裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

1日

木曜日

アムネスティおめでとうございます

 今年も世界の恵まれない人々の人権のために戦う所存でおります(ウソ)。朝、8時起床。昔から我が家は早起きの家で(通勤客相手の商売だったから仕方ない)、6時台起きなどというのが通常であった。父母が店をやっていた時代は、この実家も、たとえ正月であっても7時台にみんな起きてお節を祝っていた。半ば父が引退状態になり、やがて病に倒れ、亡くなり、いつのまにか8時起きが休日の基本になった。これだって普通の家庭の正月の朝に比べれば早い方だろう。

 朝湯を使い、新聞を見る。小泉首相靖国神社参拝に中国政府から非難の声明。北海道新聞のコラムはこれ(参拝)をけしからん、と言っているが、この新聞はイラク戦争を評し、アメリカはイスラムの人々の風俗・信仰を蔑視しているのがけしからん、と民族文化の立場に立って悪口していたはず。日本の信仰に関係する行事を中国が蔑視するのはいいというのかしらん。まあ、私個人は靖国神社のような新出来の神社にはあまりありがたみを感じはしないのであるが。

 K子と母と三人、お節でお屠蘇を祝う。と、言ってもお節は簡略化で鶏照り焼き、伊達巻、かまぼこ、数の子、なます他自家製のもの数品。お屠蘇は普通の燗酒で代用。母とK子は東京のマンションをどこにするか、で漫才のごときやりとりで盛り上がっている。雑煮を食べて、数の子で酒を数杯飲んだら、もう体中がダルくなり、二階に上がってまた布団にもぐりこむ。

 家がとにかく広くなっている。引き払いを前に、タンス類はあらかた処分し、本類は本棚ごと、じゃんくまうすさんたちにほぼ全て引き取ってもらった。廊下に作りつけてあった文庫用棚も撤去され、我が家はこんなに広かったかと、改めて思う。ただし、寝転がって読むものが何もなくなったのには閉口。居間の、母の本棚から野間宏『歎異抄増補新版』を抜き出してきて読む。ちくまぶっくす1978年初版である。

 昼12時に豪貴夫妻が赤ちゃんと、義母のチカ子さんを連れてやってくる。赤ちゃん(杏輔)、母は豪貴に似ているというが、見ると表情などチカ子さんに似ている。自分の血が受け継がれていくという気分というのはどういうものか。私は自分という存在がこの世でなんとか、生をつなげていけているということに実感がわかない(最近ではさすがに、まあある程度自己評価もできるようになったが、二十代の頃などを振り返るとまさに無用不要の存在であったよなあ、と慄然たる思いにとらわれる)ので、その自己のコピーをこの世に残す気がどうしてもしない。と、言うか、子孫を作り残していける資格があるのは『大地』の王龍のような、しっかりその土地と結びついて生命をはぐくんでいる人々だけで、都会もの、文化人、世界の上っ面を漂って生きている人間はみな一代で滅ぶのが正当なことだとすら、実は思っている。殊に言論人なんてものは頭脳の一種の奇形、と言って悪ければ突然変異で生まれるもので、次代にその遺伝子をつたえたからと言ってそれが良い結果を残すことはまれなのである。
 1時からは親戚たちも来る。いつもは夜からなのに、今年はあまり遅くなるのはお互い迷惑だから早めたとのこと。集うもの17人というなかなかの大人数。坂部家、井上家、桑沢家。テーブルを、前から居間にあったものと、台所にあったものをくっつけて椅子は丸椅子までを動員させる騒ぎ。まあ、親戚一党顔をここで合わせるのもこれが最後だから仕方ない。母は大奮闘、皿洗いの手間をはぶくためというアイデアで、カフェテリアの食事のごとく、全ての料理を小分けにしてプラスチックのパックケースなどに分け、どっとテーブルにそれを積み上げては、各人がとって食べる、という方式でやっている。ワインもごく上等ものの差し入れがあったが、それも何も、全て紙コップ。K子曰く、“高級回転寿司屋みたい”と。

 牡蠣のコクテールを最初に、ローストビーフ、ピータン、鶏のロースト、山盛のトーストに別皿のイクラ、レバーペーストなどを好きなだけ乗せて食べるやつ。もちろん、あのつくんからの野菜で作ったサラダ、さらにはうなぎ入りの散らし寿司。会話もはずんで、井上のマコトの、母親(ナミ子姉)とのどつき漫才的なやりとりに大笑いする。ユウコさん(豪貴の奥さん)は、体型といい顔かたちといい、キルビルのユマ・サーマンに似ているな、と思う。K子はチカ子さんと、マンションチラシを見ながら談合。方位がどうこう、とか言っている。心霊的には笹塚のマンションが一等よろしいそうである。

 食べている途中から、肩や腕の張りがはなはだしくなり、食欲がガタンと落ちる。散らし寿司などには、うまそうで手を出したいのだが胃が動かないという状態。ちと、これは異常だな、と自分でも判断。7時過ぎ、皆が引き上げたあとに、二階でまた布団に潜り込む。10時ころ、目が覚めてトイレに行く(二階のトイレが壊れて、一階に降りた)が、ゾクゾクと背中に寒気が走る。さては風邪か、と気がついた。前膊部分の痛みも肩の凝りも、風邪の症状であったよな。しかも、かなりの劇症である。居間の暖炉式ストーブの前のソファで背中をあぶるようにしながら、寒い々々とふるえる。さっき寝る前に、用心にとベンザAをのんだのだが、さらに追加でロン三宝の風邪薬をのむ。ガチガチと歯の根まであわなくなってきた。

 母が、背中でもさすってあげようかと言うので、足の裏を揉んでほしいと頼む。さきほどから、足の裏、ことに悪い左足の足の裏が妙にむずむずして、腫れている感覚がある。揉んでもらうと、親指の付け根あたりの部分が大きく腫れている感覚があり、飛び上がるほど痛いが、しかし、その痛みが非常にキモチいい。これだな、と思い、二十分ほど、そこを丁寧に揉んでもらっているうちに、不思議なことに背中のゾクゾク感が、すっと消えていく感じがした。これでもう大丈夫、と思ったので、さらにもう一服風邪薬をのんで(こういう乱暴なことを一般の人はマネしちゃいけません。薬屋の息子を長年やって、モルモット替わりにされてきた者のみの、どれくらいが自分の今の症状にあう分量かというカンが働くのである)、再び布団の中に戻る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa