、もと喫茶店の打ち合わせ室で。
撮影済んだあと、京都の新撰組ゆかりの地観光していた橋沢さん(新撰組マニアなのだそうである)も合流、監督として挨拶、とにかく事故がなく、トラブルがなかったのはIさんのお勧めで最初にお参りをしたからでありましょう、感謝します、あと200カットくらい撮りたいがそれはまた次回作で、と。
江原さんといろいろ雑談。おぐりの根性をほめてくれていた。
「一日中メイクしっぱなしはベテランの役者さんでもつらいからね」
と。あと、いろんな映画人のいろんなエピソード。
井上梅次監督が、撮影所の冷蔵庫の中にプッチンプリンを大切にしまっていた(マル梅、という記しまでマジックで書いて)いたのを斎藤清六が食べてしまい、
「ボクのプリン食べたの誰だーっ」
と大怒られした話に爆笑。
「あの監督、香港映画なんかも撮って映画界でも有数の大金持ちで、別荘もいくつも持ってるという人なのになあ」
などと。
工藤栄一監督は“水たまり”好きで、現場に必ずゴム長とスコップ持ってやってきて、自分で穴掘っては水たまりをつくって、それをリアリズムとしていた、という話なども勉強になる。
いろいろ文句言ってきた結髪の太めのお姉ちゃんが、
「きついこといろいろ言って、すいませんでした。でも、それぞれの部署の人間が言うことをきちんと言わないと現場というのは成り立たないので……」
と挨拶してきてくれたのも感動。
「言っていただいて本当に勉強になったし、助かりました。次回もぜひよろしく!」
と握手。
あと、新人くん(まだ名前を現場スタッフに覚えてもらえず、“あ”と“い”であーくん、いーくんと呼ばれていた)が挨拶に来たので、
「最初がこういう現場というのは勉強になったけど大変だったと思います。次に私がまたここで撮るときにも、やめずに必ずいてくださいね」
と言ったら、聞いていたTさんが
「あかん、私の言おうとしてたこと、みんな監督に言われてもうた」
と笑う。
みんなよく食べ、よく笑いよく飲み、よくタバコを吸う。喫煙率が今日びこれだけ高いというところも他にそんなにないのではないか。
そもそも撮影所は引火物も多く、本来現場は絶対禁煙のはずなのに、誰もそんなことおかまいなし。灰皿代わりの赤バケツが必需品である。
「火事になりませんか」
「あ、この撮影所、すでに三回、全焼してます」
ダメじゃん(笑)。
あれだけ能率を重んじる撮影所にしてタバコだけは禁じられない。不思議なもの。
橋沢さんはりこちゃん、カッチーなど美女に囲まれ大ごきげん。おぐりは、Tさんに話しかけようとして度胸がつかず、缶ビールをやたらあおって、やっと近付いていって挨拶。何やら演技についてなのか女優というものについてなのか、長く話し込んでレクチャー受けていた。
ベテランのスタッフからものを吸収しようという意欲やよし。
そこらで〆の乾杯。
おぐりの顔が一瞬、くしゃっと崩れて泣き顔になり、すぐまたもとの笑顔に戻っていた。
ほぼ全員のスタッフに挨拶。
四日間の怒濤の撮影もついに終わる。
山田さんに、陣中見舞いのお返しに冠太にちょっと顔を出そう、とお願いし、ローバーで橋沢、おぐり連れて冠太へ。
例のメガネ屋の若旦那待っていた。
「お盆で何もありまへんのやけど」
と、汲み上げ湯葉、鯛の酒蒸し、マグロかまの焼き物、それからぐじ飯を。
おぐり、鯛の頭から出た“鯛の鯛”に感心。大将が
「それ、持ったはりますとお金貯まりますえ。せやし、しっぽのところ折ったりしたらあきまへんで」と言うので、注意して、ちょっとまだついていた身をしゃぶっていたら、しっぽどころかまん中でペキン、と折れてしまった。
そのときおぐりの“どひー”という表情。
吾郷くんはちょうど帰省中とかでいなかったが、彼女にお酒を持たせて駆け付けさせていた。
酒の上にさらに酒、それに撮影済んだという開放感、もう何がなんだかわからなくなり、橋沢さんがカッチーに電話かけて、
「ボクね、まだ××なんだけど」
などと何度も。
おぐりは大将の娘(中学一年)と何かゲームの話で盛り上がり。
大将もかなり酒が入ってわけわかんなくなっており、
「うっとこによく来やはる暴力団の組長さんおんねん。唐沢さんに御紹介しますわ」
と言い出す。困ったことになったな、と思ったが、勝手にどんどん大将、電話をかけて
「あ、○○はんでっか。太秦の冠太いいまっけどな、親分いてはりまっか。いえ、冠太ですがな。いっつも来てくれはってた……はあ、ああ、……あ、いま刑務所入ってはりまんの? あ、そうでっか」
に内心おかしいやら、ホッとするやら。
12時近く、支払いすませ全員べロのまま、ホテルへ。山田さんが飲めない人で本当に助かる。
橋沢さんの宿ももう一晩延長ということにして、ベッドに潜り込み、本日の撮影、顧みる間もなく就寝。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa