裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

8日

金曜日

強いぞカミラ、強いぞカミラ、強いぞカーミーラー

 アンチ報道くるなら来い、不倫ジェットで体当たり。私にロリっ気はないはずなのだが、ちょっとロリな夢を見て、ニヤニヤ。7時半起床。ゆうべは鼻炎薬のむのを忘れて、そのせいで5時ころ、猛烈なクシャミと鼻水。しかし6時になったら不思議に スカッと鼻も通った。

 入浴、朝食。昼食はこのごろオニギリでなく、その一個分をパックに入れて持っていく。漫画家・岡田史子死去の報。萩尾望都をして天才と言わしめていた人だが、天才には二通りあって、時代を超越する天才と、その時代を代表する天才とがあり、岡田史子は後者の天才であった。この人を本当に評価できるのは、60年代末から70年代初期の、『COM』という雑誌と青春を共にした世代だけ、と言っていいだろう(だから私ですら、極めて近いしかなり後追いで追いかけたとはいえちょっと時代が ズレる)。

『ガロ』のつりたくにこ(奇しくも彼女も早逝した)をライバルとして、それまでマンガが描き得なかった青春の陰鬱さを体現した(筆で描き出したのではなく、まさにそれは“存在で表現”したのである)作家の一人であり、それ以降もすぐれた作品を断続的に描き続けていたとはいえ、彼女自身が青春を体現できる年齢でなくなった時点で、彼女の時代は終わった。終わったということは決して消滅したということではなく、永久に、日本における60年代末から70年代初期という時代のメルクマール としてそこに刻印されたということだ。

 マンガをノスタルジーで語るということを否定する向きもあるが、青春というものが失われていく宿命を持つものであり、その世代の青年たちの声の最もダイレクトな表現と記録の手段としてマンガという存在がある限り、マンガが失われた青春を語るツールとして機能することは当然で、そういう作品、及び作者は、読者の青春と共に失われていくことが役割ですらあるのではないか、と思える。そういう作家の代表的な(そして彼女の時代の特殊性を考えるとき、もう二度と出現することはないのでは ないかと思える)タイプの人だった。

 ……ところで私が推する彼女の最高傑作が『死んでしまった手首』。右手首が死んだか、とギョッとした朝を体験した(7日記述参照)日の翌日に岡田史子の死を聞く とは……。

 9時半、出勤。最近出勤が10時過ぎなのは地下鉄が混むのが嫌だからだが、9時半でもかなり混んでいる。仕事場、小学館の水木しげる解説が放っぽってあるので、これを片づけねばと思ったがデータを自宅のパソコンの中に忘れてきてしまった。一 からやりなおす。

 昼食の時間なく、カシワモチ2ヶ食ったきり。鶴岡から電話、真面目に仕事の話など。3時、東武ホテルロビーで『東京ウォーカー』編プロのY氏を拾い、時間割でイ ンタビュー受ける。神保町の過去・現在・これからについて。

 インタビュアーのY氏、手にアサヒ芸能を持っていて、
「このイラストのツチダマミさんて、“うわの空・藤志郎一座”の人ですよね? ボク、知ってます」
 と言う。えー、何でですかと訊いたら、以前夕刊フジでさまざまなホームページ制作者にインタビューする連載のうちの一回で、ツチダマさんにインタビューしたことがあるとか。世間って狭いなあ、と思っていたらさらに、彼は『まんスポ』で中山ラ マダさんがチーム作っていたときに選手として借り出されていて、
「みずしな孝之さんが一回だけ助っ人に来てくれたときも覚えてます」
 とのこと。

 さらに言えば彼は高校野球ファンで、熱中するあまり、過去の出場校200校の校歌はソラで歌えるという“校歌オタク”になって、ラジオなどの出演経験も豊富だという。大林宣彦作詞の校歌のヘンテコさなど、ネタをいろいろ持っているとのことで あり、ぜひ今計画している某企画に協力を、と要請。人のつながりは面白い。

