裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

17日

日曜日

ガガーリンは外国人

 まあ、そうですね。朝7時半起床、入浴。原稿書けずというか書く気起こらずテンション上がらず。どうしたわけか。フォーク歌手高田渡死去。56歳。代表曲『自衛隊に入ろう』は69年の曲だが、私的には78年頃、大学入って上京してからこういうプロテスト・フォークにハマり、毎日酒を飲んでは歌っていた。やはりフォークには四畳半の下宿が似合うような気がする。自衛隊がこの曲を聴いて本当に自衛隊入隊を勧める歌だと思い、PRソングのオファーをかけてきたというのは何物にも代え難いこの曲に対する勲章であり、自衛隊の馬鹿さかげんを宣伝する格好の事件だったろ う。まったく、何を考えていたのか。

 朝食食べて弁当(ご飯に親戚からもらったツケモノ添えただけのもの)持って通勤する。たまにはセイのつくものでも食わないとダメか、と小田急でウナギ買ってオカ ズにする。結局腹がくちくなっただけでしばらく寝てしまう。

 鶴岡から電話、かなりこいつもイラついている。気圧か、季節の変わり目か、宇宙線の影響か。気持ちはわかるが、この男というのは完全なサーファー型の人間で、波が来ればいくらでもノれるのだが、波がないときには手も足も出ない。しかも、小さな波を乗り継いで大きい波に移っていく、という芸当もしない。ひたすら、ビッグ・ ウェイブ待ちというのがつらいところだ。

 ミクシィ内を逍遙。中野貴雄さんのところはやはり面白い。中野監督と言えば、先 日、小松川の稽古場からの帰り道にうわの空の小林三十朗さんから
「カラサワ先生、中野貴雄さんとお知り合いなんですって?」
 と訊かれた。
「そうですけど、またなんで?」
「あの人、オレの結婚式の司会やってくれたんですよ」
 ちょっと驚いた。うわの空の役者さんと、オタクの権化の中野監督との接点が全然わからなかったのだ。もっとも、小林さんの結婚したのはまだうわの空に入る前。
「いえ、仲人のひし美ゆり子さんの紹介で」
 るえーっ、と驚く。
「いや、あの人の旦那さんとの縁でね。あの人の旦那さん、中華料理屋やっていて」
「知ってますよ。その店でひし美さんと対談しましたよ!」
 つくづく世の中ってせまいなあ、と感嘆。

 電話一本、ちょっと気にかかっていた問題が解決、それで気分はよくなるが、仕事するまでには至らず。5時、西荻窪に行き、関口誠人さんと落ち合い、ルノワールで打ち合わせ。今日のライブのことでなく、この後の出版やなんかの企画のこと。ライ ブそのものはもう、ブッツケで完全にOKなのである。

 6時、ビンスパーク入り。『千摺考』を朗読。関口さんがうまく合わせてくれてまず、カタチにはなる。客が喜んでいたかどうかはよくわからず。Iさんが来ていたので、関口さんと三人で出て、近くの大衆居酒屋。学生時代によくあった、いかにも大衆居酒屋という店。Iさんは昔レコード会社でアイドル担当だったので関口さんとも話があう。CCB再結成の話も聞くが、いろいろ複雑な事情がカラミあって、ちょっ と足踏みしているらしい。

「金って、一旦入ると一生入り続けるものと思っちゃいますからねえ」
 と関口さん言うが、歌手のレコード印税というのは安すぎる、という話も。実際、今の価値から言えばその倍くらいなのだろうが、CCB全盛期の収入を聞いても、あ れそのくらいか、という程度であった。

 頼まれる件あり、頼む件あり。いろいろと話し、10時ころ中央線。中野で降りるが、帰って仕事はしたくなく、Iさんも“も少し飲もう”オーラを出していたので、近くの中華で飲み足し。そんなに飲みはしなかったが、体調のせいで(Iさんも昨日 今日は最悪だった由)お互い酒がヘンに回る。うわの空ばなしになるが、
「おぐりは凄い、島さんはうまい」
 という内容を二人で二十回くらいループしていたような気がする。12時、帰宅。 デロレンとなって寝る

Copyright 2006 Shunichi Karasawa