裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

25日

水曜日

ボルシェビキ讃岐うどん

 讃岐うどん過激派。朝8時起床。昨晩は食い過ぎか、一晩中胃が熾って寝付かれなかった。K子はいい気分でスヤスヤ寝ていたが。ようやく6時ころウトウトしたと思うともう朝。朝食、玄米粥とスグキ。果物はオレンジ半個と巨峰数粒。ワイドショーでは名古屋章氏訃報。“ウルトラマンタロウの隊長役で子供たちにも親しまれ”という報道はまあ、仕方ないのかもしれないが、あの作品での朝比奈隊長は特別出演格であり、親しまれるほど出演はしていなかったと思う。考えてみれば副隊長、隊長とも に亡くなってしまったのだなあ。

 訃報が続く。マンガ家の山根赤鬼氏死去、68歳。双生児の天才マンガ家として、兄の青鬼氏と並んで私の子供時代には売れっ子だった。絵も作風も似ているのでややこしいが『よたろうくん』『丸井せん平』が赤鬼氏の作で、『なるへそくん』『でこちん』『親父バンザイ』が青鬼氏の作。どちらかというと青鬼氏の作風の方がモダンで、時代に合わせて、ハレンチも取り入れれば現代風俗も描く、という自在性があった(それ故にずっと後期になっても、アニメ化もされる『名探偵カゲマン(探偵少年カゲマン)』というヒット作を出せた)のに対し、赤鬼氏の作風は師である田河水泡譲りの正統派の少年マンガとしての笑いを頑固に守っている、という感じだった。昭和40年代末に読んでもうそんなことを感じたくらいだったから、すでにしてその当時、赤塚不二夫など新感覚派の台頭で、過去の作家になりつつあった人なのである。赤塚と山根赤鬼(当然青鬼も)は実は同じ昭和10年生まれなのだが、赤塚が満州からの引き揚げ者で、デビューまでに辛酸をなめたのに対し、青鬼、赤鬼はなんと14歳でデビュー、師匠の田河水泡の後押しを受けて、雑誌や新聞連載で瞬く間に売れっ子になったという、苦労知らずのマンガ家人生のスタートだった。そのあたり、時代に“乗った”ものと、時代に“齧りついていった”ものとのバイタリティの差が、後になって出たような気がしてならない。グーグルで検索してもたった一件しかヒットしない作品なのだが、少年画報誌に昭和42年に連載された赤鬼氏の『東京アニマル探偵局』というマンガが、私もなをきも大好きだった。当時流行りのスパイもののパ ロディだったが、悪の組織の子分が隠れ家に帰って
「へへ、うまくいきましたぜ、あたま!」
「あたまじゃありません、私は“かしら”です」
「へえ、どうもすいません、ガス!」
「ガスじゃない、ボスだ!」
 というような落語的ギャグの、なんとまあほのぼのとしていたことか。旧世代と新世代の作家の間をつなぐ中間世代の人として、もっと研究されていい作家ではなかっ たかと思う。ご冥福をお祈りする。

 さらに訃報、落語評論家、小島貞二氏死去、84歳。力士あがりの演芸評論家という異色の存在。志ん生、圓生などの聞き書きを数多く残してくれたことが、若い世代の落語ファンにとってどれだけ有り難い遺産であったか、はかりしれない。快楽亭ブラック(もちろん先代)の伝記も書いている(『快楽亭ブラック・文明開化のイギリス人落語家』1984・国際情報社)。ブラックの伝記としては後に講談社からオーストラリア人のジャーナリスト、イアン・マッカーサーのもの(『快楽亭ブラック・忘れられたニッポン最高の外人タレント』1992)が出ている。調査の行き届き方としては、同郷の強みもありこちらの方が優れているのだが、やはりそこは外国人の悲しさで、芸人という特異な職業人のものの考え方や行動原理が伝わってこない。小島氏の著書の方が、ブラックという人物像をずっと的確に把握できるのである。ほんの数年前、神田の中野書店で、この人の落語関係の本を買った。新書版の軽い内容のもので、値段は600円だったが、店主が、“こないだ、小島さんがウチに来て、この本手にとってねえ。「これはいい本なのに、こんなに安いのはけしからん!」って怒って帰ったんだよねえ。まあ、確かにいい本ではあるんだけど……”と言っていた のを思い出す。

 雨、12時台には豪雨となり、雷まで鳴るが、しばらくして小降りになり、やむ。1時、外出して参宮橋でラーメン食べ、雑用すませてバスで帰宅。2時、海拓舎H社長来宅。新刊『壁際の名言』見本刷り持参してくれる。神崎夢現さんの装丁なかなか結構である。取次の反応が極めてよく、すでに注文に応じきれないでいる状態だという。私の本の中ではカルト臭の薄い、一般向けの本だからだろう。もう続編の話などが出る。良心的出版社だけに、まだそんなに景気のいい話、とはいかないが、まずま ず好調なすべり出しと言えそうで結構。

 と学会の例会場下見の件や、扶桑社の『愛のトンデモ本』の件などでメールやりとり。河出の怪獣官能本は、表紙にヘアヌードを使おうとしたら上から“表紙はダメ”と拒否されたそうな。Sくん残念がることしきり。K子からは植木さんなどとのトン カツオフの件。なんだかんだと、出歩くコトデアル。

 4時、時間割、村崎百郎さんとの社会派くん対談。今回ももちろん、福岡一家四人殺害ばなしだとか、スーパーフリーばなし、共産党セクハラ事件と話題は豊富なのだが、村崎さんが一番熱中して話すのが、まんだらけ生原稿売却事件。。売る方も当然のことだが、買う方も含めて、モラルというか、質というか、なんというか全ての面で、“劣化”しているという以外の何物でもない。騒ぎがだんだんといろんなことを巻き込んで大きくなっている他に、この事件はマンガ業界の根っこにある慣習全体に対する問題提起が含まれているような気がする

 6時半、地下鉄銀座線改札でK子と待ち合わせ、銀座のドイツワンケラー『サワ』へ。古い裏モノ会議室常連さんのオデッサさんの誘いで、ファンの女の子との飲み会である。去年の暮れ、ピアノコンサートで出会ったわれわれ夫妻のファンのHさん。その友人の星乃真呂夢さんがオデッサさんのまりちゃん人形サイトの常連さんだったことは日記にも記したが、それをオデッサさんが知って、では今度一緒に、と誘われたのである。談之助さんとオデッサさんはナチスマニア同士のつながりもあるので、 一緒に、と声をかける。

 ドイツのワインケラーを模したという、穴蔵のような店内で、発泡酒のゼクトをいただく。蒸し暑い日には最高のさわやかな味わい。ここはワインはドイツで、料理はフランス風田舎料理という変わった店だということで、真鯛と帆立貝のカルパッチョ(真呂夢さんがホタテに異様な執着を示し、メニューになかったのをシェフに特に頼んで加えてもらった)、パテ、雛鳥のローストなどを頼む。オデッサさんチョイスのワインは最初が甘口、その後が辛口でいずれも結構、料理もなかなかで、特に自家製のパンがおいしいとK子も絶賛。Hさんは遠距離交際の彼とはまだつきあっているそうで、やはりお互いに新刊が出たりすると、もう読んだ? と連絡しあうとのこと。じゃあ自慢が出来るように、と、最新刊の『壁際の名言』を一冊、進呈。真呂夢さん(今日のために明日の定期検診をキャンセルしてきた〜検診前夜は何も食べられないため〜そうな)と、こないだのコンサートで一緒だった友人の噂話など。みなさんな かなかユニークではある。

 オデッサさんとは三島の舞台の話や、特撮大会の話、ナチスの呼称についての話など、いろいろ。考えてみれば、彼とも古い顔見知りの間柄なのだが、飲むのは昔、睦月さんの軍歌パーティで会って以来である。すっかりワインと会話にいい気持ちになり、9時過ぎに解散。昨日は腹がパンパンだったが、今日は少し物足りなし。しかしまあ、ダイエットダイエット、と諦める。夏コミにはまたぜひ彼とどうぞ、とHさんを誘っておく。談之助さんと、名古屋章の話などをしながら新橋より銀座線で帰宅。血圧降下用にと黄連解毒湯を多めにのんで寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa