裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

5日

木曜日

離散一家

 二階にもいないのです。朝、寝床の中で山田風太郎『戦中派焼け跡日記』『戦中派闇市日記』(共に小学館)をとっかえひっかえパラパラ読む。後半にあたる『闇市日記』を先に読み終えてしまったのは、やはり著者が作家としてデビューしてからは江戸川乱歩、香山滋、徳川夢声など著名人がゾロゾロと出てきて興味深いから、もあるし、小説を執筆しだしてからは日記など書く時間がなくなったか、ずいぶんと一日の記述が短くなるからでもある。晩年の枯れたような、何物にも執着のないような境地に立ち至った頃のインタビューなどからは、このヒトは生まれつき飄々たる性格だったように思い込みがちだが、まだこの当時は風太郎二十五〜六歳、血気も盛んで、同じ戦後派五人男と称された一人であった香山滋などにはずいぶんライバル心を燃やしたようで、彼の『剥製師Mの秘密』を読み、“畏るるに足らず”などと書き付けてあ るのが微笑ましい。

 ところどころに読んだ記憶のある文章を発見してアレレ、と思うが、これは日本探偵作家クラブに関係のあるあたりを山風自身が抜き書きして『別冊新評』だったかに掲載したのを昔、読んだのだった。しかし、あの抜き書き日記の文章のリズムや表現は見事で舌を巻いたものだったが、この本の中にある“原文”とは微妙に異なっている。採録の際に、作家の本能みたいなものでやはり文章を推敲してしまったものと思われる。まさか、死後に原本を復刻するなどという物好きなことをされるとは、思っ てもいなかったんだろう。マニアがつく作家になるのもよしあしである。

 天皇制に対する論がころころ変化していたり、アメリカへの意見は冷笑的になろうとしてどうしても感情論が出てしまっていたり、著者が生前にこれを本にまとめようとしなかった気持ちもわからないではないが、日記というのはもともとそういうものである。まして(年齢からすれば無茶苦茶に老成しているとはいえ)二十五歳の若者の日本論や戦争論を“透徹した目”と褒め上げる(『焼け跡日記』オビ)のはどうかな、とも思う。しかし、読んで異様な印象を受けるのは、東京裁判での東条英機へのほぼ100パーセントの絶賛であろう。『戦中派不戦日記』の中で、著者は東条の自殺未遂に呆れて罵っている。しかし、それが判決時になるとこう変化する。
「東條はかくて日本人永劫の英雄となった」
「アメリカはこの刹那、東條に敗北した。唯一人の勝利者。この戦いに指導者にその人を得なかったとは、もう言えない。東條は、少なくとも現存する日本人中、最大の人物には違いなかった」
「こういう偉大な人間が日本人の中にもいた、ということは終戦以来人類のクズみたいに外国に毒づかれ、自らもそう思いこみ、また政治家もヘンにウス汚い小人ばかりが蛙鳴しているのに愛想をつかしていた日本人も、やっと清い偉大な誇りをその胸に呼び戻すだろう」

 後年の大著作である『人間臨終図鑑』でも東条について“東京裁判で、ただ一人、東条は勝ったのではあるまいか”と言っているところを見ると、これは山田風太郎の一生を通じての東条観であったようだ。“不戦”という文字、戦争の惨禍や軍人たちへの批判が日記中に多出するところから、『戦中派不戦日記』を反戦文学に位地づけようとする人たちもいたようだが、この続編の刊行でそれは出来なくなったのではな いかと思う。いい気味である。

 朝食は発芽玄米粥にスグキ漬け物。こっちの粥には梅干の方が合う。K子にはインゲンとニンジンの炒め物。産経新聞の連載『競う・ライバル物語』はタツノコ・プロVS.ダイナミック・プロ。単純にライバルと言っていいものなのかな、と思うが、昨日『アストロガンガー』を観て、改めてガッチャマンとマジンガーZの斬新さを再確認したところだったので、興味深く読む。ガッチャマンのヒューマン路線に触れて“忍者隊の五人は全員みなし子で、敵の組織、ギャラクターと戦いながら自らの出生の秘密を探ろうとする”という文章は不正確極まりないが、この歳になると、こういう無知がかえって微笑ましく感じられるから不思議なものである。と、いうより、アニメに素人の記者がよくここまで踏み込んだ、と褒めたくもなる。それはこの記事自体が、あのアニメ勃興期の雰囲気を的確にとらえて伝えようという努力をきちんとしているからである。個々の知識を積み重ねても、時代の流れをつかんでいない研究は往々にしてトンチンカンなものになりがちだし、大雑把ではあっても本質さえつかん でいれば、多少のミスはあってもそれは瑕瑾としか見なされない。

 アニメや特撮文化というのは、一作々々について語ることには実はあまり意味がない。その発表された時期・時代の全体像をつかむのが肝要で、それをしないで作品論だけに視野を狭めると、まず、大仰な過大評価、または無知故の過小評価になる。それ故に、私はある一作を語るなら、その周辺作品もちゃんと押さえろと言っているのである。以前、竹熊健太郎氏がどこだったかで『ザンボット3』のことを書いて、人間爆弾のエピソードや、最後に主人公たちが全員特攻していくストーリィを異色中の異色作、というように論じていたが、実のところ、上記二つのポイントはどちらも、『ザンボット』より半年早く『氷河戦士ガイスラッガー』がやらかして、当時のファンを唖然とさせていたのである。つまり、ブームによる乱作がアニメ業界人全体に疲労感から来るデスペレイトな気分を横溢させ、さらにはマンネリ打破のアイデアとして、正義の味方側を殺せば、視聴率はとれなくとも、マニアファンに話題にはなるんじゃないか、という思いつきは、ああいう状況に置かれれば誰もが頭に浮かべるものなのだ。富野監督一人がこういう大胆極まることを発明したわけではないのである。大衆文化研究の基礎はまず、博捜であるべきだ。そして、その時代の“匂い”をつか むところから始めなくてはならない。

 河出のSくんから電話。原稿の催促なのはもちろんのことだが、追っかけでちょっと重大な件。『怪獣と官能』、版権使用のことでやや、大きな変更あり。根本的に本の性格を改めねばならんか、と一瞬思うが、考えてみればマニア本なんだし、と思い直す。Sくんにその旨の変更指示。早くこういう交渉はタイとやれるようになればいいと思う。

 昼は冷凍庫の中の掃除。挽肉のあまりを冷凍しておいたものがかなりの数、あったので、それを解凍して炒め、カレー粉、ケチャップ、ジンギスカンのタレ等々でデタラメに味をつけて、温めたご飯の上にセロリと大根の千切りを乗せ、その上からこの炒めた挽肉をのっけ、さらに上に目玉焼きを作って乗せる。これ全部の工程にかかった時間15分。食べるときには全部を混ぜ合わせて。簡便インドネシア風混ぜ飯である。食べながらがぶがぶと飲んでいる長崎飲料発酵茶、そろそろ買い置きが無くなり つつあり。

 グリンアロー社『Memo・男の部屋』原稿5枚をカシカシと書く。笑わせどころに留意して。3時過ぎに完成、メール。九州のエロの冒険者さんに上京の待ち合わせの際の場所などにつき、メール。このところ、地方の友人たちとの会食頻繁。いいことである。原稿書きそれからも継続、その合間に夏コミ同人誌の誌名決めたりなんだりとの雑用。東京大会の前売り券、くすぐリングスで売り忘れたのがたたって、結局 10枚手元に売れ残った。

 ダイニング・ルームのドアホンが完全に壊れ、いちいち階下に降りてないと、すぐ脇のドアの向こうの訪問者と話が出来ない。ドアホンは引っ越し時からの備品だったので、管理会社に電話。ついでに古くなって緑青がふいたシャワーのノズルや、湯が漏れる風呂栓などのことも話す。大家(北海道在)に連絡して、指定業者から連絡させるとのこと。9時、神山町花暦にてK子と食事。マグロ、シマアジ、〆サバ刺身、野菜天ぷら、冷や奴などのみでご飯類は食べず。ビールと日本酒(お燗)。イカの一夜干しのおろし和え(マヨネーズ和えというメニューをちょっと変えてもらった)が酒に合って美味。ここの店、決して食べて“うーん、うまい!”とうなるような店ではないのだが、値段や気軽さとの兼ね合いでいくと実にうれしい店である。K子と夏コミ、東京大会準備などの打ち合わせいろいろ。

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