裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

16日

金曜日

アーカシックって涙が出そう

 だって、私の恥ずかしいこととかも、全部記録されているんでしょ? 朝、親父と居酒屋で飲む夢。いままで見た夢の中でで一番いい顔の親父であった。7時半起き。ソバ粉焼きで朝食。ちくま文庫の新刊『トンデモ一行知識の逆襲』五○冊、書店用にサインして荷造りする。ちょっと五○冊のサインは一仕事という感じ。メールチェック、と学会MLで、アポロ月着陸疑惑の話題から派生して『博士の異常な愛情』ネタで盛り上がっており、あの作品大リスペクトな私も参加したいが、未提出原稿山積の現状では深入りしてはアブない。パス。あと、編集T氏から、扶桑社の本の打ち合わせの件。植木不等式氏、立川談之助氏と一緒とのことなので、こっちはいつでもいい ですが、×日なら空いてます、と伝える。

 母から電話、今日の昼の予定が空いてしまったというので、船山で朝食ということ にする。K子に伝えると、ヨシ、という顔をするが、その後で私に、
「ねえ、実は……」
 と、ある計画をうち明けられる。聞いて仰天、というわけではない。昨日の彼女の表情から、だいたいそういうことを考えているな、ということは察していた。

 要するに、母の買う部屋の隣が空いており、この二軒は、マンションの二部屋とはいっても、他の部屋群とはちょっと離れた、入り口前をほとんど他の住人が通らない作りの、ほとんど別の一画という感じで独立している。この隣をわれわれの住居用に買ってしまわないか、ということである。扉と扉は向かい合っており、向かい合わせで鍵をあければお尻がぶつかるほど。親と住まうにはまず、理想の環境と言えるであ ろう。もちろん、母の方は即金だったが、われわれはローンである。
「あそこの場所や環境には文句ない。だけど、ここの仕事場は蔵書の関係もあり、当分は手放せないと思うけど?」
「大丈夫、ここは保持したまま、住居だけを移すの。そうすれば、寝室や居間にも本が置けるし、整理も出来るでしょ」
「だけど、ここの賃貸料を支払いながら、例えローンとはいえ、ちゃんと支払ってい けるのかい?」
「それについては」
 と説明を受けて、こっちの方には仰天する。わが家の金に関して、私は全く無知であった。もちろん、母の助力もあおぐ(ゆうべ合意をとりつけてあった)のだが。
「それなら問題ないけど……ただ、会社組織にしていてある程度現在は収入があるとはいえ、実質はフリーだしなあ。ローンが果たして組めるかね?」
「問題はソコよ。会計士とも相談するわ」
 と、K子、それからリビングの方でなにやら、いろいろ電話を始めた。私はそのことはしばらく脳裏から去らせて、原稿にかかる。 世上乱逆追討雖満耳不注之、紅旗征 戎非吾事、の心境。

 昼は船山。母はホテルからタクシー拾ってNHK前で、と電話で伝えておいたが、東京に慣れるために地下鉄で新宿、JRで渋谷に出てそこから東急本店の案内前で、K子と待ち合わせるという。私は直接店で……ということになり、時間になったのでそろそろ出ようかというときにK子から電話。東急にいないという。
「間違えて西武に行ったんじゃないでしょうね」
「うーん、あり得るかも。じゃあ、僕が西武に行って確認して……」
 と言いかけて、携帯がないことを思い出し、愕然とする。どうしようかと思っていたら、電話の向こうで
「あ、いたいた……もう、勝手にそこらほっつき歩いて!」
 との声。ホッと安心。

 船山に行くと、もうK子がマンションの見取り図を見ながら、母といろいろやりとりをしていた。隣の部屋をローンで、という話はもう母としているらしい。
「こんな嫁と一緒に住むかと思うとあたしは今から頭が痛くて……」
 と母、船山さんを笑わせている。昼定食は刺身、南瓜饅頭(海老そぼろ餡入り)、アラのみそ汁、漬け物盛り合わせ。ご飯、最近は普通に炊いたものを食べていないので(壁紙張り替えからこっち多忙を極めて片付けられず、食事テーブルの上に荷物がアルプスの如く山積し、家で食事が出来ない状態)、アヤメ米の飯が旨くて旨くて、おかわり。出て、母はまだ時間があるからとK子の仕事場を見に行った。

 帰ってバギバギと仕事。2時20分ワニマガ原稿アップ、メール。植木氏から、F社の本の打ち合わせ、予定があわないとのメール。てっきり、植木さんの都合でその時間にしたのだと思った。フリーの私にあわせてどうする。朝、トリビア関連で出したメールにフジテレビKくんから返信。珍しくすばやく来た。あと、これも珍しくエ ロ(?)ひっかけメール。間違いメールのふりをして、
「元気? 先週の合コン楽しかったね! 私はちょっと、飲みすぎちゃったみたいです。そーいえばゆーじ君はミキとツーショツトでかなり良い雰囲気だったけど、あの後ひょっとしてお持ちかえりですかぁ!? あーあ。いいなー私もお持ち帰られたいよ? 又、良かったら合コンセッティングしてください」
 とあって、そのあとに“ケータイ変えました”と、アドレスが書いてある。スケベ男が誤信を教えてやるのにかこつけてナンパするのを待ちかまえているのであろう。タイトルがイカニモなものなら読まずに削除なのだが、そこにあった名前が、たまた ま若い知り合いの女性と同じだったので、つい開いてしまった。

 トンデモ本原稿。半分書いて資料が必要になり、これは明日のこと、と定める。夕方『涙女』最終試写。本当はゴジラも教が上映最終日なのだが、最近、東宝は試写状も送ってこない(GMKをケナしたからか?)ので、DVDで見ることにして、こっちの方へ行く。こういうマイナー映画はDVDが出るかどうかも疑わしいのである。歩いてユーロスペース下の東芝エンタテインメント試写室。時間があったので、東急プラザの紀伊国屋書店に寄り、ちょっと買い物。芥川賞受賞作の金原ひとみ『蛇にピアス』が平積みになっていた。やはり新聞の一面で報じられた受賞者は最近珍しいせいか、大変な売れ行きだという。文学が売れるのはいいことだが、買っていく人たち は、この作品の内容を知って買っているのだろうか。

 私はこの作品、すばる文学賞を受賞したときに読んでみたが、要するに『トンデモ超変態系』に出てくるような趣味の人たちの話で、冒頭から、舌を蛇の舌みたいに真ん中から二つに切った男が、その二股の舌の先にタバコをはさむ場面とかが出てくるのだ。要するに『殺し屋イチ』の世界であって、私のような者は大喜びでも、通常の神経の持ち主ならオゾケをふるっておかしくない。感性の鋭さと、言葉に対する美意識の高さが今の若手作家の特徴だが、その分、彼ら彼女らの書くものはどんどん、われわれの住む世界からは遠ざかっていっており、日常から乖離した場所にしか、すでに文学の描くものは残っていないのか、という、索漠たる思いにとらわれる。今回の受賞者二人が19歳と20歳というのは文藝春秋の商業政策もあるかも知れないが、産経新聞に詩人の荒川洋治が
「〈活字離れ〉〈文学不振〉がいわれるなか、どうしてすぐれた若い作家が続出するのか」
 と大はしゃぎで書いている、まさにその“すぐれた若い世代しか純文学を描き得ない”状況が、活字離れと文学の不振を招いているのではないかと思う。不思議なもので、こうなってくると以前あれだけ嫌悪していた、例えば庄野潤三や尾崎一雄の日常 小説が懐かしくなってくる。

 さて、リュウ・ビンジェン監督『涙女』。原題は『哭泣的女人』、英語タイトルは『クライ・ウーマン』。なぜ素直に『泣女』というタイトルにしなかったのかな。まさにこの映画は、中国にいまだに残る職業である泣き(哭き)女を主役に描いた作品なのだ。ヒロインのリャオ・チンは北京のオペラ歌手だそうだが、その他の登場人物はほとんどが素人で、手持ちカメラを使い、セットなどはなく全てロケ撮影で、自主製作映画と言ってもいい感じの仕上がりになっている。ドラマも、どうしようもないヒモの亭主が暴力事件で逮捕され、しかも夜逃げした知人の子供を押しつけられたヒロインが、自分の生活費と亭主の保釈金を稼ぐため、泣き女として商売を始めるという話で、ビリー・ワイルダー風の人情喜劇にしようと思えばいくらでも出来る、優れたシチュエーションだ(実際、頭の中で、主人公をシャーリー・マクレーン、彼女を泣き女として売り出す葬儀屋の元彼をジャック・レモンというキャスティングで作ったら、さぞいい映画になるだろう、みたいなことを考えてしまった)。

 しかし、監督はこのシチュエーションで、無理にドラマチックな場面を入れることなく、淡々と話を進める。ヒロインのグイは、肉体的にだらしなくて(ダメ亭主に徹底的に惚れ込んでいるくせにすぐ、元彼とも寝るし、亭主の保釈のためなら刑務所長とも平気で寝る)、いいかげんで、食欲だけは旺盛で(いつでも何か食べたり飲んだりしている。連れている子供に必ず“食べる?”と訊いて、子供がまた必ず“いらない”と答えるのが妙に可笑しい)それでも生き抜いていくバイタリティだけは人一倍で、やがて引っ張りだこの売れっ子泣き女となっていくが、売れるとすぐ天狗になって、金額が安いと葬儀の途中で切り上げたりしてトラブルを起こすし、元彼の奥さんからは泥棒猫と街頭でののしられ、しかも肝心の亭主は刑務所を脱走して、あっけなく射殺されてしまう。その心の隙間を埋めて貰おうとした元彼も去っていき、彼女は初めて、自分のために本当の号泣をするが、周囲の人々はそんな彼女の涙を、さすが売れっ子の泣き女は違う、と感心し、どんどん彼女の手にご祝儀を握らせていく。

 葬儀でご祝儀というのもヘンだが、実際、真っ赤な封筒に金文字が入っているおめでたい袋で渡されるし、派手な赤や黄色のビラや幟を押っ立てるし、冥界に行く使者に持たせる財産として、ハリボテ製の車や馬や、もっと笑えるのはグラマー美女の人形などをかついで行進するし、参列者はお棺の周囲で麻雀をしている。葬儀の席で親類たちが麻雀をするのは、ずっと昔、ヤコペッティの『世界残酷物語』で中国の風習として紹介されており、ヤコペッティのことだからこれもヤラセじゃないのかね、と思っていたものであったが、本当だったようだ。とにかく、向こうの葬儀はにぎやかであり、泣き女の歌う嘆きの歌も、悲壮というよりは猥雑に近いものである(彼女はテープでその歌を練習していた。このテープが欲しい! と思ってしまった)。ドラマがあまりに淡々としていて物足りない、という人も、このあちらの葬儀の模様の記 録映像、と思えば満足できるのではあるまいか。
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD4265/index.html
↑上映時期、上映館などの情報はここで。

 見終わって帰宅、仕事またガキガキ。8時半、また駅前まで出て、細雪前でK子と待ち合わせ。入ろうとしたが予約が入っているとかでダメ。仕方なく新楽飯店で夕食を取る。ローン、どうだった? と訊いたら、やはりフリーというところが祟って、ダメと言われたという。おやおや、では新中野のマンションは初春の淡い夢だったかと思っていたら、善後策としての、アクロバット的な方法を耳にささやいてくる。ちと驚き、そういう風にものごとをいたずらに複雑化するのはいかがなものか、と懸念したが、ちょっと考えて、それでうまく行くならいいね、と答えておく。というか、すでにその時点でK子、いろいろ手を打ち、電話をかけ、諸葛孔名の策もかくや、の購入計画を編んでしまっている。今更どうとも言えず。目を輝かせて語る彼女の計画を聞きながら、肉だんご、イカとセロリの炒め物、ピータン、腸詰めなどを食い、紹興酒飲む。この女房なら、私が死んでも、泣き女にでも何でもなって生きていけるだろうなあ、と思うと笑えてくる。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa