裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

16日

月曜日

「配当!」「一発!」

 競馬場における叫び声。朝、7時半起床。雨はまだ降っていないが湿気ですでに体じゅうがベトベト。朝食、発芽玄米粥、梅干、サクランボ。テンションあげるために救心4粒。新聞に脚本家長谷川公之氏死去の報、72歳。千葉医大を出て警視庁の法医学室勤めをしながら映画のシナリオを書き、後にそれを本職とするようになったという異色の経歴の持ち主。東映の『警視庁物語』シリーズが代表作であるのも故なしではないが、その経歴が示すように多才極まる人であったようで、シナリオも警察ものばかりか歌謡映画に博徒もの、テレビでは七人の刑事からプレイガールまで、さらには仮面ライダーも確か二本ほどやっている(イソギンチャックとユニコルノス)。ただし、多才なだけに脚本もあまり個性のようなものは感じられず、要するに何でもこなす便利屋みたいな感じだった。……しかし、いやしくも医大を出て公務員になった人物がシナリオライターに転職したがるほど、当時(昭和30年代)というのは映画界が活気にあふれた黄金時代だったわけだ。監督にも役者にも、綺羅星の如き才能が集っていたわけで、彼らには、さして個性を主張しない長谷川氏の脚本がありがたかったのではないか。逆にそこに、自在に自分の演出プラン、演技プランをつけ加えられるのである。彼が脚本を書いた『陸軍中野学校・雲一号指令』などは、増村保造が戦時下の青春群像として中野学校のエリートたちを描き出した前作を、通俗娯楽作にしてしまったストーリィ的にはどこといってとるところのない作品なのだが、森一生のキレ味鋭い演出、主演の市川雷蔵のニヒルなカッコよさ、助演の村松英子、佐藤慶、戸浦六宏らの怪演がとにかく光る、スパイ映画の傑作たりえていた。こういう役割での黄金時代の支え方もある。

 2時、時間割。二見書房Fくんと打ち合わせ。出る前に書きかけ原稿の冒頭部分をプリントアウトしようと思ったらプリンタートラブル。あせっていろいろいじくる。結果、積んであった本の山が崩れて、コードを引っ張り、コネクタ部分の接触が悪くなっていたのだということがわかる。10分遅れ。とはいえ、Fくんに冒頭部分は気にってもらえた模様。スケジュール再確認し、あとは業界ムダばなし。SF界の現状と将来の展望についての噂話、などなど。ところで、この時間割のあるビルの一階は現在、フィットネス用品店になっているのだが、店頭に流しているビデオで、この間気になるのを見た。例のカルトアニメ『バンビミーツゴジラ』の絵がずっと流れており、なんでフィットネス用品の店でこんなアニメを、と思ったら、バンビをどーんと踏みつぶす足が、ゴジラのウロコ模様のナイキのスポーツシューズ。アチラでのCMであった。見たときにはアッと驚いた。こんなマイナーな作品をCMに使って、元ネタがわかる人間というのが、アメリカにはそんなに多いのか。向こうのアスリートた ちというのは、みんなオタクか。

 帰宅して昼はお茶漬け。イカの塩辛と塩昆布、ツボヅケで。原稿書きながらも、顔がすぐ脂汗でジトッとしてきて、何度も洗顔に洗面所に立つ。K子から電話、同人誌に収録予定の作品数が多すぎるので一本減らせという件。それと、今日は家で食事のはずだったが、スキャナーの調子悪いのを見に平塚くんに来てもらうので、外で食べ ようという件。

 と学会会場番長IPPANさんからメール。さっそく下見した千代田区の会場に申込みに行ったが、担当者が実にと学会のことに詳しく(先日のおじさんがわれわれのファンなのかと思ったら、この担当責任者氏であった)、先日置いてきた私の名刺も見て、カラサワさんですよね、とか言っていたという。これは頼もしい、という感じであった。ほぼこれで確定でしょうとの内容。やれよかった。これで当分は夏冬のコミケに専念でき、その間に内容をじっくり詰めていくことができる。とにかく第一回は、会場が決まったのが半年前の12月アタマというギリギリで、何とか間に合った冬コミでも、内容とかはまったく未知数で、ロクな告知が出来なかった。今回は夏冬二回、チラシをまける。それにしても、こないだ会員になったばかり、というのにもかかわらず熱心に動いてくれたIPPANさんには感謝である。MLの方では会員のK川さんから、参宮橋のオリンピック青少年センター(オリセンと略称するんだそうな)についての有り難い調査申し出があり、やっと、と学会も運営委員以外の会員の 自主参加による活動の基礎体制が出来てきた、という感じ。

 訃報続く。K子の掲示板の方に、春風亭柳昇師死去の報。82歳。こないだ昇輔さんが、“もう、元の顔がわからないくらい痩せちゃって……”と言っていたので、歳も歳、と思ってはいたが。新作派の落語家のうちでも、話芸というようなものとは対極にある芸風で、滑舌は悪いわ、早口過ぎるわ、人物の描き分けは出来ないわといった人であった。昔NHKの『減点パパ』に出演したとき、子供が“お父さんの落語は下手です。本当に下手だと思います”と作文を読んで、本人がやたらあわてふためいていたのが可笑しかった。それくらい下手だったのだが、それでも客を爆笑させていたのはえらいし、また、彼の才能を見抜いて人気者にした師匠の柳橋も目があった。いわゆる傷病兵であり、障害者(手の指が数本欠けている)なのだが、それを高座では一切、客に悟らせなかった(私も長いこと気がつかなかった)のは、やはりこれは“芸”だったのだな、と思う。お仕事は一回、やったきりだったが、こちらの用意した出囃子のテープのメモに、柳昇の名がない。それでもプロか、と怒鳴られるのを覚悟で、
「すいません、師匠の出囃子は何だったでしょうか」
 と楽屋に訊きにいったら、
「何だっていいです。あンなものア、鳴ってればいいってだけで……なンなら『星条旗よ永遠なれ』だっていい」
 と答えたのが、いかにもこの師匠らしくて、落語以上に記憶に残っている。

 夕方から夜にかけては、時事通信社の書評(海洋堂宮脇館長の『創るモノは夜空にきらめく星の数ほど無限にある』)にかかりきり。書き上げてメールしようと、送信ボタンを押しかけて、いや、まだちとインパクトが足りない、と数行削って、ラストにオチを書き足す。これで8時半。急いで家を出て、明日の朝飯の材料を近くのコンビニで買い、それ持って『華暦』へ。平塚くん夫妻と食事。いろいろこちらで勝手にメニュー頼んだが、奥さんのめぐみさん、一皿ごとに“あ、これ大好きなんです”と声をあげ、K子に“お前に嫌いなものはないんかー!”と言われていた。とはいえ、K子はおいしいものが好きな人が好きなので、大変にごきげん。平塚くんは、K子のスキャナーの点検を終わってきたのかと思ったら、ここで食事して、それから点検に行くのだそうである。K子もご苦労様なことを平気で頼むものだ。

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