 5時、やっと小学館文庫解説原稿アップ。ノドに刺さったトゲが抜けた気分。遅い 弁当食べて、あと部屋整理の雑用などする。詰まりに詰まっていた原稿を一本書き上 げ、さて、と気分転換に部屋の映画ポスターのパネルなどを少し模様替え。隅にあった岡本喜八監督の『殺人狂時代』のポスターが、パネルとポスターの大きさが合わな いので取り替えようとパネルから外したら……あれ? 二枚、同じものが重なっている! 確かこれ、三、四年前のデパート古書展で買ったものであった。一万二、三千円円くらいだったか。もちろん、一枚の値段。どうして出展した店も二枚重ねだと気づかず、デパートの店員も包装するとき気づかず、私も家に帰ってこのパネルに入れたとき気づかず、ずっと飾りっぱなしにしていて、今になってこんなことを発見するのか。なにか、こないだ無くなった監督から思いがけないプレゼントをされたみたいで妙にうれしくなってしまった。とはいえ、同じポスターを二枚飾っておくわけにもいかないし。とりあえず、もうしばらくは重ねたまま パネルに保存しておこう。

 7時、家を出て青山。ラス・チカスという、青山らしいオシャレな店の、二階にあるこれまたオシャレな『東京サロン』という店。井上デザインの皆さんと会食。この店は井上くんの指定だが、入ると店員がみな外人ぽい、暗くてムーディな、ベランダ席が開け放されて満開の桜が近くで見られるというお店。テーブルはもちろん低く、ソファはゆったりで、つまり食事に向いていない。K子の最も嫌うタイプの店。まだ 彼女は来ていなかったので井上くんに
「この店、アブナくない?」
 と訊くと、
「ちょっとハラハラしています」
 とのこと。

 ところで今日の井上くんはネクタイにスーツ姿。
「営業?」
 と訊いたら岡田史子さんの葬儀に参列していたとか。入浴中に心不全を起こし、子供が翌日、発見したらしい。不謹慎なギャグを飛ばす。

 やがてK子来るが、食事のメニューが案の定オツマミくらいしかない。しかも、クラッカーとチーズの盛り合わせが1700円! 下のラス・チカスからメニューが取り寄せられるようなので、それを見ると、ピザとかフライドチキンくらいのもの。とりあえずフィッシュアンドチップスとピザ、フライドチキンを頼む。チキン以外が来 て、口にするが、ひどくまずい。K子の毒舌が冴え渡り始める。

 フライドチキンは注文が通ってなかった。それを幸い、急いで出る。こないだイメージフォーラムの後で行った店に行こう、としばし歩くが、金曜のことで満席。近くの居酒屋が客引きをしていたので、それに乗って入る。各種焼酎と馬刺、おでんなどの店。まあまあ、と言った味だが特筆するほどのものはなし。さっきの店の失点をカ バーすることは出来ず。
「蕎麦食って帰ろう」
 とそこも出るが、すでに蕎麦屋は閉まっていた。
「じゃあ、あそこのつけ麺屋で」
 と、近くのカウンターの店に入るが、この店がまたK子を怒らせようと仕組んだかのような店で、発券装置が
「ねえ、壊れているわよ! 全然券が出ないじゃない!」
 と彼女が店員に文句つけた頃、ようやくがちゃんと出てくるようなスローなもの、おまけに小さいのでしょっちゅう釣り銭切れ、店長に中国人の店員が
「キチント言ッテクレナイト、私、ナニスルカ全然ワカンナイヨ!」
 と文句言っていて険悪な雰囲気、で、とどめに出てきたつけ麺が絶大に不味い。井上くんが
「いやー、ここまで首尾一貫してダメって日もあるんですねえ」
 と顔を引きつらせながら言っていた。

 途中で携帯に植木不等式さんから電話、岡田史子さんの葬儀に関して連絡先を知りたいということだったが私も井上くんもわからず。帰宅し、今日は鼻炎薬きちんとの み、スケマネ六花さんに誕生日おめでとうのメール入れて寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa